「コミュニケーション不足 なかった」 民間事故調、細野補佐官詳述を公表財団法人「日本再建イニシアティブ」(理事長=船橋洋一・朝日新聞社元主筆)の「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調、委員長=北澤宏一・前科学技術振興機構理事長)は2月末に、調査・検証報告書を発表したが、このほど同財団のホームページ上に、事故当時の海江田万里経産相、福山哲郎・官房副長官、細野豪志・首相補佐官(現原発事故担当相)、枝野幸男・官房長官(現経産相)、菅直人首相の5人の政治家のヒアリング内容を詳細記述した記録文書を掲載した。 このうち、国会事故調査会では公開の場で、海江田、枝野、菅の3氏の参考人聴取は行ったものの、福山、細野両氏は政府組織のトップではなかったことから、ヒアリングは非公開の場で行われていた。今回、初めて両氏の証言内容(福山氏は昨年10月29日、細野氏は同11月19日に聴取実施)の詳細が明らかになった。 細野前首相補佐官は、事故時の3月11日から14日までは「私はずっと官邸におり、おおよそのことは知っている」とし、15日からは菅首相の指示を受けて、政府と東京電力の統合対策室を東電本社内に作るため、先遣隊として1時間ほど前に行って以来、「原発の事故に特化するという形になり、15日から数日間はほとんど寝ていないし、宿舎にも帰っていない」と自らの状況を説明した。その後は1時間ほどシャワーを浴びに宿舎にもどっただけで、寝に帰ったのは19日か20日と振り返った。 その後、統合記者会見を4月25日から開始し、6月に国際原子力機関に報告書を提出することになったことから、5月からはその準備を開始したことなどを説明した。 原子力安全・保安院と首相官邸とのコミュニケーションについて聞かれた細野氏は、事故発災直後に海江田経産相が官邸に詰め、保安院長、保安院次長、さらに実務者も含めて官邸に常駐しており、「保安院と官邸との情報のコミュニケーションそのものが不足していたということはなかった。というよりは、一体で判断していたというふうに思う」と述べた。 細野氏は事故直後の対応について、状況は極めて深刻な状況であったが、「やらなければいけないことも非常に明確だった。炉の中に水を入れなければならない、それにつきる」と認識していたことを明らかにし、「あらゆる手段を尽くしたという意味で、コミュニケーションの不足が問題の拡大につながったというふうには私は思っていない」とした。 格納容器内の蒸気圧力を抜くベントについて、住民避難と原子炉・格納容器保護という2つの面からの要請について聞かれた同氏は、「ベントができなければ、さらに深刻な事態になるかもしれないということが、我々にとっては最優先だった。避難を待ってからベントをしようという議論は、少なくとも官邸の中では行われていなかった」と証言した。 福山前官房副長官は、発災時は官邸自室でテレビの国会中継(参院決算委員会)を見ており、即座に官邸地下の危機管理センターへ階段で下りて、国会から戻ってきた枝野幸男前官房長官(現経産相)と入口でばったり出会い、午後3時直前に2人同時に飛び込んだ状況を説明。 福山氏は事故当日の夕方から2つのオペレーションを行ったとし、(1)電源車の手配、結果として60数台の電源車を各自衛隊から福島原発に送ること。道路の状況が全く分からなかったので、ありとあらゆるルートから手配した(2)首都圏の帰宅困難者への対応。各役所を通じて帰宅困難者が集まれる場所、休める場所の確保──を挙げた。 |
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