〈葛西敬之・JR東海会長〉

今、世界を見わたすと、大きな転換期にあると思う。近代の歴史は、一世紀に一度くらい大転換期を経て、新しい時代に入ることを繰り返しているようだ。18〜19世紀にかけては、フランス革命、ナポレオン戦争が起き、この間30年程度に、19世紀のヨーロッパ列強支配の時代となった。「20世紀的時代」への変革は、第1次世界大戦、ロシア革命、第2次世界大戦が終わるまでの約30年が転換期で、米国、ソ連の2大強国が核兵器の抑止力を持つ、つまり「米ソ冷戦」の時代となった。そして、ソ連の崩壊が1990年代にあり、「21世紀的時代」に変わろうとしているところだ。どのような形になるかはしれないが、いずれ、21世紀の枠組みははっきりと見えてくるだろう。

「国破れて山河あり」。国家は滅亡しても自然そのものは残るのだが、一体、21世紀はどうなるのか。一定の平和・繁栄が続けば、必ずその体制は老化してくるものであり、過剰な製造能力が生まれ、デフレの傾向となる。ここで、転換するものは何かといえば、非連続的な変わり方で、戦争とか革命が、その境目にあるのではないか。古い制度が白紙に戻ると同時に、様々な技術的新発明がなされることによって、次の経済成長や市場が生まれ、次の発展につながっていくのだろう。

20世紀は、それまでの人類が経験したことのない世界体制だった。それは、核兵器で2つの勢力が抑止力を持って対峙するというものだ。ソ連が崩壊したときに、19世紀的な破壊はなく、冷戦が終わった現在、余剰の製造能力は温存されたままである。そこで、資本のグローバル化となるが、一方で、それぞれの文化は国境内にとどまることになるから、国際社会の原単位はやはり主権国家である。この2つの矛盾を結び付けるものとして、EUなどの地域統合体が生まれてきた。

21世紀が、20世紀と違うのは、世界における成長の源泉が人口の増加かもしれず、それは、大西洋・ヨーロッパから、太平洋・アジアに移ってきたといえる。これを前提とすると、「地球社会に地球市民が仲良く暮らす」といったシナリオは、現実的ではなく、敢えて仮説を立てるならば、大西洋を挟む米ソ2ブロックにおける二元的な勢力均衡の枠組みから、太平洋を挟んだ複数の地域組織の間の多元的勢力均衡による平和の時代に変化すると考える。アジアのメジャー・プレイヤーとして、中国、インドがあり、太平洋を取り囲む経済連携として、TPPが形成されつつある。

安倍政権によるTPP交渉に参加するという選択だが、これは、言うなれば、日本の伝統的考え方の分かれ目といえるのではないか。ところで、日本は、「海の国」なのか、「大陸の国」なのか。自身の生まれた1940年の新聞をみると、「日本は大陸国家であり、独裁政治を旨とし、経済は自給自足、自由貿易を基本とする海洋国家と対峙する」が、当時の社説だった。今、TPP交渉参加に関して、複数の地域統合体の間のバランスを目指している中、日本は「海洋同盟」というか、経済的にいえば自由貿易を目指して21世紀を生きていこうとする方向性は、極めて正しい選択といえるのではないか。

米国地政学者の言葉を借りれば、「海で守られ、外の脅威がない」日本は、太古の時代から続いてきたことのように思える。聖徳太子の制定した「17条憲法」をみても、すべて「国内の問題をどう解決するか」ということを定めており、「大陸からの脅威にどう備えるか」などということは一言も書いていない。

日本は、21世紀における立ち位置を考え、人材、技術を活かしながら、役割を果たしていかねばならない。その上で、解決すべき緊急の問題は、エネルギーだ。自身が50年関わってきた鉄道も、エネルギーがあって初めて機能する国の重要なインフラである。資源の乏しい日本では、安定的かつリーズナブルなコストでエネルギーを確保するため、原子力を最大限活用する体制を構築すべきだろう。


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