【対談特集】「日本社会の専門性」を考える(1)

サイエンスアドバイザーの設置 制度としての整備が重要

白石 わたしがサイエンスアドバイザーの必要性を主張するのはそのためです。

しかし、いまのところ、総合科学技術会議の議論を見ても、サイエンスアドバイザーと総合科学技術会議の役割がどう違うのか、その整理もまだできていないように見えます。科学技術政策策定の二元性を懸念するあまり、現在の制度的欠陥に気がついていない。私は、政治家が責任を回避しているとは思いません。すべてとはもちろん言いませんが、政治家の中にもずいぶんよくやっている人も少なくない。しかし、かれらを知的にサポートする仕組みのないところで、かれらに質の良い政策策定、意思決定を期待しても、ないものねだりです。しっかりとしたサポートの仕組みを作らなければいけない。これは特にテクニカルな知識が大いに必要とされる科学技術関連の分野で言えます。

鳥井 ですから、科学者が政策決定を、本来、国がやるべき意思決定にコミットさせられ、責任を持たされていませんか。

白石 個別施策については、課長、室長は、科学者、専門家に相談しながら、政策の策定をやっている。しかし、課長、室長は2、3年で次々と交代していきます。そのため、2、3回交代すると、だれがある特定の個別施策を策定したのか、わからなくなる。その結果、どこの省はいかん、ということは言えても、どこの省の誰が、いつ、こういうポストにいるときに、こういうことをやった、というのは忘れられていく。しかし、相談に与った科学者、専門家はずっと同じようなことをやっている。したがって、社会的には、そういう人たちが責任を問われることも少なくない。

これは、日本のようなきわめて分散的な政策決定システムの下、役人が実質的な決定をしていると、当然のこととして起こります。しかし、政治主導ということで、政治家が、科学者、専門家のアドバイスもなしに政策決定をすることになると、問題はもっと深刻になる。政治家がある決定をする、その結果、これはこの政治家の決定だ、責任を取れ、ということになる。そうなると、政治家は、自分の判断に自信をもてない問題であればあるほど、逃げるか、社会の大勢におもねるようになる。その結果、コストだけが膨張する。

その好例が食品の安全性に関わる放射線量の基準です。これにはいろいろ議論がありましたが、最終的には、小宮山大臣のときに、国際的基準も、専門家、科学者のアドバイスもなしに、大臣の判断として、許容される放射線量を国際基準よりもはるかに厳しく設定してしまった。この決定のコストはたいへんなものです。

鳥井 そういうことですね。誰か裏で言ったのかもしれませんが、(判断は)専門家ではないですね。

白石 そういうことのないようにするには、制度を作らないといけない。少なくとも、サイエンスアドバイザーを総理と各大臣につけるべきだと思います。


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