寄稿 原子力を巡る論理と心情 東京工業大学名誉教授 藤井靖彦東日本大震災と引き続く原子炉事故から4年が経ち、汚染水の処理など事故原子炉の処理も少しずつ進んでおり、福島県内はじめ事故後周辺に飛散した放射性物質の環境除染、除染物質を収容する中間貯蔵施設の建設も進んできた。2015年は完全に停止した日本の原子力発電が再開する年となろうとしている。 しかし長期的に日本が原子力を利用する社会となるコンセンサスはまだ得られていない。むしろ世論調査では80%が原発に反対、あるいは脱原発依存である。政権与党も含め、当面の原発再稼働は認めるとするものの、原子力に依存しない社会を作ることが、むしろ国民合意となっている。 原子力の開発に携わった技術者、関係者は、東電福島第一の事故は痛恨の極みとしても、それでも人類は原子力を捨てられないと心の底で思っている。しかし日本が原子力の開発に乗り出した頃と現在は、社会環境が大きく異なっている。日本が原子力利用を継続するには、一般市民の支持が不可欠である。ではどうしたら支持が得られるようになるか、多面的な解析が必要である。そのためにも原子力をめぐる錯綜する議論の論理を整理してみる必要がある。その全貌は巨大な問題となるが、本稿では、思いつくままいくつかの話題を取り上げてみる。 原子力の目的は平和日本が原子力を開発する目的は平和と繁栄である。エネルギーは人類の文明史において、国家存立、民族興隆の基であった。化石燃料の時代が到来すると、石炭、石油資源をめぐる戦争が発生した。日本は旧満州で石炭と鉄を獲得した。満州は日本の生命線などと呼ばれた。第二次世界大戦前日米間にはいろいろな摩擦があったが、米国の日本に対する石油禁輸は、日本の海軍に対する最終宣告のようなものであった。 第二次世界大戦において、ドイツはロシアのバクー油田に向かって進軍し、日本はインドネシアの油田に向かった。戦争最終段階で多くの人々が原爆投下の犠牲となったが、日中戦争の始まりは満州の資源特に石炭、太平洋戦争の始まりは石油であった。最近中国が尖閣諸島に領有権を主張しだしたのも石油の埋蔵が明らかになってからである。現代のアラブのテロリストを生む資金も根底にオイルマネーがある。日本と世界の平和のために、石油、天然ガスになるべく頼らないよう新たなエネルギー源の開発が必要である。 二酸化炭素放出防止も原子力に課された使命であることは言をまたない。当面石油、天然ガスに頼らざるを得ないが、早急に脱石油依存、脱炭素社会を作ることを目指すことが肝要だ。エネルギー源さえあれば、水の分解から水素を作り、水素社会を実現できる。石油等化石燃料に代わりうるエネルギー源は原子力と再生可能エネルギーだ。出力変動の激しい再生可能エネルギーのバックアップ調整電源として、原子力は優れている。 土台は原子力基本法日本の原子力開発推進の基は原子力基本法である。1955年左右社会党が合同した社会党と、民主党、自由党が合同した自由民主党の両党の超党派による議員立法として原子力基本法が成立し、いわゆる55年体制の下で日本の原子力開発が始まった。政府主導ではなく、民の代表者で構成する国会主導で原子力が始まった。基本法の成立によって、政策を実行する斬新な政治手法が取られたことも特筆すべきだ。原子力基本法制定時最大の問題は原子力の軍事利用防止であった。そのため、自主、民主、公開、国際協力等の原則が法律条文に入れられた。 一方当然ながら原子力を放棄する概念は入っていない。政府レベルで脱原発政策をとっても、原子力基本法がある限り、日本の国家意思として原子力を利用する原則は続く。反原子力、脱原子力を標榜する政党、マスメディア等は原子力基本法をどうするか、国民に方針を明確に示すべきだ。 この点で、日本弁護士連合会は明確であって、原子力基本法の廃止を唱えている。注意しなければならないことは、日本の原子力基本法は、原子力軍事利用禁止法でもある。原子力基本法が無くなれば、軍事利用禁止も一緒に無くなることになる。日本の原子力平和利用は日本の核武装阻止と表裏一体なのである。原子力基本法がなくなれば、大掛かりな国家支援は得られなくなるものの、原子力研究それ自体は可能である。原子力研究には歯止めのない状態が生じる。もしこれも禁止しようとすれば、ジョークの世界になるが“原子力・放射線研究禁止法”などが必要となる。 原子力に取り組む心の原点原子力に係った人々が原子力に取り組む心の原点となった文章がある。長崎医科大学物理療法科永井隆博士による第11医療隊の原子爆弾救護報告、その第10章「結辞」の中の最後の一節だ。 「すべては終わった。祖国は敗れた。吾大学は消滅し吾教室は烏有に帰した。余等亦夫々傷き倒れた。住むべき家は焼け、着るものも失われ、家族は死傷した。今更何を云わんやである。唯願う処はかかる悲劇を再び人類が演じたくない。原子爆弾の原理を利用し、これを動力源として、文化に貢献できる如く更に一層の研究を進めたい。転禍為福。世界の文明形態は原子エネルギーの利用により一変するにきまっている。そうして新しい幸福な世界が作られるならば、多数犠牲者の霊も亦慰められるであろう」。 憲法と原子力―大飯判決 2014年5月、大飯原発運転差止め請求に対し福井地裁から原告請求認容の判決が言い渡された。判決では憲法の下で、人格権を至高のものとし、「原子力利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼働は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条第1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位におかれるべき」としている。 この判決では近代国家においてエネルギーの確保が人格権の中核部分にあることの認識が欠けているようにみえる。エネルギーを確保することが健康で文化的生活の前提条件となること、エネルギー源を確保するためには多大なリスクがあることを看過している。電気事業を経済活動の自由のみに位置づけるならば、電気事業者は停電などが起こっても、供給責任は取らなくてよいというお墨付きをもらったようなものである。健康で文化的生活を国民が享受するためには、多くの危険と闘いつつ石油・天然ガス・石炭を確保し、地球温暖化を進めるリスクはあっても、二酸化炭素を放出しつつ、電気エネルギーを供給している。 また再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が導入されている。自由競争ではなく、固定価格買取制度が認められるのは、電力供給の公共性と、二酸化炭素放出削減の公共性の故であろう。電気事業を経済活動の自由でひとくくりすれば、再生可能エネルギーの固定価格買取制度などをどのように解釈すべきであろうか。電力供給を職業選択の自由と同列において、各自が勝手に発電し勝手に販売するとすれば、本当にそれで国が成り立つのであろうか。 原子力と市民の心情原発事故の後の2013年末、学生と原子力・エネルギー問題について市民の意識、心情を聞くアンケート調査をした。対象は電力消費地の東京都大田区民と原子力施設立地地域の柏崎・刈羽及び敦賀地区の一般市民。方法は住宅地図からランダムに住所と氏名を抽出し、郵送でアンケートを送付し、回答を得た。 結果を見ると、大田区、立地地域の両地域とも「原発の即時停止・廃止」に賛成が回答者の25%、「2030年ごろまで廃止」が15%、「次第に減らす」が40%、「大震災前程度で維持」が7%、「安全性を高めて増設」が7%であった。原子力を止めようとする意見は、約80%、積極的原子力の維持・拡大の意見は合わせて14〜15%であった。このパターンは東京の大田区と立地地域で同じであり、大方全国共通と推察することも出来る。 もう少し踏み込んで、原子力規制委員会が安全性を認めた原発について、その再稼働に賛成するか否かを問うと、両地域とも、再稼働反対が40%、再稼働賛成が35%、どちらともいえないが25%と意見が割れていた。前問の結果と比べると、「原発を、即時あるいは2030年まで廃止」の“積極的脱原発派”は「再稼働反対」。前問「次第に減らす」とする“漸進的脱原発派”はその半分が再稼働に賛成、他の半分が「どちらともいえない」に分裂したものと推定される。 エネルギー源の種類について好みの程度も聞いてみた。大田区民も立地地域民も天然ガスを最も好み、次は高くても自然再生可能エネルギーによる電力が良いという。その次に原子力発電が入り、安くても石炭と言う選択はほとんどゼロである。原子力は再生エネルギーや天然ガスに比べ、圧倒的に人気が無いが、石炭よりは遥かに人気がある。もし消費者が電源を選ぶことが出来れば、案外原子力を選ぶ消費者がいるのではないか。原発の再稼働に規制委員会の“合格証”が必要であり、これが最初の関門であるが、立地地域が原子力を受け入れ、豊かな地域となる地域戦略、電力供給の自由化の中で、原子力を受け入れる消費者を獲得する消費者戦略が今後の要であろう。 原子力システム研究懇話会ニュースに掲載された記事を編集しました。 お問い合わせは、政策・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで |