【論人】柳井 俊二 元駐米日本大使(国際海洋法裁判所判事) 気のちから

日本語の「気」という言葉ほど多義的なものはない。空気、天気、雰囲気、気が利く、気のぬけたビール、清新の気、気が合う、気がいい、気が重い、気が狂う、気が散る、気が早い、気に止む、辞書でも延々と続く。「気」の意味は何となく分かるが、定義できない。

人の気分や精神的作用とか、空気や電気のような目に見えない自然のちからや物質等の大事なものを意味しているように思う。「気力」という言葉もある。辞書を引くと、ものごとに耐えていこうとする精神力、元気、勢力とある。「病は気から」ともいう。

かねてから、人間の気力と身体的な健康との相関関係が気になっている。気落ちしている時は病気になりやすく、気力みなぎる時は健康で、仮に病気になっても治りが早い。確かに「病は気から」だ。精神と身体の健康には大いに相関関係がありそうだ。

いうまでもなく、生物である人間は必ず死ぬ。死亡率100%。問題は、授かった大切な人生をどのように生き、いつどのように終えるかだ。楽しく健康に生きる人も居れば、その逆の人も居る。健康や精神は、先天的なものもあり、環境もあり、個人の努力もあって人様々であるから、一般化すべきでない。

でも、敢えていえば、仕事、学問、趣味、何でも良いが、何かやりがいを持っている人は、概して健康で、病気になってもそれに耐える強い気力を備えているようだ。人は、皆ストレスを感じている。大事なことは、それを解消する良い手段を持つことだ。

人生を楽しくし、気力を充実させ、ストレスを解消する手段は、千差万別、山のようにあるが、そのひとつは音楽だろう。クラシック、ジャズ、歌謡曲、何でも良い。聴くも良し、歌うも良し、楽器を演奏するのも良い。元来音楽が好きで、コンサートにも良く行くし、カラオケもやり、若いころにはクラリネットを吹いていた。「もしもピアノが弾けたなら」という歌もあるが、ピアノが弾ける人は本当に羨ましい。

40年以上勤めた外務省を退官し、しばらく大学教授をしていたが、その第二の定年が迫った68歳の時、あるディナー・コンサートに招かれた。これは、オペラを習っている友人達の発表会を兼ねた夕食会だった。彼らの歌を全部聴かないと食事は出さないという。食い逃げ防止。正直のところ、彼らの歌唱力については半信半疑だったが、予想に反してなかなかの出来ばえに感心した。

彼らの先生は、東京芸大の声楽科を首席で卒業後イタリアに渡り、彼の地で13年間、高名なオペラ歌手に師事したり、舞台に立ったりしたテノール歌手、新井直樹先生である。コンサートでは、ひたすら感心しただけで、自分で習ってみようとは夢にも思わなかったが、ある友人が私のため勝手に先生のレッスンの時間を取ってしまった。仕方なく最初のレッスンに行ってから、すっかりイタリア・オペラにはまり、今ではあちこちで歌いまくっている。

イタリアのベルカント唱法は、マイクなしで広いオペラ座の天井桟敷まで声が通るよう、自然に力強く歌う発声法だ。上手、下手は別として、正しい訓練を受ければ誰でも相当程度発声できる。スカッと発声できた時は、実に気持ちが良く、最高のストレス解消になる。もっとも、自分のストレスを周りの人々にばら撒いているだけかも知れない。

それにしても、オペラの感動は素晴らしい。感動すると、身体の中を電気のようなものが走る。この「気のちから」は、一体何なのか。一度科学的な解説を聞いてみたい。


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