【対談特集】「日本社会の専門性」を考える(1)

政治主導という新たなリスク 政策決定への助言が必要

鳥井 非常に示唆に富んだお話だと思います。

過去の例で、水俣病に関して当時、専門家は水銀摂取の量を推定することができるくらいで、水俣病の判定まで言えない状況でした。しかし国は判定委員会を作り、医者に水俣病か否かを判定させた。救済するか、しないかを決めさせたことを意味する。原爆症も同様で、本来は政治が社会的リスクを負って判断すべきことを、全部専門家に丸投げしてきたのが日本の社会ではないかと思えてならないのです。

規制委員会も同じことをやっているのではないかと・・。

白石 それはおそらく政治家が逃げていたということではなく、判断に際し、あまりにテクニカルなところが大きく、政治がどう関与するか、制度の設計でそういうことを十分考えなかったということだと思います。

少し別のかたちで問題を立てますが、政策の策定において、どれほど科学的な知見が活かされているか、専門家はどういうかたちで政策策定プロセスに関与するのか、そういう観点から日本の政策策定プロセスを考えますと、科学的知見はずいぶん活かされていますし、専門家もきわめてシステマティックに政策策定に関与しています。

ただ、日本の政策策定システムはきわめて分散的で、4千人以上の課長さん、室長さんが個別施策を策定し、予算もそこにつく。したがって、日本の政策に戦略性がないとはよく言われることですが、それはあたりまえのことで、どうしてこういうシステムが成立したかは別として、現状としては、日本は、個別施策のレベルで、戦略性はないが、リスクも小さい、そういう政策策定のシステムを選択している。このレベルで政策がいかに策定されているかを見ると、ほとんどあらゆる問題について専門家の意見が徴され、科学的、専門的知見を取り込む仕組みができている。

では、なにが問題なのか。わたしは、個別施策のレベルでは、と言いました。それがポイントです。つまり、科学的知見、あるいは専門家のアドバイスが求められるのは、個別施策のレベル、役人が担当するレベルのことですが、この20年くらいの日本の政策策定システムの変容を考えると、役人の力は確実に落ちている。政治主導というのがそのときのキーワードで、わたしが内閣府に入っていたとき、最初の半年を別とすると、あとはずっと民主党政権時代ですが、このとき、政務官の中には、政治主導の名の下に、課長どころか課長補佐のマネごとをした人もいた。

ところが、この人たちは、専門家の知見を徴する仕組みなしに、政策策定に関与する。関与するどころか、意思決定する。また、かりに専門家の意見を徴することがあっても、それは多くの場合、お友達の専門家であって、そうした知見は必ずしも広く共有されたものでないことも少なくない。わけのわからないことが次々とおこったのもあたりまえで、政策の質は確実に落ちました。

では、自民党と公明党に代わって良くなるか。政府というものはどう動かすものか、これは自民党の先生の方がもちろんよく知っている。さまざまの政策テーマについて、実のある議論ができることも多い。しかし、それで大丈夫かといわれれば、その保証はない、と言わざるをえない。少なくとも、制度的には、民主党時代と変わらない。つまり、政治主導ということで政治家の力はかつてと比べて圧倒的に強くなっているけれども、政務が科学的なアドバイスを徴する仕組みはまだない。


お問い合わせは、政策・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで