【対談特集】「日本社会の専門性」を考える(1)

メディアへの期待 現実は「ないものねだり」

鳥井 おっしゃるとおりだと思います。ただ、一般の人にメッセージが届くのは、テレビを通じてであったりしますね。そこは、専門家と称される人たちが登場する。

白石 それが現実です。だからこそ、あらゆる機会に、みんな、ストレートにものを言うことが必要です。第4期の科学技術基本計画は、現代文明はきわめて高度で複雑な技術システムの上に成立している、100パーセントの安全はない、それをしつこいくらいに言っている。それをきちんとわかった上でリスク・ヘッジしなければならない。安全安心というのは政治的には都合が良くとも、誠実ではない。100パーセントの安全はない。政府は国民が安心して生活できるよう、努力はするけれども、保証はできない。そのことを国民に理解してもらわなければならない。これをあらゆる機会に率直に訴えていく。またいろいろなかたちで子どもたちに教えていく。それがひじょうに重要と思います。

もう1つ、それぞれのメディアは、それなりの政策的立場を持って人を選んでいます。原子力について言えば、一般紙のなかにも、私のような者から見ても、どうしてこの人か、と思うような人を呼んでいることがある。これも現状では如何ともできない。しかし、百家争鳴は基本的に悪いことではない。たとえば歴史の問題です。いま、中国、韓国が日本の戦争の過去について、いろいろ言っている。日本にもそれに同調する人がいる。ではどうすればよいのか。わたしが提案しているのは、政府として、19−20世紀のアジアの植民地支配と戦争、革命と反革命について、歴史研究のためのファンドをつくれば良い。そして、その研究業績が高く評価され、また人物としてもそのインテグリティに信用の置ける人たち、特に外国の研究者4〜5人に選考委員になってもらい、研究成果はピア・レヴューのプロセスを経た上で、英語で国際的なジャーナルに発表する、また、日本語、中国語、韓国語で同じものを発表する、これを条件に研究を助成する、そういうスキームをつくればよい、と提案しています。そこでの基本的な考えは、こうすれば、史料的吟味にとても耐えない奇矯な言説は淘汰されていくだろうということです。

こういうことが原子力についてできるかどうか。おそらくひじょうに難しいと思います。原子力政策についての意見分布は、正規分布ではなく、おそらく2つ山のある分布になるのではないか。しかし、それでも、政治の決定には役に立つ。また、奇矯の言を淘汰するには、海外の専門家を入れると良い。もっとも、だれを入れるかは、慎重にやる必要があります。

鳥井 放射線の影響も、「危ない」と言う人や「大丈夫だ」と言う人、いずれも専門家という人物が発言する。しかし本当に専門家同士だったら、「ここまでは大丈夫だ」、「ここからは危ない」と言えるところで、折り合えると思うのですが。

白石 テレビでは、通常、コメンテーターはせいぜい2分半か3分しかもらえない。したがって、それはないものねだりだろうと思います。

鳥井 それをあるようにするシステムは?

白石 今の日本のメディアの状況を考えると無理だと思います。


お問い合わせは、政策・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで