BER2018 高校生スペシャルセッション

ふくしま ましまし

放射線の“平熱”の感覚を身につける

大阪春の陣「放射線について話し合おう!」

2018年04月04日掲載

──東日本大震災を風化させないためにはどうしたらいい?
 
 このような問いを投げかけ、自分たちの言葉で意見を戦わせたのは中高生たちだ。
 
 大阪で3月21日、「放射線の生体影響に関する国際会議(BER2018)」[1]日本学術振興会 研究開発専門委員会「放射線の生体影響の分野横断的研究」 https://www.jsps.go.jp/renkei_suishin/index2_3.html … Continue readingのサイドイベントとして、『大阪春の陣』と題し、放射線をテーマに中学生/高校生たちが意見を戦わせるセッションが開催された。集まった中高生はタダの中高生ではない。みな放射線に関する基礎的な教育を受け、実際に身の回りの線量を測定するなどして、感覚的に放射線を理解できるようになった中高生であり、なおかつ、みずから福島と放射線の問題に積極的に挑もうとする中高生だ。もちろん福島県からも2校が参加した。
 
 集まった32人の若い論客たちを相手に議論を仕切ったのは、“あの”角山雄一先生[2]京都大学放射線同位元素総合センター助教 放射線を学ぶカードゲーム「ラドラボ」生みの親 http://tansan.hatenablog.jp/entry/2015/11/20/120709 。そしてこの舞台を用意したのは、日本物理学界の重鎮・坂東昌子先生[3]NPO法人あいんしゅたいん理事長 京大湯川研究室出身の物理学者、日本物理学会会長も務めたである。
 
 それでは早速高校生たちの討論の様子を覗いてみよう。その前に冒頭の質問だ。オトナの皆さんも自分の頭で考えてほしい。
 
 「東日本大震災を風化させないためにはどうしたらいい?」

References

References
1 日本学術振興会 研究開発専門委員会「放射線の生体影響の分野横断的研究」 https://www.jsps.go.jp/renkei_suishin/index2_3.html が大阪大学核物理センター等と協力し開催
2 京都大学放射線同位元素総合センター助教 放射線を学ぶカードゲーム「ラドラボ」生みの親 http://tansan.hatenablog.jp/entry/2015/11/20/120709
3 NPO法人あいんしゅたいん理事長 京大湯川研究室出身の物理学者、日本物理学会会長も務めた

 議論の口火を切ったのは、福島の高校生からの問い掛けだった。──「みなさん、放射線について学ぶ以前は、放射線の何が恐かったですか?」
 
 これに対する学生たちの回答を、いくつかランダムに並べてみよう。
 
「メディアや周りが騒いでいるのに、自分では何もわからなくて、得体が知れなくて恐ろしかった」(京都)
「放射線が黄砂のように飛んでくるんじゃないかとか、保護者たちが騒いでいるのが恐かった。放射能と放射線の違いもわからないまま恐がっていた。」(兵庫)
「毎日放射線の数字だけが飛び交い、異様な事態に思えた。何が恐いのかわからないけれど恐いということだけは伝わってきた」(東京)
「チェルノブイリ事故について本や映像番組で勉強し、放射線の影響は胎児や乳幼児に特に影響が大きいというのを知り、将来にわたって長く悪影響が出るのだなと恐くなった」(東京)
「買い物に行かされた時、親から福島産の野菜は避けるように言われ、放射線にはそれだけ影響力があるのかと感じて恐かった」(兵庫)
 
 多くの学生が「放射線について無知であるがゆえの恐怖」を指摘し、オトナたちの大混乱ぶりを肌で感じ「何が恐いのかわからないけれど恐い」という状況に置かれたようだ。
 
 福島の学生たちの回答はさらに切実だ。
 
「目に見えずすぐに影響が出ないから、たとえ将来に影響があったとしてもわからないのが恐かった」
「メディアが騒ぎ、それにつられて親が騒いで『外に出るな』と言っていたのが恐かった」
「ニュースで初めて放射線と言う単語を聞いたので、福島県にしか存在しないもののような印象を持ち、恐かった」
「メディアで恐怖を煽る映像をひたすら流されるのが恐かった。自分の住んでる町が安全だと説明されても、原発が爆発する映像を何回も何回も流されたので、それが頭に残って恐かった」
 
 そして全員がこう言う。「放射線について学んでからは、もう恐くない」。
 
 これが角山先生が目指す“平熱の感覚を身につける”ということなのだろう。

 その上で議論は、福島の高校生が提起した「広島長崎のように震災の記憶を風化させないためにはどうしたらいいか?」というトピックに進んでいく。学生たちは自分の周囲の無関心層を念頭に、「私だったらこうする」と独自のアイデアを披露した。
 
