【鼎談】【原子力発電「人材育成の息吹」(1)】−国内編/国際編− 総論(下)〜グローバル化のうねり〜教育、社会、産業構造を変革 原子力教育に「国家戦略」の目的意識を 「閉じた社会」開くには教育界にも痛み 「総合社会工学・原子力」の輝きを世界へ 「日本に留学したい」時代へ向け環境作り 英語公用化「ディベート構造」再考の機会 国際社会に通用する思考様式の構築が先世界では今、グローバリゼーション(グローバル化)の波がうねりとなり、時代のパラダイム転換を加速している。過去の成功体験と既得権益を守ろうとする内部の根強い抵抗をはねのける「破壊的イノベーション」が技術のみならず社会システム、教育、産業構造等を根本から変革、新たなグローバル化時代における人類共通の課題克服を担っていく。特に、原子力界では「ビジネス国際展開」と合わせ「人材育成」が世界共通の課題となり、国内および国境を越えた人材獲得競争や大学間の競争激化が表面化してきた。そこで、とりわけ「閉鎖的」なことで知られる日本の原子力産業・教育界の現状および展望について有識者3人の方に、それぞれの立場から忌憚なく語り合ってもらった。(文中敬称略) (出席者)田中 知氏 東京大学大学院 教授、大庭三枝氏 原子力委員会 委員、服部拓也氏 日本原子力産業協会 理事長、(司会)本紙 編集顧問 中 英昌 司会 では最初に、大庭先生は国際政治学者だが、原子力との出会いを伺いたい。 大庭 私は原子力委員会委員就任打診(昨年11月)があるまで、原子力について特別に勉強したことはなく、偏見もない、いわば「白紙「の状態でしたので、今年1月に委員に就任したその日からさまざまな業務をこなしつつ私自身学ぶところが非常に多いです。例えば、原子力の国際展開を進めるには、民間企業が市場原理・ビジネスベースで取り組むところと、国が前面に立たなければならないところがあり、現に10月には官民が協力して原子力の新規導入を目指す途上国向けプラント受注のための新会社「国際原子力開発」を設立し、オールジャパン体制での国際展開へ本格的に乗り出すことになっています。 これは世界で進展しつつあるグローバル化が、それぞれの国の政策やビジネスに大きな影響を与えている一例だと理解しており、国際政治学者として変化の激しい現在の世界情勢について、実地で考察する貴重な機会を得ることができて大変ありがたいと思っています。その上で、原子力委員会委員としては国際社会のさまざまなトレンドの中で、日本の原子力政策のあるべき望ましい姿とはどのようなものか、を常に意識しながら意見を述べることを心がけています。 司会 それでは田中先生、最近の大学における「原子力教育ルネサンス」をどう見ますか。 田中 一頃、原子力の人気がないときに大学も専攻・学科の名称を、よく言えばその時代の研究に合ったような名前、端的に言えば「原子力」をはずした名前に変えた。その総括はどこかで必要かと思うが、今現在は若く優秀で原子力に関心を持つ学生が増え、彼らが産業界だけでなく役所や研究機関、大学にも入ってどんどん活躍している姿に出会うと大変うれしい。だが、それで100%満足しているわけではなく、常に「何か足りないところはないか」注意しながら、それを解決していかなければいけないと思う。 特に「破壊的イノベーション「という観点で「原子力教育ルネサンス」を考えると、まだまだ物足りない。たとえばいろいろな学会等に顔を出すと、当然ながらまず研究の話から始まり、終わりに時間があれば人材育成、人材教育の話が出てくる。しかし、一番大事なのは人材育成・教育の話をいろいろな会合のトッププライオリティーに置くことだ。そうでないと後の物事がついていかない気がするし、だんだんそうした認識が深まりつつあるように思う。私はよく大学の若い先生に「いい学生を育てるには、先生方の意識改革が大事。自分の好きな研究だけに没頭するのでなく、教育にも50%以上の情熱を注げ」と言っている。 また、最近は地球環境問題やエネルギー問題に関心を持つ人が多くなり、それには原子力が不可欠で原子力について十分な知識を持っていないといけないことを理解してきたように思う。その意味で、しっかりした学生が入学してくるし、また原子力と社会のかかわりにも関心を持ち活躍してもらっているが、なお心配なのは、国際展開とかグローバル化について少し認識が希薄ではないかという点だ。 一方、われわれは韓国や中国、フランス、イギリスやロシアが原子力についてどう教育しているか勉強しているが、彼らは、明確な目的意識を持ち国家戦略として教育を取り扱っている。日本はようやく文科省や経産省の原子力人材育成プログラムで少し動き出しつつあるが、本当に産業界や世の中が何を求めているのか、われわれからどういうアウトプットを期待しているのか、そこの整合性を図る点でもう一工夫必要な気がするし、服部さんがよく強調されるように、ハブ(拠点)機能を持ち機能的につながった人材教育ネットワークがないといけないと思う。 司会 服部理事長のご意見は。 服部 田中先生が言われたように原子力に優秀な人材・学生が集まりつつあることは心強いが、もう1つ言えば、優秀かつ「志を持った人たち」に産業界に入ってきてほしい。先ほどのエネルギー問題、地球環境問題を考えたうえでしっかり原子力を勉強するのであれば多少期待できるが、とかく学生は世の中の動きに非常に敏感なので今の流行りに振られがち。しかし、大学を卒業して定年までの約40年間にはいろいろな困難にも直面すると思うので、そういうときにめげないというか、むしろ難しい問題に積極的にチャレンジしていくような学生にぜひ来てもらいたい。 一方、教育の問題は、私は国家戦略として取り組むべき課題だと考えている。今の原子力人材教育は原子力機構、大学、電力会社、メーカー等で個々の取り組みはかなり充実しているが、日本全体として教育についてどう考えているのか、その一番頭の部分が欠けているように思う。それだけに、私は原産協会がそうした人材育成のハブ機関としての役割を担いたいと考えており、具体的には、人材育成に関する既存のさまざまな取り組みを尊重しながらネットワーク化して相互の情報を共有し、全体として整合性の取れた、外部からも見える形で進められるようにしたい。また、海外からも積極的に研修生を受け入れ、日本でしかるべきコースを受講した研修生には「合格証」を発行するなど、資格認証システムも導入すべきであろう。そのためには、国際原子力機関(IAEA)とも連携してカリキュラムのグローバル化を図る必要がある。私はいろいろな場でこのような考えを話し、理解を求めているところだ。原子力委員会にもぜひ旗を振っていただきたい。 大庭 人材育成について私がもっとも気になっている点は、「日本の国家戦略」として人材育成を進める、という話がある一方で、「人材のグローバル化」を進めるべきだという議論もなされていることです。そうすると、最終的に日本の人材育成が目指すところは一体どのような状態なのかということです。すなわち、人材のグローバル化を進めようとする発想と、国家戦略として教育を考えるという発想は、しばしば矛盾するところもありますね。 また、グローバル化の波が日本の大学にも及び、若者がよりよい教育やキャリア形成の機会を求めて越境することが世界で徐々に一般化して、国境を越えた大学間競争や人材獲得競争が激化する中で、日本は国内的に閉じた原子力業界のあり方を前提とした思考回路、キャリアシステムがいまだ根強いのではないでしょうか。しかし、今後はそうした思考回路やキャリアシステムの変革を余儀なくされるのではないか、というのが原子力委員会のメルマガに書いた「グローバル化の波が求めること」の趣旨です。つまり、日本国内だけで閉じられたシステムを維持しようとしても、今後はなかなか難しいと思います。そうすると従来の閉じたシステムを外に開いていくことを考えなければならないが、この外に開く際の「痛み」は原子力業界だけではなく、私が本来所属する教育界も同様に味わわねばならないものである、という少々自虐的なメッセージをメルマガには入れ込んだつもりでした。 教育や人材育成のあり方をどう考えるかは、将来の日本社会の望ましい姿とはどのようなものであると考えるか、どのような社会を目指すのか、ということに関わってきます。そのような広い観点で、原子力界の立場から実際にはどういう人材が必要で、キャリアシステムや産業のあり方も含めて今後この業界をどのような状態に持っていきたいのか、これからも改めていろいろ皆さんのご意見を伺いたいと考えています。 服部 私は「人材のグローバル化」というのは言葉はいいが、その中身は皆さんそれぞれ持っているイメージが随分異なり幅があると思う。例えば、原子力人材育成関係者協議会の報告書でまとめた内容は非常にプリミティブで、現在、国際機関で働いている日本人がまだまだ少ないので、国際舞台で活躍できる人材を育てよう、そのためには英語力が必要になるし、さらにプレゼンテーション能力を身につける必要がある、その程度のレベルだ。そのずっと先には、今の日本の人口の推移などを見ても、恐らく雇用の流動化がもっと大きなうねりになってくるだろう。そうした将来を見据えると、大学も産業も共に変革していかなければならない。 では、産業の中で原子力はどうなるかというと、原子力は国内外で発電所の新増設が急拡大、海外では先進国、発展途上大国、未導入途上国、産油国や新興国など地球規模で市場が拡大することを本気で各企業体が考えているのであれば、そういうことも念頭に置きつつ対応可能な人材を積極的に海外へ出すような布石を打つと思う。しかし残念ながら、まだまだ今の国内状況は内需で十分というか、ある程度満たされる環境にあり、その中でずっと50年近くビジネスを続けてきただけに、なぜ今すき好んでリスクのある海外に出て行かなければならないのか。そうした海外に出て行くときのいろいろなリスクや、その後を考えると皆さんシュリンクし、国内にとどまっていた方がいいだろうとの思いが重なる。これが、日本からの留学生が少ないとか、会社の中で海外留学制度があってもほとんど希望者がいないという状況に陥っている要因になっている。 では、これはどこから変えていけばいいのか。なかなか難しいテーマだが、やはり大きな力・影響力を持つところが少しずつ舵を切っていくよりない。そんな中で、田中先生は毅然として「東大は世界のトップを目指す」と公言されるが、これは非常に大事なことで、やはり東大に引っ張ってもらわないと力強さを欠く。東大で海外からの留学生も受け入れ、こちらからも出て行くような相互交流をどんどん積み重ね、その結果、アメリカではなく「日本に留学したい」と多くの人が思うような環境づくりをしていくことが、当面大事なことだと思う。 大庭 今のお話で、原子力産業界はこれまで国内でそれなりにきちんと恵まれた環境にあったということが、非常に印象的ですね。大学を取り巻く状況も少し前まで比較的恵まれており、例えば「大学はつぶれない」などと言われていたものです。でも、今はもうそうではなく、「大学は(場合によっては)つぶれる」ことがはっきりしてきています。少子化が進み、また一部の若者は海外の大学に行くという流れも定着しつつあり、学生数が減少しています。そうした現実に直面し、各大学が今一生懸命いろいろな取り組みを進めていますが、大学の経営がそれだけ厳しさを増していることの証左でしょう。他方これは、今「大学が新たなチャレンジに乗り出している」という明るい解釈もできます。したがって、原子力に関してもさまざまな可能性、チャンスが横たわっていることを各事業者の方がしっかり見据えた上で外部にアピールしていけば、若い人たちが「原子力を勉強すると非常に楽しい」、「そこでいろいろな冒険ができるかも知れない」というような夢と期待を持つのではないかと思います。将来そういう流れになっていってほしい、と期待しています。 田中 原子力界・産業には、「原子力村」とか「狭いグローバリゼーション」という認識があり、多分、私の直観では20年ぐらい前に、大学で原子力の人気がなくなっていった理由のひとつはそこにあったと思う。もう少し幅広い視野を持ちたい、考えたいと思いながら、言ってることは非常に狭い。われわれが大学に入った頃は、原子力というのは総合工学だ、もうその「総合」というところに目が輝いて、工学全体を多面的、多角的に思う存分勉強し経験できるとわくわくしたものだ。だが、時間が経つにつれ「総合工学」が、だんだん狭い意味での総合工学になってしまったことに加え、ちょうどチェルノブイリはじめ原子力発電所の大きな事故が重なったこととも絡み、原子力が学生に人気がなくなっていった。しかし、今の「グローバル化」というのは、もっと広い意味での総合工学というより「総合社会工学」という時代になっていると思う。それだけに、これからは日本の文化的特質も融合した新しい意味での「総合社会工学としてのグローバル化」を考えるべきだし、そういう視野を持った人材を輩出したいと考えている。 そうなれば、世界を舞台に日本が活躍できる場所はいくらでもあるし、いろいろな経験をうまく関数変換してニーズのあるところに持って行けば有効になる。われわれが過去に苦労したことを、もう一度彼らが繰り返す必要はないわけだ。そういう形で、世界の中でこれから輝ける日本の技術、人、知識等が生まれてくるのではないか。それさえできれば、いくら世の中が変わっても、例えば、フランスの文化とか芸術の都パリに憧れを持つように、世界の原子力の中で、日本の技術や広い意味での原子力文化みたいなものが輝きを増すのではないか。 司会 ところで、あらゆる側面で変革を余儀なくされる時代のパラダイム転換のキーワード「グローバル化」の世界同時的進展で、たとえば、楽天のように国内でも英語を公用化して話題になっているがどうか。 大庭 私は英語の公用化の議論より前にするべきことがあると思います。日本人が英語できちんと議論できないというのは、日本語でも議論ができないということでしょう。母国語でできないことは、英語でもできないと思います。従来の日本の社会は、ある意味で幸福なことだったのでしょうが、「あなたと私はお互い異なる考えを持つ他者同士である」ということを前提とした社会ではありませんでした。ところが、英語で議論することが必要な国際的な場とは、さまざまな国から来た多様な人々が集まってくるところです。そこでは、「あなたと私は考えていることが違う」というのが前提です。そして自分が考えていることを「まったく違うことを考えている他者」に伝えなければならないし、異なる考えを持っている他者同士の、言葉を介したすりあわせが当然必要になります。 つまり、「国際社会で生きていくのに必要な議論をする力やコミュニケーションを取る能力になぜ日本人が欠けるのか」という問題は、英語力の問題ということもあるのでしょうが、それより多くの日本人がもつ思考様式が、まったく自分と異なる人々と議論し、コミュニケーションを取りながらやっていく、という国際社会で生きていくのに求められている思考様式とはずれている、というところにあるのだと思います。それだけに日本の今後の教育においては、「社会とは、自分とは考え方が全然違う他者を相手にする場である」、という自覚をいかに持たせられるような教育をしていくか、が大事な課題なのではないかと思っています。そうなると家庭教育にも関わってくるので、どこまでできるのか分かりませんが、そうした基本的な思考様式の変革を飛び越えて、「英語、英語」と言うのは本末転倒ではないかと思います。 田中 私も同感だが、今では大学でも「バイリンガル構想」という考え方のもとに授業の何割かは英語で行うが、大事なことは日本語でディベートできない人が多い。これは、われわれは英語でディベートする練習をさせるが、すると、もう一度考え直しますよ。日本語でやるとどうしてもけんかになるが、間に違う言語を入れることによって、もう1回ディベートする構造を考えるチャンスを与える。そういうようなことで、英語のディベートは結構有効だ。とにかく何か目的を持って取り組まないと、極端に二極分化するケースは、これまでにたくさん経験している。 服部 英語はただしゃべれるだけではだめですね。要は中身なわけで、おっしゃるとおり。だから、ものの考え方、それは日本語でものをしっかり考えて、ただ、日本語というのは、なかなかそのまま英語に訳しても理解されない。つまり、コミュニケーションが成立しない。日本語の中でしか成立しないようなロジックあるいはレトリックというか、ものの考え方みたいなものがあるので、それを英語でもできるような形にしていくということが大事だと思う。私は先日、「原子力政策大綱を最初から英語で考えてみたらどうか」と発言した。日本語と英語と同時並行的に考えていき、これを英語で言ったらどういう表現になるのかなということをいつも考えていくのは大事なことではないかと思う。 大庭 現在の原子力委員会委員は、英語での情報発信について積極的です。当初から、原子力政策大綱の英訳のことも念頭に置いていますので、まさしく服部さんと同じ考えを持っていると思います。今でもいろいろな文書を作成するときに、これを英語に訳したらどうかを常に議論していますし、実際に英語に訳して発信しています。 田中 日本語でも同じようなことがあり、実は、私は服部さんとふるさとが一緒なので、二人で大阪弁で話せばもっと意思疎通がうまくできる。私が東京に来て何で一番苦労したかというと、「標準語でどう分かってもらうか」にものすごく努力した。同じように、英語を使うことによって、どういうふうに外国の人たちと難しい議論ができるかという意味では英語の公用化もいいという意味で言ったまでです。 大庭 おっしゃることはよく分かります。ただ、あまりにも世の中で「英語力」のみに関心が集中しているきらいがあるので、この件について聞かれると、私は本質的には英語の問題というよりは日本語ないし思考様式の問題だとあえて強調しているわけです。しかし、お二人のご意見は非常によく分かります。 司会 本日は、たいへん長時間、非常に楽しく、有益なお話を伺えたと思います。どうもありがとうございました。 (了) |
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