【日米協定の検証】 日米原子力協定の成立 経緯と今後の問題点〈第6回〉遠藤 哲也 元原子力委員会委員長代理、元外務省科学技術担当審議官 署名から協定発効まで ― 波乱の米議会審議

日米原子力協定は、1987年11月4日にようやく正式に署名されたが、その署名からわずか5日後、すなわち11月9日に協定は米議会に提出された。異例の早さといってよい。ちなみに、日本での国会提出は1988年の3月11日であった。

〈波乱の幕開け〉

日米原子力協定に対する米議会筋の反対には2種類あった。1つは、プルトニウムの航空輸送に対する反対で、アラスカ州選出の上院議員(共和党)で、上院外交委員会の有力メンバーであるマコウスキー氏に代表されるものであった。プルトニウムの航空輸送については、墜落しても壊れないほどの堅固な輸送容器がまだ開発されていないというのが反対の主な理由であった。今1つは、核不拡散強硬派の議員による反対で、この協定は30年もの長きにわたり日本に包括同意を与えているが、これは米国原子力法および核不拡散法(NNPA)の要件を十分に満たしておらず、またプルトニウムの利用が増えれば、核拡散、核テロの危険が大きくなるなどが反対理由であった。核不拡散強硬派には民主党議員が多く、グレン(元宇宙飛行士)、クランストン上院議員、ウオルピ下院議員等がリーダーであった。

まず、航空輸送問題については、マコウスキー上院議員は協定が議会に提出されるや否や、当時上院で審議中であったエネルギー・水資源開発歳出法案に関して、実スケールの輸送物を積載した航空機の最高巡航速度での衝突試験、実スケール輸送物の最高巡航高度からの落下試験の実施などを含む修正案を提案した。このマコウスキー条項は、あまりにも非現実的として、日本側に深刻な衝撃を与えたが、マコウスキー議員の立場は他州選出の議員には理解されやすく、同議員の政治力もあってか、若干の修正を施されたのち包括予算調整法のライダーとして成立した。これでもって、プルトニウムの航空輸送は事実上難しいものとなってしまった。

他方、核不拡散強硬派議員の方も、早速に反対運動を開始し、12月中旬には上下両院外交委員会の公聴会が引続いて開催され、これらを通して米議会内の協定反対の雰囲気が急速に高まって来た。風雲は急を告げ、東京からワシントンの動きを注視していた筆者など居ても立ってもいられないような気分であった。

〈米行政府および協定支持派等の動き〉

このように協定反対の動きは、予想以上に早く、かつ大規模に展開されていったが、これに対し米行政府、議会の協定支持派が、手をこまねいていたわけではない。米側交渉団長のR.ケネディ大使は議員および議員スタッフへの根回しに獅子奮迅の働きをしたし、米政界で声望の高いマンスフィールド駐日米国大使からも関係議員に対し協定の支持を求める書簡が発出された。協定支持派の上院議員の動きも次第に活発になってきた。

日本側も、政府においても民間原子力業界においても米国の関係者に対して協定支持を訴えていた。オール・ジャパンの体制であった。

〈大詰めの議会審議と議会通過〉

本協定の支持派、反対派とともにそれぞれ活発な動きを展開し、形勢は二転三転、審議は難航したが、時間は刻々と過ぎていった。米国原子力法上、90議会日を経過し、その間に反対決議がなければ原子力協定は自動的に議会で承認されるからである。

この終盤戦で注目されたのは、マコウスキー上院議員の動きであった。マコウスキー議員は、プルトニウムの航空輸送には反対であったが、代替策として海上輸送が認められるならば、協定には賛成であるとの立場を明らかにした。事態は海上輸送の方向に動きつつあった。同議員が協定反対から賛成に回ったことは、議場の雰囲気に大きく影響した。

いずれにせよ、1988年3月21日に、米国の上院本会議でかねて提出されていた協定不承認決議案の投票が行われ、53対30の大差で決議案は否決され、上院として本協定を支持することが、実質上承認された。下院においては特段の動きがなく、1988年4月25日に90議会日は無事に過ぎた。

〈協定の発効〉

日本国会での審議状況は省略するが(1988年5月12日衆議院本会議、5月25日参議院本会議採択)、日米両国の国会、議会の承認を終え、1988年6月17日外交上の公文が交換され、30日後の1988年7月17日に協定が発効した。

〈協定発効後の動き―プルトニウム海上輸送の包括同意化〉

プルトニウムの輸送は、飛行機によるのが時間が短く、緊急事態対応も容易なので、核物質防護の観点から最も望ましい方法と考えられ、日米協定も航空輸送を前提としていた。しかしながら、協定の米議会審議の過程で、マコウスキー条項が成立したため航空輸送は事実上不可能になってしまった。加えて、航空輸送の場合にはボーイング747−400の使用を考えていたが、日本国内の受入れ空港を何処にするかで日本側は苦慮していた。従って、代替オプションとして海上輸送の可能性、海上輸送も包括同意の対象とする可能性が浮かび上って来たことは、日本側にとって渡りに船であった。

協議の結果、(1)輸送船は専用船であること、緊急時以外は無寄港であること(2)武装護衛者が同乗すること(3)原則として護衛船が同行することなどの条件の下に包括同意が与えられることとなった。護衛船の種類について、日本国内で議論があったが、日米間では海上保安庁の巡視船を使うことで合意をみた。今1つは、護衛船の同行について例外が設けられたことである。例えば、MOX燃料の場合(このケースが圧倒的に多いと思われる)など必ずしも護衛船が同行しなくとも適切な代替安全措置が設けられれば輸送が可能となった。なお、具体的な措置については日米間で協議されることになっている。


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