【論人】山本 廣基 国立大学法人島根大学長 生物多様性と生態リスク評価

2010年は国連が定めた国際生物多様性年である。秋には名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(CBD・COP10)が開かれ、多くの国民の関心が寄せられた。

環境問題はグローバル化の一途をたどり、気候変動問題をはじめ、多くの課題が国連の枠組みのもとで議論されている。生物多様性条約の場合もそうであるが、国際社会が1つの指針のもとに地球環境問題の解決を目指す時、各国が抱える問題や国益の主張を乗り越えて国際合意を得ることは容易ではない。

生物多様性条約は、生物多様性の保全、持続可能な利用、遺伝資源の利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分、の3つの大きな目的を掲げている。ただ、生物多様性に関してはその概念がきわめて幅広く、何をもって「生物多様性の保全」と見なすのかはきわめて難しい。

筆者はこれまで農薬の生態リスク評価の研究に携わってきたことから、生態系の保全(生物多様性の保全と生態系の保全は厳密には異なるが)と人間活動との関係について考えてみたい。

生態系という言葉は、原生林のような人間活動の影響がほとんど及んでいない自然の生態系を想像することが多いが、人の活動が大きく関わっている生態系、例えば農業生態系なども成立している。この場合には、自然に放置すればたちまち崩壊してしまうので人による相当のエネルギーが投入されなければその構造と機能を維持することができない。このように、一言で生態系と言っても地球上には多様な生態系が存在するし、そのような生態系だからこそ存続し得る生物もいる。

一方、生態系保全の目的も多様な価値観に基づいているが、「人の生存を脅かす生物種は別として、できるだけ多くの生物種との共存を図らなければならない」、「将来にわたって人が生存し、社会が持続的に発展していくために利用できる(かもしれない)資源を枯渇させてはならない」、「人にとっての快適な生活環境を確保するために、生態系のかく乱による環境悪化を回避しなければならない」など、「人類のために」生態系保全が必要であるという論理が多い。人にとって「有害でない(と思っている)生物」がいなくなることのリスクに対する漠然とした不安が生態環境に対する関心を高めているのではないか。

本来、リスクという概念は人にとっての有害事象が起こる確率と重篤度を表しており、リスク分析ではリスクと便益を考える。このような人に対するリスク管理の考え方を人以外の生物種にも適用するとすれば、全ての生物は、それがたとえヒトという生物種にとって有害な生物であったとしても、等しく排除されないことになってしまう。一方、生態系の保全は、「持続可能な社会の発展のために環境における生物の多様性を保全する必要がある」と述べられているように、極言すればヒトという生物種の存続のためとも言えよう。これまで、人類は科学技術によって、病原菌を排除し、食料確保や快適な生活のために多くの生物種を排除してきた。ただ、そのことの行き過ぎを反省して現在の環境保全意識の高揚となっているのであろう。

以上のような視点に立てば、科学技術の、「人に対するリスク」と「人以外の生物に対するリスク」および「生態リスク」とをそれぞれ明確に区別して考える必要がある。

我々は地球上に生息する全ての生物種を知っているわけでもなく、生態系をほとんど理解できてもいない。したがって基本的には、あらゆる生物種を保全する必要があるのかもしれないが、人の病原菌や作物の重要病害虫を積極的に保全しようとはしていないはずである。

一生物種たりとも絶滅させてはならないというような極端な議論ではなく、人に対する害的な生物を含めて、「保全を意識して適度に管理し、絶滅リスクを最小化する」という方向が望ましい。


お問い合わせは、情報・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで