葛尾村
ふくしま ましまし葛尾、大好きです。
(有)ふるさとのおふくろフーズ 代表
松本富子(ひさこ)さん
2018年01月26日掲載
葛尾村では凍み餅を食べて、天明・天保の大飢饉をしのいだと言い伝えられている。おふくろフーズは地域の伝統食である凍み餅を後世に伝えようと、1990年に農家の主婦6人で始めた会社だ。凍み餅は、もち米に山野草の「ごんぼっぱ」、ヨモギなどを混ぜて蒸して作る。できあがった餅を12個ずつ紐でくくったものが、1連だ。評判は上々で震災直前は8,800連ほど作ったが、全村避難で廃棄せざるをえなかったという。
富子さん:
凍み餅は手間がかかりますから、作る人がいなくなっちゃった。でも命をつないだ凍み餅ですから、私たちで守りたいと思ったの。それがそもそもの始まり。仲間たち6人で始めたけど、周りのおばあちゃん方が、ごんぼっぱを山から採ったり畑で作ったりして、協力してくれたの。
たとえば「老人クラブの旅行あっから、ごんぼっぱ、持って行っから」って電話が来るの。そのごんぼっぱをおふくろフーズで買い上げると、おばあちゃんたちのお小遣いになるのです。するとおばあちゃんたち、「また来年も買っておくれ」って。それが口コミで広がって、ごんぼっぱとか、ヨモギとか、それこそいっぱい集まったから8,800連も作れたの(笑)
ごんぼっぱはね、ゴボウの葉っぱに似てるから、それで、ごんぼっぱ。本当の名前はキク科でオヤマボクチというの。
「帰還困難区域」を除いて避難指示が解除された2016年6月、以前の加工場はその機能を果たせなくなったので解体した。そして2017年2月に新たな加工場が完成し、6年11か月ぶりに生産および販売を再開した。富子さんは2017年11月まで三春で避難生活を送っていたが、今は家族で葛尾村に帰還した。
富子さん:
前の加工場を壊して、その後にこの新しい加工場を作ったの。どうせ始まるんなら、新しいとこで始まりたいと思って。避難して最初のころは、先が見えないものだから不安で仕方なかった。いつ帰られるかわからないと思ったし。
避難している間もずっと、絶対再開するんだって思ってました。そして再開するときは、葛尾村のこの場所で始めたいと思ってたの。思い出がいっぱいありますからね。
富子さん:
その人形「しみちゃん」って言うんです。ゆるキャラなんです。郡山女子大の生徒さんたちが作ってくれたの。
裕子さん:
郡山女子大の先生や生徒さんたちにはそのほかにも包装紙とか、凍み餅の食べ方まで、いろいろアイデアを出していただいて。若い人たちにも広めようとしてくださった。やっぱり若い人のアイデアって大切ですよね。
設備も新しくなって生産を再開した凍み餅だが、今度は肝心のごんぼっぱ不足で十分な数が生産できていない。2017年は1,000連しか生産できず、1週間で完売してしまったそうだ。
富子さん:
凍み餅を待っていてくれていたお客さんには申し訳ないけど、今は原料が集まらないの。山に生えているものは「取ってはいけない」というし、畑は除染して綺麗になったんだけど、ごんぼっぱが摘み取られてなくなっちゃったの。ごんぼっぱが採れないから入れる量を減らす、なんてことできないでしょう。やっぱり今までどおりの味にしていきたいし。おふくろフーズの凍み餅は、ヨモギとごんぼっぱが入っているからおいしいって言われているの。
裕子さん:
原料を一つ一つ検査しています。検査があっての商品なので、安全と思ってはいるんですが。自信がないと販売できないもんね、本当に。自分が食べれない物はみんなに売れないしな、お母ちゃん。
富子さん:
凍み餅は、冬に40日ぐらい干すんです。凍った状態で。今までは夜、外に干して凍らしてたの。それが今じゃ、おっかなくて外に出せないの、イノシシが家族で来るから(笑)。もうやられたら困りますからね。今では中で干してます。
富子さん、葛尾村のいいところってどんなところですか?
富子さん:
なんていうか、ホッとする。あと、空気が違うの、感じる風が。そうすると、なんかホッとして、思いっきり深呼吸したくなっちゃうの。新緑のころもキレイだし、秋は秋でキレイだし。
若いころは、都会に行きたいと思ってたこともあったけど。今は全然、都会に行きたくない。
葛尾村で生まれて、ずっと葛尾村で暮らしてきました。だから葛尾、大好きです。もちろん旅行は行ったことありますよ。でも、戻って来ると、ここが一番。
戻って来るところがあるから、旅行にだって行けるんだけどね(笑)
photo & text: 石井敬之