【対談特集】「日本社会の専門性」を考える(1)

原子力産業新聞では、幅広い視野から有識者のお話しをうかがう対談企画を特集することといたしました。この企画は、元日経新聞論説委員の鳥井弘之氏を聞き手に迎え、随時、企画特集として掲載する予定です。今回は、第1回目として、政策研究大学院大学の白石隆学長と「日本社会の専門性」をテーマにお話しいただきました。

(聞き手)鳥井弘之氏 元日経新聞論説委員、元東京工業大学教授 ジャーナリストとしての活動経験を踏まえ、最近も、原子力委員会の見直しに向けた提言を主導するなど、科学技術分野の深い経験と見識をもとに意見・提言を続ける。主著に「科学技術文明再生論」、「原子力の未来」など

(話し手)白石 隆氏 政策研究大学院大学 学長 総合科学技術会議で、第4期の基本計画策定に有識者議員として中心的役割を果たす。東アジアの歴史・政治はじめ幅広い分野に識見をもち、積極的に発言。主著に「海の帝国」(読売・吉野作造賞受賞)、「インドネシア 国家と政治」(サントリー学芸賞受賞)など

政治家の判断、専門家の役割 規制委、制度設計に問題

鳥井 日本の社会で、どのくらいのリスクを許容すべきかを説明し、国民を説得できる立場にある人は専門家ではなく、国民の意向を代表する人たち(政治家)であると思いますが、どういうわけか、原子力規制委員会が「うん」と言ったら再稼働してよくて、「うん」と言わなかったら再稼働してはいけないという格好になってしまっているように見えます。

それでいいのかというのが私の最近の一番の疑問なのですが、いかがでしょうか。

白石 原子力規制委員会の設置法を見れば、そうなっています。その意味で制度設計に問題がなかったかと問われれば、あった、と言うほかないでしょう。こういう設置法を踏まえて考えれば、規制委員会の委員としてその運用にかかわる人たちには、ゆっくりと時間をかけ、できるだけ慎重に、また厳しく、安全性を審査する、安全と判断できるまでは稼働させない、そういうインセンティブが働くことはあたりまえのことと思います。

鳥井 おっしゃるとおりです。

白石 その1つの例ですが、規制委員会の審査では発電所が活断層の上にあるかないかが決定的な判断基準となっており、しかも、その判断にあたっては、10万年で判断できないときには40万年の時間の幅で判断しようということになっています。こういう安全審査基準でよいのかということはすでに国内外で多くの疑問が提起されていますが、委員会にとって、そんなことはおそらく知ったことではないし、審査に時間がかかって原子力発電の稼働ができないまま時間だけがすぎていく、そしてその分、日本全体としてみると、化石燃料の追加輸入で、毎日100億円以上のお金を余分に使っている、そういうことも所掌の外のことだから、知ったことではないでしょう。

そういう意味で、現在の制度では、原子力規制委員会が事実上、日本のエネルギー政策を決めてしまっている。しかし、それは部分最適であって、全体最適ではない。制度設計にまずいところがあって、そのツケがいま来ている、と言わざるをえない。

しかし、そうは言っても、(規制委員会の)制度変更は、政治的にまず不可能です。したがって、運用のレベルで、委員の先生たちが、自分たちは事実上、日本のエネルギー政策を決めているのだという意識を強くもって、今のような安全審査のやり方でよいのか、よくよく考えていただくしかない。その際、重要なことは、設置法にも書いていることですが、国際的な基準に照らして安全性の審査をすることで、そのためには、もっと国際的に開かれたかたちで、具体的には世界各地から専門家を招いて、広くこの問題を考え、議論をすることが重要と思います。

国民の中には原子力は怖いという思いが抜き難くできてしまった。その一方、東京電力の事故対処はいまに至るまで相当に拙劣であることは否定できない。また、国民がいまでも日本の原子力の専門家を信頼しているかと言えば、これもきわめて怪しいと言わざるをえない。国民の信頼を回復するには、この問題は日本の問題であると同時に世界の問題でもあるわけで、海外の専門家にもぜひ参加してもらった方がよい。福島第一原子力発電所の事故の対処のために官邸に委員会を作り、海外の専門家に入ってもらう。海外のリスク管理の専門家に規制委員会の委員をお願いする。そのくらいのことをしないと国民の信頼はなかなか回復できないのではないかと思います。そういうことをすれば、まさに国際的な基準に照らして、安全基準は現行のもので良いのか、活断層の有無を判断する際、なぜ40万年の時間の幅で判断するのか、そういうことももっとオープンに議論されるようになるのではないでしょうか。

あたりまえのことですが、現代文明はきわめて高度で複雑な技術システムの上に成立している。こういうシステムに100パーセントの安全はありえない。したがって、安全安心と言って、安全性を100パーセントに限りなく近いところで達成しようとすると、コストも限りなく上昇する。どこかで、ここまではリスクをヘッジするけれども、ここから先のリスクはとる、そう思い切るしかない。これを決めるのは政治です。

鳥井 そう、政治の問題なのです。

白石 そして、実は、これを決めるのは政治だ、と言うのも政治です。いくら規制委員会はおかしいと言っても、政治がその責任を引き受けない限り、現状は変わらない。

日本全体で見ると、今年、原子力発電所が使えないことで、ガス・石油輸入の増加分だけで、ほとんど4兆円近くになる。防衛費、あるいは国立大学法人交付金、私学助成金も含めた科学技術関係予算とほとんど同じ規模です。では、これはだれの責任なのか。だれも責任をとる仕組みがない。それが今のエネルギー政策、原子力政策です。

鳥井 ただ、日本の政策には、ほとんど責任をとる仕組みがないですね。

白石 では、どうすればよいか。正直なところ、名案はありません。いくらこれは政治のしごとだと言っても、国民が原子力は怖い、政府も専門家も信用できない、節電すればなんとかなると思っているときには、政治家もなかなか動けない。実際、2011年の夏、大震災のときの政府の対応をどう評価するかと問われて、評価すると回答した人はたしか7%にすぎなかった。菅さんがいくら強弁しようと、かれのリーダーシップの下、国民の政府に対する信頼、政治に対する信頼は地に落ちた。これを回復するのはたいへんなことで、原子力発電所の安全性の問題も、エネルギーミックスの問題も、世界にもっと開かれたかたちで、世界の人たちの力を借りながらやっていくしかない。


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