【Salon】絵をとおして東北・福島を支援 鉄道風景画家・松本忠さん

繊細なタッチで描かれた鉄道駅舎と列車の走る風景の数々。これらの絵を通してふるさとへの郷愁を与えてくれるひとりの画家がいる。鉄道風景画家の松本忠さんだ。

松本さんは1973年生まれ、埼玉県の出身。仙台にひとり暮らして大学に通っていた頃、鈍行列車に揺られての旅を趣味とするようになった。

大学1年の夏、「青春18切符」を使って行けるところまでいってみようと、遠回りした埼玉県への初めての帰省旅が鉄道の魅力を教えてくれるきっかけになったという。旅の途中で目にした海べりのぽつんと佇む駅や小さな待合室、1両きりの車両――これらが松本さんの心を虜にした。今まで知っていた鉄道とは違う世界があった。

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総合化学メーカーに就職後も、週末の時間を利用して鈍行列車の旅を趣味として楽しんでいたが、ローカル線の鈍行列車を眺めていると、忙しい日常とは違う「もうひとつの時」が流れていくと感じた。入社3年目、転勤先での一人暮らしが松本さんの思いを強くさせた。大好きな鉄道の絵を描いてみたい――。

それから2年後の2001年、勤めていた会社を退職後、福島県郡山市に移り住んだ。鉄道の要衝であるこの町を拠点とし、東北地方を中心に全国を旅して、鉄道を描き始めた。

松本さんは言う。「それぞれの魅力を持っていて比較はできないが、あえて言うならば、内陸部を走る路線としては福島県と新潟県を結ぶ只見線が好きだ。退職して郡山に移住し、最初に乗った路線だ。一歩ずつ、ひと駅ずつ、ゆっくりだけれど力強い歩みに励まされた。こんな風に、一歩ずつでいいから、とにかく描き続けていこう、という気持ちにしてくれた。東北地方の日本海沿いを走る五能線も自分にとって特別な路線といえる。大学1年の夏の帰省旅行。日本海に飲み込まれるような夕陽の美しさが忘れられない」。

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3月11日の大震災は、第2のふるさとである東北地方の鉄道を多く描いてきた松本さんにとっても衝撃だった。心に残る東北地方の鉄道風景をすっかり変わり果てた姿にしてしまった。そして原子力発電所の事故が起こった。

被災地そして避難している人々を目にしたとき、郡山で絵描きとしてのスタートをきった自分にできることは何かと考えた。自分の絵が役にたてないだろうか――。

今年5月には郡山での個展を例年通り開いた。東北地方、福島県の駅や路線の絵を集めたポスターを作製した。また、3月11日以降の個展売り上げの1割を義捐金として寄付する活動を始めた。各地での個展開催を通じて、年内一杯、寄付を続けるつもりだ。

7月には原子力発電所事故の影響で埼玉県内に避難している双葉町の避難所を訪れ、ポスターと絵葉書を手渡し、励ました。これまで東北の地でお世話になったことへの感謝と今後の復興への祈りをこめて。

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福島県富岡町夜ノ森地区は桜の名所として有名だが、そこを走る常磐線の夜ノ森駅の思い出を松本さんは語る。「結婚を機に郡山を離れ埼玉県に戻る前の春、親しくしてくれた郡山の仲間と桜を楽しんだ」。

原子力発電所事故に伴う警戒区域内にあるため、今は足を運ぶことはできないが、松本さんは夜ノ森駅の桜を再び目にする日が1日も早く来ることを願っている。(木)

松本さんの心はこれからも、東北の鉄道風景と人々と共にある。


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