バローハ氏 チェルノブイリ後も原子力を増強

1986年4月に旧ソ連のウクライナで発生したチェルノブイリ原子力発電所事故では、4号機とその安全システムが完全に破壊され、炉心内容物の約5%が環境に放出された。総量にして5000万Ciという放射能により、5000市町村に居住する約500万人が被害を被った。最も汚染度が高かったのはウクライナのほかにベラルーシ、ロシアだが、事故後半年で完成したシェルター施設により、放射性物質の拡散は大幅に軽減された。

30km圏内の住民を帰還させるため除染作業も始まったが、国際的支援の拒否や事故情報の制限により、影響に関するとんでもない噂が広まり、住民の間に社会的、心理的なストレスを生むこととなった。また実際、外部被ばくの平均線量は1986年に2〜15mSv、事故後の20年間は4〜40mSv、70年間は5〜55mSvとなるほか、汚染食品は甲状腺内部被ばくの原因にもなった。

事故後の対応措置リストの中で最も肝心なのは、事故直後の住民の避難とヨウ素による予防措置。その後は建物や道路の表面、学校の敷地の除染が重要だが、汚染食品の清浄化とともに土壌への石灰散布、大量のカリウム肥料投入も必要だ。

事故直後、国は発電所の半径30kmの区域を収用し、法律で隔離地帯と明記する一方、長寿命核種と超ウラン元素による人や環境への影響緩和業務も実施。使用済み燃料貯蔵施設のほか、シェルターを覆う建築作業も開始しており、2015年に完成予定である。

事故後の原子力発電開発では新規炉の建設が中断されたが、93年にはモラトリアムが撤回された。背景となったのは電力不足と国民感情の変化で、96年から04年までに3基・300万kW分の建設が完了。自主閉鎖したチェルノブイリの3基分と同等の供給力が回復した。現在、総発電量に占める原子力のシェアは50%で、2030年までの産業発展戦略でもこれを保持する予定だ。

また、フメルニツキ発電所の2基・200万kWも完成に近づいており、建設作業は福島事故の影響を受けなかった一方、安全第一の原則が再確認されている。世論調査でも約半分が原子力推進を支持しており、ウクライナは原子力をやめることはできない。しかし、チェルノブイリ事故の記憶と福島の新たな経験は、この技術を使う我々に大きな責任を課すと考える。


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