浪江町
ふくしま ましまし浪江に焼そばがあってよかった
浪江焼麺太国 麺房長官
浅見公紀さん
2018年05月18日掲載
B-1グランプリでその名を轟かせたご当地グルメ『なみえ焼そば』。
浪江町の商工会青年部が2008年に焼そばを活用したまちおこし団体「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」を立ち上げたとき、浅見さんは地元の新聞社・福島民報社の浪江支局長だった。青年部のメンバーが友人であったこともあり、太国の活動を取材しているうちに「気がついたら自分が参加していた」という。
ソースのように真っ黒く日焼けした浅見さんは今では、「少しでも浪江町のために」と新聞社を退社し、太国の麺房長官(事務局長)に就任。町役場隣の仮設商店街にアンテナショップをオープンさせ、それこそ焼そばにどっぷりと浸かっている。
なみえ焼そばって?
──「なみえ焼そば」は、昔から浪江町にあったのですか?
歴史を紐解くと、60年前ぐらいからあると言われています。浪江町は一次産業(農業、漁業、林業)が盛んでしたので、労働者のために「安い材料で、腹もちをよくして」と豚肉/もやし/そして極太の中華麺。焼そばの専門店があるわけではなく、あくまでも食堂や居酒屋さんの1メニューだったわけです。
町民が浪江町の外で焼そばを食べたら、「何でこんなに細いの、これ、焼そばなの?」と訝ったという話があるぐらい町民には馴染みのあるもので、ソウルフードですね。学校給食にもなっていたそうです。製麺屋さんもありました。浪江焼麺太国が活動を始めるときに、外向けにということで「なみえ」をつけて、「なみえ焼そば」という名前になりました。
徐々に太国が理解されて、飲食店に太国の認定会員になってもらったりして、みんなで統一感を持った活動ができるようになったというのが大きいですね。今だとココを入れて全部で10店舗ぐらいかな。あとは移動販売の会員さんが4店舗ぐらい。
本来我々は、B-1グランプリなどのイベントに出展して浪江町をPRするというスタンスで、実店舗をやるという想定はなかったんです。ですが浪江町役場に隣接したこの場所に仮設商店街を作るとなったときに、なみえ焼そばを出す店がひとつもなかったんです。それはちょっとまずいよね、ということで、出店予定者やもともと町内で飲食店を営んでいた人たちの動向を見守っていました。
それで「じゃあ、自分たちでやりますか」ということでお店を出すことになりました。平日のランチだけの営業で、復興作業をされている方々や、役場に出張できた人たちにかなり多くご来店いただいています。
──浪江の役場に行ったら「なみえ焼そば」を食べる、私たちもそういう感じでした(笑)
おかげさまで、そういうふうに言ってもらえるようになってね。特に、最近は視察で来てくれる人たちも増えたので、そういう方々は、本当に1団体で30人も40人も来るんですけど、いかんせん、これ(16席)しか席がないし、調理してるのは僕1人なので。かなり待たせちゃう。
働き手が足りない
──浅見さん以外にもお店の人、何人かいませんでしたっけ?
今、アルバイトさんを6人雇用しています。1日2人ずつ、週2回から3回ぐらいずつで回しています。調理するのは僕だけで、アルバイトさんには接客や盛りつけをやってもらっています。鉄板、1枚しかないんで(笑)1枚の鉄板で1回に最大10人分ぐらい調理できるかな。
開店当初はフライパンでやっていたんです。数日は太国の麺バー(メンバー)も手伝いに来てくれましたし、フライパンや中華鍋でつくるというのが、もともとの食堂のスタイルでしたし。ですが、オープンからしばらくの間はお客さんが1日200人以上も来てくれて、2、3日で両腕がダメになりました。キツい。それで、大量調理できる鉄板中心の調理にしました(笑)
この仮設商店街自体は、町内での事業再開の呼び水にというのが目的の1つにあり、町が活性化してきた段階で、我々は次のステップに向かいたいという思いもあるんです。なみえ焼そばだけではなく、町の賑わいを創出するような事業展開など、帰還した町民の方たちと楽しめることもやってみたいですね。
でもね、アンテナショップに関わる太国の麺バーは数人で、まずは働いてくれる人を見つけるだけで一苦労なんです。うちのアルバイトさんはみんな浪江出身の人たちなんですよね。みなさん町外の避難先から30分以上かけて通ってくれています。浪江に思いを持って来てくれているから、やめることもないので助かっています。
──太国の麺バーは何人くらいいるんですか?
公称20人なんですが、県外に避難している麺バーもいますので。みんな仕事や家庭が最優先ですし、町内で活動していた震災前、震災後の数年間のように活動ができない状況になっています。避難先で生活を再建させようとすると、仕方がないことです。週末のたびに手伝いに行ったりすると、「母ちゃんに怒られる」って(笑)
だから、今だと本当に活動できているのは5~6人かな。それも結局、イベントがあれば一本釣りで電話して、「行けないか?」「じゃあ、行くべ」っていう感じでやっているので。やりたくないとか、やめたいとかじゃなくて、なかなかできない状況になってきています。でもこういう機会がないとなかなか集まれないので、たまには必ず集まります!
なみえ焼そばをつくるコツ
──つくるの難しいですよね。箱入りのお土産商品を買っても、美味しくつくるのが難しい。
家庭でもつくれる焼そばなんですよ。ただ1つ教えると、ソースを最後まで煮詰めるというのかな、水分がなくなるまで。それがコツ。普通だと少しシャバシャバしちゃうことがあるんですけど、それを本当にどろっとするまでずっとまぜ続ける。「肉を炒めて、もやしを炒めて、麺を入れて、ソースをかけてさっさっと回して出来上がり」みたいな感じでは、本来の美味しさが出せないと思います。
──ダメなんですか!?
はい。もう水分がなくなるぐらいまで。もやしからも水分が出てきますけど、もやしが多少くたっとなっても、ちょっとドロドロっとするまで。そこまでやってください。
箱入りだとラードが付いていますが、サラダ油を使うとかなり味が違ってきます。ラードのこってり感と、冷蔵庫にあるソースをちょっと足して、最後に麺の表面が溶けて、油とソースで乳化するというのかな、少しドロっとするような感じで、そこまでやるの。
素材は麺もソースもお店のものとほとんど一緒ですよ。ただ、ココのお店(アンテナショップ)だけは、南相馬市産の小麦を使っています。官民合同の6次化事業での取り組みです。もともと福島県産の小麦を使おうとイベントで試みたことはあるんです。風評の払拭のためにも福島県産品を、と意気込んで。ただ初期の頃は、福島県外のイベントで、「これは福島の食い物なんじゃないか」と詰め寄られたり、「福島のものなんか食うか」なんて言われたこともあったんですけど。今はそういうことはないですけどね。
なみえ焼そばの意義、のようなもの
──なみえ焼そばで、浪江町の名前がすごく広まりましたよね。
浪江といえば焼そばと、震災後に言われるようになったというのは、本当によかった。ほかの町の人たちからも言われます。浪江に焼そばがあってよかった。浪江町から全国に明るい話題を発信できたというのは大きいです。
町に有名人が来て、子どもたちと触れ合ったというのも、明るい話題としてもちろんありがたいのですが、町民側から明るい話題を発信できたというのは大きい。とにかく全国に明るい話題を発信しようと、一時はテレビにも出まくりましたからね。B-1グランプリでゴールドグランプリを獲得した翌日、麺バー数人が「めざましテレビ」に生出演して、素人で初めて「めざましじゃんけん」をやったんですよ(笑)
──麺バーのみなさんは、普段は何の仕事をされているんですか?
実を言うと、太国を始めた当初は飲食を本業にしている麺バーがいなかったんです。たまたまなんですけど、そのことでかえってやりやすかったですよ。「町のために」結束できた。
よく麺バーで言っていたのは、きっかけは「まちおこし」なんだけど、目的は仲間づくり。みんなでまとまってやろうよ、みたいな。また、そこに人がいっぱい来てくれるようになれば、そうすれば、ちょっと店を直すからといえば、工務店が助けるとか、エアコンを買うといえば電気屋が助けるとか、そういうので少しずつ町が広がっていけばいいねと。
2011年度に高速道路が開通する予定だったんです。そうすると、ストロー現象になっちゃう。みんな、いわきや仙台に行っちゃって、浪江におりる人なんかいない。仙台-東京がつながっても、浪江は通過点になっちゃうだけので、なんとか途中で降りてもらうような企画をというワケ。それで焼そばを使ってまちおこしして、みんなでB-1グランプリに出ようって。
実際は「まちおこし」と言っても、おこすまちに帰れなくなっちゃったから、せめてまちを残していこうと。その「まち残し」の段階から、今度は新たなまちづくりに移行してます。このお店を核にして、再スタートと。我々でやれることって、焼そばを出すぐらいしかないんですけど(笑)
──なみえ焼そばはブランドになりましたね。
北海道の大学生をヒッチハイクでちょこっと乗せたことがあるんです。部活の遠征で静岡へ行った帰りに北海道までヒッチハイクして帰るそうで。そのとき「おれは浪江だよ」と言ったら、「あっ、知ってる!なみえ焼そば」って。
「浪江といえばなみえ焼そば」、そう言ってもらえるようになりました。これからもこのブランドを守って育てていこうと思っています。でも、最後の最後にこんなこと言っちゃダメだとは思うんだけど、自分はめったに焼そばを食わないんだよね。毎日、つくってるんで。
焼そばは必ず味見をするようにしてるんですよ。でも、一人前は食わなくていい。
──それ、言わなくていいです(笑)
photo: 加藤芽久美
text: 石井敬之