アイク演説60年を想う 元衆議院議員 後藤 茂

1953年12月8日国連で開かれた「原子力平和利用に関する総会」で、アイゼンハワー米大統領が“Atoms for Peace”と歴史的な演説をしてから60年になる。

大統領は冒頭、「主要各国が保有しているウランと核分裂性物質を国際原子力機関に供出する。新機関はこれらの物質の保管・貯蔵・保護に責任を負うとともに、これを平和目的に役立つように各国に割り当てる」と、歴史的な提案であった。

「原子力の恐怖に満ちた機密と怖ろしい機動力は、われわれだけのものではなくなった。ソ連もこの機密を知るところとなった。2つの核の巨人が震える世界を舞台に悪意をこめてにらみ合うと、絶望的な終末を迎えることになる。したがってわが国の目標は、人類が恐怖の暗闇から光に向かって進むことを助け、いかなる場所においても、人類の心、人類の希望、そして人類の魂が平和や幸福や健康を手にすべく、前進できる道を見つけだすことである。米国は、原子力エネルギーから得られる力を平和的に利用することが、未来の夢物語ではないことを知っている。世界の全ての科学者と技術者が、十分な量の核分裂生成物を利用して実験を行い、彼らのアイデアを発展させることができれば、原子力の持つ可能性はあまねく、効率的で経済的に利用されることになるであろう」。

わが国でもこのアイク演説に心震わせた2人がいた。1人は中曽根康弘衆議院議員である。その年の6月、ハーバード大学で開かれた「夏季国際問題セミナー」に招かれ、米原子力施設などを見学、カリフォルニア大学バークレー校のローレンス研究所に嵯峨根遼吉教授を訪ねる。「原子力は20世紀最大の発見、平和利用できなければ日本は永久に四等国になる」と奮い立つのである。

もう1人は工学博士の松前重義である。大政翼賛会の要職に就いていたため公職を追われ、大学教育に専心しようとしていた矢先にアイク演説を聞く。「政治のなかに合理性と科学性を確立しなければ国は滅ぶ」と意を決して政界に出た。

2人は、党派は違ったが、国を憂える気持ちはひとつ、日本はどう生きていくべきかと、「国の形」を真剣に考える同志的な信頼関係を持った。前田正男、志村茂治も加わって、1955年8月ジュネーブで開かれた原子力平和利用国際会議に出席し、「われわれの時代はみな戦争を経験している。この会議に出征兵士の意気込みで臨んだ」。原子力の秘密のベールが剥がされ暗雲に覆われていた東西の雪解けを示す歴史的会議を目のあたりにし、原子力の平和利用推進を誓いあったのである。

1955年の新聞週間の標語は、「新聞は世界平和の原子力」を選んだ。翌1956年の10月26日、国際原子力機関(IAEA)憲章に調印、原子力研究所のJPDRが63年、わが国初の原子力発電に成功した。この10月26日を「原子力の日」と記念したが、いずれも忘れさられてなんとも寂しい。

4人の国会議員は羽田空港に降り立つと、「原子力政策を超党派的に長期計画として推進する」との声明を発表、日本学術会議でも東大の茅誠司、阪大の伏見康治教授らの努力で、「自主・民主・公開」の3原則のもとに、平和利用推進の決議をした。

1955年に成立した原子力基本法は、旧首相官邸で生まれた。中曽根康弘、松前重義、前田正雄、志村茂治、稲葉修、斉藤憲三、岡良一ら、世に言う“七人の侍”が薄暗い一室に籠もって原子力平和利用の構想を作り上げたのだ。そこで論議していた様子が思い出される。

官邸は1928年に建てられ、塔屋には「叡智の象徴」みみずくの石像が飾られている。85年の政治を知るのはみみずくだけになってしまったか。官邸前には、時に静寂を破って「反原発」の叫びが聞こえてくる。つい先日まで官邸の主(あるじ)であった元首相までが、羽をばたつかせはじめた。原子力基本法は「中曽根君外421名提出の議員立法」など知らぬと言いたげだ。先輩議員が作り上げてきた歴史を踏みにじる仕業に、みみずくの嘆く声が聞こえてくる。

2009年4月チェコの首都プラハで開かれたEU・米首脳会議に出席したオバマ米大統領が「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意」を明言した。「核兵器を使用した唯一の核兵器保有国として米国には行動する道義的責任がある。米国だけで成功を収めることはできないが、その先頭に立つことはできる」。フラチャニ広場に渦巻いた感動は、世界に波紋をひろげた。同年10月ノーベル平和賞を受賞したのである。

授賞式に臨んだオバマ大統領は「世界の舞台で仕事を終えたわけではなく緒に就いたばかりである」と語ったが、ノーベルは「諸国民の友愛、常設軍の廃止もしくは縮小、平和会議の開催や推進のために最大もしくは最善の働きをした人物」に贈ると遺言していた。働きを期待した平和賞であろう。

国連総会が1994年以降毎年「核兵器廃絶決議」を採択しているが、比べてオバマ演説は、強く私の胸を打つ。その文意から抜書きしてみる。

「私は戦争を巡る問題の絶対的な解決策を携えてはいない。平和を維持する上で戦争にも果たすべき手段があるという事実、だが、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらす。戦争自体は決して輝かしいものではない。戦争がこれからもあると知りつつ、平和への努力を続けることはできる。それは可能だ」。

菊池寛の『恩讐の彼方に』が脳裏をよぎる。「青の洞門」ではないが、オバマ演説に呼応して立ち上がらなければ地球は崩壊する、そこまで追い詰められていることにやっと気づいてきたのか。

「こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(旧約聖書イザヤ書)。


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