vol05.ついに勝利の時を迎えるのよ!

脱原子力 ドイツの実像

イツのHLW サイト選定に関し、あらゆる段階で” NO” が言える制度は、機能しないのでは?サイトは選定されるだろうか?

 委員会は現在、サイト選定プロセスに一回もしくは数回の市民投票を取り入れるべきかどうか議論を行っているわ。我々緑の党は、これまでの歴史から見て、地元住民の承認なしにはどの処分場も実現できないとわかっているの。あなたがおっしゃる通り、単純で二者択一的な「処分場は欲しいですか? Yes or No?」のような質問をすれば、答えは「ノー」に決まっているわよね。そこで緑の党では、地元住民がサイト選定が正当に進められていることを確認できつつも、完全に阻止することができないような、住民投票制度を求めているの。もちろんサイト選定プロセスにおいてはサイトの安全性が最優先だけれども、それと同時に、地元住民が少なくともそうしたプロセスを遡って調べ、理解し、貢献し、改善し、そしてサイト自体を容認できるようにする必要もあると思っているわ。

原子力政策のドイツ社会への影響についてどう思うか?
2011 年の前後で変化はあっただろうか?

 ドイツではずっと原子力に対する強い反発があったの。反原子力運動にとって、ドイツにおける(原子力から再生可能エネルギーへの)エネルギー転換の実施は重要なゴールなのよ。ドイツでは社会のみならず議会の中でも反原子力の声は大きかったわ。大都市や原子力発電所のゲート前では、大規模なデモが組織され、議会では反原子力のスピーチや論争が起こった。放射性廃棄物輸送をめぐる論争も、反原子力運動にとって恰好のターゲットだったわ。そうした廃棄物の移送が計画される度に、数千人がデモに参加し、非暴力的なやり方で鉄道や道路を封鎖したの。そうした抗議行動を繰り返して国内の注目を集め、メディアもそれを報道し、政治家たちは原子力発電を支持する理由を明らかにしなければならなくなったのよ。
 2010年4月に15万人が参加して、ドイツ北部の原子力発電所から北海沿岸の原子力発電所まで人間の鎖で繋いだの。2009年に発足したキリスト教民主同盟(CDU)と自由民主党(FDP)からなる連立政権が、原子力発電所の運転期間を延長しようとしたことに対する抗議だったわ。そして2011年3月に福島での悲劇的な原子力災害が起きて、ドイツではさらに多くの人が脱原子力を支持するデモに参加するようになったの。その時点になってドイツ政府はようやく原子力発電所の段階的閉鎖に踏み切ったのよ。当時はまだ17 基の原子力発電所が国内で稼働していたけれども、もうすでに9基は閉鎖されているわ。残る8基の閉鎖日程もきちんと決まっているの。いわゆる「脱原子力法」は2011年6月に、賛成=513、反対=79の圧倒多数で連邦議会で可決されたわ。
 閉鎖の順番は、原子力発電所の稼働年数と地域的な配置によって決められたわ。2017年と2019年に1基ずつ、2021年に3基、そして2022年に最後の3基が閉鎖される予定よ。2022年末までにドイツは原子力フリーを達成するの。ドイツの反原子力運動は40年にわたる戦いの末に、ついに勝利の時を迎えるのよ!
 これまでのドイツの選挙運動では、いつも原子力問題が争点として浮上していたわ。緑の党が出来てから、ドイツの有権者たちはいつも投票所で反原子力の票を投じることができたの。緑の党は誕生以来、脱原子力を目標のひとつに掲げているのよ。福島の事故の影響が初めて目に見える形で明らかになったのは、2011年3月27日に実施されたバーデン=ヴュルテンベルク州議会議員選挙だったわ。緑の党は飛躍的に議席数を伸ばし、ほかの政党はみな敗北したのよ。アンゲラ・メルケル首相が、連邦議会が半年前に可決したばかりの原子力発電所の運転期間延長を可能にする法律を一時停止したけれども、焼け石に水だったのね。福島の事故発生から2 週間が経過した時点で、緑の党だけが有権者にとって信頼できる存在になっていたみたいね。ハイテク寄りで企業に優しかったバーデン=ヴュルテンベルク州は、この選挙以来、緑の党出身の州首相が誕生してうまくいっているの。

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