〈Topic〉符牒化した専門用語の功罪 社会の誤解招くリスク林 最近話題の「再生可能エネルギー」ですが、実際とはかなり違う語ですね。「再生」という言葉で多くの人が思い浮かべるのは、「再生医療」とか「再生紙」とかいう語でしょうね。使わなくなったものを生き返らせるもう一度使えるようにするというのが「再生紙」の例ですし、失われたものを元のようにすることをいうのが「再生医療」です。しかし実際、「再生可能エネルギー」で何を指すかというと、太陽光とか、水力とか、あるいは地熱、バイオマス、こういうものから得られるエネルギーです。でも、これらのどれ1つとっても、通常語の「再生」ではない。これは、あえて言えば「自然エネルギー」ですが、「自然エネルギー」だと化石エネルギーも自然に由来するものだから、そう考えると「非化石エネルギー」とも言える。考えられる選択肢の中で最も事実と食い違っているだろうと思うのが「再生可能エネルギー」です。しかし、それがごく普通に使われるようになっています。 このように、符牒化は、便利な一面、往々にして実際と言葉との間の食い違いを生じることがあります。しかし、言葉というのは、符牒化して意味を意識しなくなっても意味そのものは失われないので、その言葉の意味が意識された瞬間に錯覚を生じる、つまり、言葉の意味と指すものとの違いを生じるのです。 鳥井 なるほど。 原子力の分野で言いますと、「平和利用」、これ実は定義がなくて、実質的には、お題目になっている。「安全」という言葉も意外とそうかもしれない。「安全」という言葉は意味を持っているけれど、一人歩きして一般の人から見ると、放射線が全然ないことだなんて、現実にあり得ないことを考えてしまったりもするわけですよね。原子力の世界というのは符牒の固まりではないかと思わないでもない(笑)。 林 確かに、そういう面はあるかもしれません。 鳥井 例えば、原子力委員会が出してくるような文書を見ますと、そういう言葉が1パラグラフのうちに50個ぐらい出てきますよ、「産業振興に」とかね、全部お題目でしかない文章が飛び交っているわけですね。今言われた観点で見ると、符牒ばかり並んでいるように思います。 林 ただ、専門家同士で通用する場合には、そのほうが効率的だし、それで正確に伝わるから問題ないとはいえ、社会に対して説明するときには、それがそのまま生で出てくると誤解を生じやすいという問題があると思います。 お問い合わせは、政策・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで |