vol03.「ちょこっと意見が増えたから」なんですよ
聞き手|石井敬之
大統領と首相の関係について教えてください
大統領というのはドイツの国家元首。政治的な実権は持っていない役職なので、日本の象徴天皇制にちょっと似たところがあります。儀礼的な国家元首ですね。
ただドイツの場合、大統領も基本的に政治家ですので、首相との関係は大統領の個性によって左右されます。大統領に選ばれるような人は、もちろんそれなりに功成り名を遂げた政治家ですが、大統領には国の象徴としての役割が期待されていますので、識見や人格といった点で与野党問わず大勢の人に認めてもらえるような人物が選ばれます。その意味では日本の衆参両院の議長に似ているのかも知れません。
ただ与野党問わず人格的に「この人ならいいか」と思わせる人というのは、往々にして、しっかりと自分の意見を持っている人であったりするので、必ずしも首相と同じことを考えるわけではありません。なによりも政治家出身ですから、政治的な意見は持っているわけです。ただ政治的な実権は持っていませんので、セレモニー等の演説で、正面きって首相を批判するというようなことはあまりないですが、それとなくチクリと言う(笑) そういう大統領がけっこういますよ。
ナチの反省から大統領に権力を持たせないことにしたのでしょうか?
王様がいない共和国で議院内閣制をとっている国ではよくあるパターンですので、その意味では特別なものではありません。ただ、戦後の憲法を作ったときに、アメリカのような大統領制にはしないと決めたのは、ヒトラーのように強い権力を持った人間が出ないようにしようといった配慮ですね。
連邦政府と州政府の関係は?
連邦制ではない日本の場合、日本中でやる政策というものは中央政府が決めて、都道府県はそれに従って仕事をしますよね。
ドイツと同じく連邦制であるアメリカの場合は、州政府が持っている権限と連邦政府が持っている権限は、はっきり分かれていて、法律や行政組織も別立てです。ですから連邦政府だとできないことというのがたくさんあったりします。このように権限でわかれているという形がアメリカの連邦制です。
ドイツの連邦制はそのどちらでもなく、誤解を恐れずに言うと、内政面の多くの政策分野で、連邦がドイツ全体のルール作り、立法をやります。その際、州政府の代表が上院で法案審議に関与もします。そうして決まったドイツ全体での統一的なルールの下で、それぞれの州政府が実際の行政活動を担うのです。これが一番多い主流のパターンですが、外交・国防などは連邦の専権事項ですし、その逆に、内政で連邦政府に権限のない政策分野については全部州政府が決めるという形になります。
連邦政府に権限のない政策分野というと?
文化政策ですね。もっと具体的に言うと、学校教育制度です。
我々が高校3年生の時、忘れもしないベルリンの壁の崩壊が起こったわけですが、ドイツ社会にはどのような変革が起きたのでしょうか?
文化祭の直後でしたね(笑) 私もその時代直接ドイツに行っていたわけではないので、いろいろと本を読んで勉強をしているだけなのですが。よく言われるのは、壁の崩壊から数年経ち、統一の喜びが落ち着いてくると、東と西の経済的格差の大きさが、東の人にも、西の人にも、実感されるようになったことです。ドイツには福祉の制度がしっかりありますので、貧しい人の多い東に多くの福祉の資金が流れるわけですよね。
それを見た西の人からすると、東の人というのは「社会主義の時代は大変だったかもしれないけれども、統一した後も発展せずに福祉の恩恵にあずかっているだけ」という感覚。そして「福祉にどっぷり浸かってしまってなかなか働こうとしない連中」だという意識が生まれたということはよく言われますね。
日本の生活保護受給資格問題のようなものでしょうか?
批判の理屈はそうですね。ドイツの場合、それが地域的な問題とセットになって認識されるワケです。俗語ですが、東の人のことを指す「オッシー(Ossi)」という言葉があります。「東野郎」「働かないナマケモノ」というニュアンスが込められています。逆に東の人からすると西の人は「ヴェッシー(Wessi)」で、「西野郎」ですね。「金にモノを言わせて自分たちを見下すイヤなヤツら」という意味です。
皆が皆そういうわけではありませんが、そういう人々もいたということです。現在では統一から四半世紀以上経って、統計的には東西格差は小さくなってきています。それでもゼロではありません。完全にイコールになってはいないのです。
2005年のメルケル政権誕生に至るまでの経緯を教えてください
メルケルが政界の表舞台を上りつめていくところからお話ししましょう。
彼女の前の前の首相は、有名なヘルムート・コールですよね。東西統一の立役者でもあった。彼は非常に長く首相を務め、1982年から1998年まで5期16年首相をやった人ですが、彼が首相を長く続けられたのは、ひとえに彼の努力があったが故です。努力というのはいい意味悪い意味両方あって、どちらかというとここでは悪い意味なんですが(笑) 平たく言ってしまうと、自分に取って代わりそうなライバルを次から次へと潰して自分の権力を維持する。これに非常に有能だった人です。
身も蓋もない言い方ですね(笑)
事実なんですよ(笑) なのでライバルになりそうな政治家をどんどん蹴っ飛ばしていったが故に、自己浄化作用が失われて、最後には武器売買に絡む汚職まがいなことをやって、コールは名声と政治生命を一挙に失いました。また当時、そういう「汚れた」システムの中に、与党であるキリスト教民主同盟(CDU)は完全に組み込まれてしまっていました。コールが1998 年の選挙に負けて党首を辞任した後、後継となったヴォルフガング・ショイブレもその手の汚職話に噛んでおり、なかなかリーダーとして持ちこたえられない。その時に手を挙げてCDU 党首になったのがアンゲラ・メルケルです。
彼女は潔白だったと(笑)
はい。それまでのメルケルは、いうなれば「数合わせ」の都合で引き立てられていた面がありました。その際にポイントになった点は、東の出身であり、女性であり、そしてプロテスタントだという点です。それがどういう意味を持つのかを理解するために、ここでドイツ政治の基本的な構成要素と、そこに見られる力関係についてお話ししましょう。
さきほど連邦政府と州政府の話をしましたが、ドイツはいろいろな地域が集まって出来上がっている国です。しかも、地域だけでなく、カトリックとプロテスタントという要素が混ざり合っている国でもあります。