福一事故と福島県のいま 2011.3.11事故から2年 懸命の事故修復と安全確保への決意新たに

技術先進国の日本で起きた東京電力・福島第一原子力発電所事故――。世界的な原子力ルネッサンスの潮流に乗って、今後、原子力輸出への道も切り開こうとしていた矢先の出来事だった。地震・津波の自然災害の驚異は、物づくり日本の夢を打ち砕き、そこから再び立ち上がる試練を、原子力関係者のみならず、国民全体に課している。原子力発電は無資源国・日本にとって、技術でエネルギーを生み出す夢の準国産エネルギーだった。石油ショックを乗り越え、全国に広がった公害を克服し、地球温暖化対策の切り札でもあった。国内の発電電力量の約3分の1、1次エネルギーの12%を供給した実績を持つ原子力発電の役割を、今後、どこまで他のエネルギー源が代替することが可能なのか課題も多い中で、事故から2年たった今でも約15.4万人が県内外に避難している福島のいまを伝える。

(除染進む一方で未着手の町も 特別地域ほか)

除染特別地域の11市町村のうち、田村市、楢葉町、川内村、飯舘村については、先行除染を終え、除染計画も策定済みで本格除染に着手している。葛尾村と川俣町については、拠点施設等の先行除染を終えて本格除染の準備作業中である。南相馬市は先行除染を終えて除染計画の策定を済ませている。大熊町は先行除染の一部を終了して契約手続き中である。富岡町は先行除染の作業中で一部の作業を終了している。双葉町はまだ目処が立っていない。除染計画は富岡町と双葉町を除く9市町村が策定済みである(2013年3月8日発表)。

放射性物質汚染対処特措法に基づき汚染状況重点調査地域に指定されている岩手県、宮城県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県及び千葉県下の市町村における除染の進捗状況については2012年12月末時点で、約1600の学校・保育園等の施設のほとんどが除染発注済みであり、8割以上が終了している。約3000の公園・スポーツ施設については約8割が発注済みで、約6割の除染が終了している。約10万戸が予定されている住宅の除染については約4割が発注済みで除染終了は約2割にとどまっている。また、約1600の公共施設のうち約7割の除染が終了している。道路、農地・牧草地、森林については地域によって状況が異なるが、今後予定数が増加する可能性があるとしている。それぞれ現在予定されている範囲については、道路は約1700kmのうち約6割の除染が終了、農地・牧草地は15平方キロメートルのうち約7割が発注済みで3割が終了、森林は5平方キロメートルのうち一部のみが発注済みである(2013年2月15日発表)。

(9地域で見直し終える 区域再編)

原子力災害対策本部は7日、葛尾村、富岡町、浪江町の警戒区域と計画的避難区域を放射線量に応じて3区域に再編することを決定した。葛尾村は22日午前0時、富岡町は25日午前0時、浪江町は4月1日午前0時に見直しを行う。

警戒区域と計画的避難区域に設定された11市町村のうち、これまでに川内村、田村市、南相馬市、飯舘村、楢葉町、大熊町の6市町村が再編を終えており、今回で9市町村となった。残る双葉町と川俣町は今春を目途に区域見直しの調整中である。

(福島第一訪問記)

2月、海外からの要人に同行して東京電力・福島第一原子力発電所を見学する機会を得た。

東京都内を車で出発し、常磐自動車道を経由し、約3時間で楢葉町の事故対応基地Jヴィレッジに到着した。

食事を済ませた後、概要説明を受け、装備を装着。装備は思ったより簡易で、綿手袋の上にビニール手袋、ビニール製の靴カバー、サージカルマスクのみ。服の着替えは必要なかった。線量計を装着し、専用の車で、約20キロ離れた福島第一原子力発電所に向け出発。

途中、警戒区域内では、ショウウィンドウのガラスが割れ、中に服が残ったままの衣料品チェーン店、開店前に被災し、そのままとなった家電量販店などが立ち並ぶ。

およそ40分で福島第一原子力発電所に到着した。靴カバー、ビニール手袋を外し、体表面モニタで汚染をチェックした後、免震重要棟内へ。

高橋毅・福島第一原子力発電所長から作業状況の説明を受け、緊急時対策室へ。緊急時対策室では、国内外から寄せられた多くのはげましの寄せ書きが印象的であった(=上写真)。

その後、改めて、綿手袋、ゴム手袋、靴カバー、サージカルマスクを着用し、専用バスで敷地内を回った。今回は、バスから下車しての見学はしなかったため、防護服は不要であった。

現場では、事務本館の原子炉とは反対側のガラスが割れており、水素爆発のすさまじさが想像される。現在、4号機の燃料プールを取り出すための架台を製作中で、今年中の燃料取り出し開始を目指している。1〜3号機の溶融燃料の取り出しは、目処がついていない。また、地下水が建屋内に浸透するため、増え続ける汚染水の処理も課題である。海側へ進むと、津波によりタービン建屋のシャッターは湾曲し、タンクは破損したままである。

現場を回った後のバスは、約10人がかりで汚染サーベイを受ける。汚染が見つかると洗車による除染が必要となるが、幸い汚染は無かった。

免震重要棟に戻り、再度、体表面モニタで汚染をチェックした後、帰途についた。今回の見学における被ばく線量は、0.025mSvであった。

今回の見学を通じ、廃炉へ向け懸命に努力する多くの関係者の姿に感銘を受けた。(日本原子力産業協会 松崎 章弘記)


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