〈胸を張って原子力〉 立地地域主導の新息吹(2) 福井県敦賀市長 河瀬 一治氏に聞く 「共存共栄」貫く 市長4期「待ちに待った時代」が到来

─国内の相次ぐ不祥事やトラブルで原子力への信頼が失墜、混迷を極めた当時、河瀬市長が全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)会長として「原子力と言うとなぜ下を向かなければいけないのか」との一言が強く印象に残っている。原子力が国家成長戦略の表舞台に立った今の感慨は。

河瀬 敦賀市は「もんじゅ」をはじめ、多様な炉型が立地する原子力発電所の集積地で40年以上の歴史があるが、スリーマイル島やチェルノブイリの大事故で原子力が世界的に後退する中、さらに私が1995年に敦賀市長に就任した年の12月には「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が起きた。そのため大詰めにきていた日本原子力発電(原電)敦賀3、4号機増設計画にもブレーキがかかり、以後、私の市長4期・16年間のうち前半の10年間は痛いほど周囲の冷たい視線≠感じながら市政運営、全原協会長として取り組まざるを得なかった。ただ、そうした肩身の狭い思いをしながらも、全原協のメンバーや敦賀市の地元住民さらに関西原子力懇談会、原子力平和利用協議会等の応援隊ともども、エネルギー自給率4%の日本において「原子力は必ず日の目を見る」「この困難期を支える私どもが注目される日が必ず来る」との固い信念のもとに耐え抜いた。

そういう中で、洞爺湖サミットを前に2008年4月に開催された原産年次大会に当時の福田総理が初めて総理大臣として参加、「原子力は温暖化対策の切り札」と明言した前後から政府として環境問題がどんどんクローズアップされた。続いて民主党政権になり、鳩山前総理が国連の場でCO排出25%削減を世界に発信、さらに昨年、政府の新成長戦略に「原子力」が明記され、グローバル化が現実に進展するに至り、私ども立地地域、全原協の中でもいよいよ待ちに待ったそういう時代が来たのかなとの思いでいる。

─「下を向かずに、胸を張れる」のではないか。

河瀬 私は原子力行政に対しては、ウィットとして「ブレンディー」(ぶれない)というブランドのコーヒーを愛飲してきていると例える。原子力政策でぶれたことは一度もないと自負している。

「安全・安心」だけは絶対譲ることのできない前提条件として、過去の市長選挙では4回とも、「原子力との共存共栄」を訴えて当選させていただいたし、立地地域の首長が国策として協力しながら取り組んできたことを認めてもらえたというか、最近、そういう意味ではあまり冷たい目線が感じられなくなった。

昨年14年ぶりに再稼働した「もんじゅ」は停止期間が長かったため小トラブルが続き、さらに炉内中継装置の落下事故も起きた。県・市議会の中でも、一部に「やめるべきだ」との意見も出るが、大勢としては核燃料サイクルの要として不可欠な技術だけに、1つひとつ事故原因を究明して何とか育て、研究成果を出して、次の実証炉、実用炉につなげてほしいとの思いが強い。その他、軽水炉については反対はなく、当面懸案の敦賀3、4号機増設の本格工事の遅れについても、逆にその原因となっている保安院の耐震基準見直し審査をスピードアップするよう申し入れており、それに反対する声は皆無で町中の総意に近い。

とりわけ昨今、原子力安全・保安院を中心にしっかりとした安全確認体制が確立され、透明性を持って報道されるようになったため、だんだん一般市民全体に浸透し、原子力を「得体の知れないお化け」のように恐がることが少なくなった。(2面に続く


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