 ある兵庫の高校生のアイデアはこれだ。
 
「風化させないために学校教育、特に義務教育で取り入れる。それだけではダメで、さらに希望者には自主的に学び発表する場、イベントのようなものを用意する」
 
 これに対し、次のような意見が出た。

 

  • 実際に福島県内の小中学校で放射線教育が行われたが、ちっとも身についていない。私自身は高校から学び始めたが、小中で学んだことはほとんど忘れてた。中学校でやったかもしれないが授業のワクが1時間しかなく、ヘタすると受験との兼ね合いで省略されることも。(福島)
  •  

  • 広島の場合は原爆が落とされて悲惨な状況を伝えようという感じだが、福島の場合は地震・津波だけではなく、放射線の問題や避難の問題など一筋縄ではいかない問題が多い。理解する前提知識として、サイエンスとしての放射線の知識が必要となる。基礎がないまま応用問題をやるのは無理。(福島)
  •  

  • 福島の問題は科学的な側面から見る必要もあるし、社会的な側面から見る必要もあるし、人の感情という側面から見ることも求められる。問題そのものが複雑に入り組んでいる状態だ。そんな複雑な問題を小中学生に教えても、はたして理解できるのか疑問。(東京)
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  • 原爆はアメリカに落とされたという戦争的悲惨さがあるが、原発は日本国内の不祥事と言う意識があって歯切れが悪い。(兵庫)



 
 こうした意見に、提案者は次のように力強く反駁した。
 
 「理解できないからやらないという考え方ではそれこそ風化が一番進むだろう。また、国内の不祥事というイメージが強いというならばなおさら、日本の中で始末を付ける必要がある」と。
 
 ここで東京の高校生が変化球を投げる。
 
 「そもそも何を風化させないべきなのか?──事故が起きたこと?事故が起きて学んだこと?事故が起きて恐かったこと?」
 「地震が来て、津波が来て、原発が壊れたという一連の流れがあるが、この流れ全体を風化させないのか?それとも放射線問題についてのみ風化させないのか?」
 「そもそもなぜ風化させたくないのか?広島長崎ならば、二度と戦争しないために風化させないという明白な理由がある。福島の問題に関し、風化させないことによって何がしたいのだろうか?東日本大震災で起きた原発事故を繰り返さないために風化させないのであれば、原発の安全設計を見直した方が、原発事故による被害の話を語り続けるよりも効果的ではないか?」
 
 これはとても本質的な問題であると同時に、なかなかオトナでは斬り込みづらい問題である。
 
 福島の高校生は次のように説明する。
 
 「なぜ風化させたくない? 私個人としては、万が一に原発事故が起こってしまったときに、今回のように事故後に出てくる被害、風評被害とかいうものを最小限に抑える方法を見つけて、それを次に活かしたい」
 「仮設住宅の人とお話をするボランティアをやっているが、避難された方たちはひとりひとりがストーリーを持っていた。かれらが伝えたいのは、何が起こって自分たちが今そこにいるのか、ということ」
 
 それでも東京からは「風評被害であれ、被害者の感情であれ、結局感情から始まって感情に終わるもの。事故が起こった技術を改善していくというのが義務だろう。人が起こした過ちは人が落とし前をつけるべきだと思う。感情を伝えても残るものは感情しかないわけだから、それを伝えたところで得るものがなにかわからない」と、なおも疑問が提示される。
 
 
 それに対し兵庫の高校生は「先ほどからの東京の方々の意見はすごく合理的。──対策をして安全にしてしまえば、ほかの感情論は要らないんじゃないか。まず事故を発生させないことを大切にする。──それはもちろん大事だとは思うのですが、では安全になればそこで全員が安心感を得られるかといえば違うと思う。おそらく今回の一件で日本中が危機感を覚えた。安全がどれほど進んでも事故が起こる可能性はゼロじゃないってことを踏まえると、この危機感を伝えていかなければ、なかなか完全なる対策さらなる改良を考えようっていう意識が向かないような気がします」「今どれだけ対策したとしても自分たちが想定したこと以外のことが起きたら絶対に事故が起こってしまうだろう。その事故が起こったときにどうするかというときに、被害に遭われた人の話を聞いておくことは大事だと思う。感情論と言うが、もし自分がそういう立場になったときにどう思うかということは、絶対に知っておいたほうがいいと思う」と応じた。
 
 この一連の議論の流れには大変な説得力がある。なるほど、風化させないことと、次への対策は別々に考えるのではなく、同時進行させるべきものなのだろう。

 ここで議論は、どうやったら風化させないかということに戻る。大いに場を盛り上げたのが、SNSを使い情報発信するというものだ。
 

  • YouTube広告を流して、毎日見るたびにイヤでも見ざるをえない状況にしたらいつでも思い出せるし、忘れられないと思う。今はテレビ離れがあるので、YouTubeだったら小学生でも見るし、幅広い世代にアプローチできる。放射線というと小難しいし自分には関係ない、と思っている人にも伝えなければいけない。見ざるをえない状況に置くのが大事だと思う。(京都)
  •  

  • 広島では原爆ドームが記念館になってる。福島でも原発の壊れている部分を残して、修学旅行生に見てもらうのもいいかな。他県の人や外国の人が来てくれるツアーとか。また福島県の高校生だから出来ることを考えてみると、外国人とかをターゲットに考えると制服をアピールすればいいのではないか(笑)福島県の高校生が制服を着て県内各地を回り、写真を撮ってInstagramにアップする。(福島)
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  • 現代は携帯電話ひとつで世界にも発信できる時代。Twitterでも普通の高校生がRT数万という例もある。ただ恐いとか、ただこういう事故があったと伝えるのではなく、伝え方を工夫することで知ってもらうことが出来るのではないか。日本語だけではなく、英語やフランス語でも発信する。(京都)
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 特に最後の「伝え方を工夫する」ことに関し、福島の高校生から以下の指摘があった。
 

  1. 高所恐怖症の人がなぜ高いところが恐いのか?落ちたら痛いから恐い人もいれば、下を見たときに建物が小さく見えるから恐い人もいる。人それぞれの理由がある。その人の不安にアタックするような説明がなされないと、不安は解消されない。「落ちたら痛い」と思っている人に「ここから見える景色って最高」という話をしても解決にならない。「安全対策がなされてるよ」とか「建物の構造的に崩れたりしないから大丈夫だよ」という話をするといい。このように人に説明するときに、どういう説明をしたらこの人は納得してくれるだろうということを考えようと思う。
  2.  

  3. 科学者や専門家ではない学生という立場を活かして、通訳のような人になろうと思う。専門家が言ってることをそのままお父さんお母さんに話しても絶対にわからないから、まず私たちが専門家が何を言っているのかをしっかりと理解し、それをわかりやすく簡単な言葉で説明してあげる。科学的な目線で理詰めで説明するのではなく、相手の不安に寄り添うような説明を簡単な言葉で発信したい。


 
 くり返すが、これは原子力関連団体広報関係者会合ではない。中高生の会合である。正直なところ、ここまでレベルの高い議論が展開されるとは思ってもいなかった。
 
 角山先生は彼らのディスカッションを捌きながらくり返しこう指摘した。「現代は自分で情報を取りにいける時代なのだから、メディアのせいにはできない」「いつかみんなもメディアや政府の側に行くかもしれない。私だったらこうしたい、将来オトナになったらこうしたいというのを考えてほしい」と。こうした助言も、中高生たちを鼓舞したのかもしれない。
 
 そして、傍聴していて感じたのだが、中高生が言うと説得力がある。角山先生は「コドモが測ったデータは、オトナは信じる」と言っていたが、それもわかるような気がした。

角山雄一先生:
 オトナにね、「0.5μSv/hってどれくらいですか?」って聞いてもほとんどのオトナはわからないでしょ。それがマズいと思っています。普段の暮らしの中の放射線から始まって、ちょっと高いとどれくらいとか、福島だとどれくらいとか、どれくらい浴びたら死ぬとか、広島長崎とか。ああいう線量の感覚が日本人全体に欠如しているのが非常にマズいと思っているんです。
 
 ここにいる学生たちは「ゆりかもめプロジェクト」(中高生が線量計を用い、自らの手で自然環境放射線の測定を行ない、数値を地図上にマッピングしていくプロジェクト)に参加しています。自分たちの手で線量を測って、日常空間の放射線を当たり前のようにわかってもらうのがねらいです。平熱がわかれば、微熱か高熱かわかるでしょ。その平熱をみなさんにわかってもらうことからスタートしたんです。
 
 そしたら福島の先生方とかものすごく熱心だし、京都女子高なんかも毎年、放射線に関する何か話題を2つ3つ選んで、自分たちでディスカッションする時間を作ったりして、自主的に学校で取り組みを始められているんです。それをわれわれは拾い集めて、坂東先生のお力と人脈をお借りして、この際みんな集まってワッとやろうよ、というのが今回の「スペシャルセッション」なんです。

 
 事前に各学校の先生方と約束していたことが2つあります。

     

  • 1.オトナは傍観するだけで絶対に口を挟んではいけない(議論を散逸させないために最低限の交通整理はする)
  •  

  • 2.今回のセッションだけで早急に答えを求めるような議論にはしない


 
 この2つの約束がうまく作用したように思います。そして何よりも、参加してくださった学生さんたちのモチベーションの高さに助けられました。
 
 「ゆりかもめプロジェクト」で測定器を配ったときに面白い現象が起きたんです。「福島のモニタリングポストの数字は、なんかおかしいんじゃない?」とか言っていたオトナたちでも、コドモが測ってきたデータはみんな信じるんですよ。コドモが測ったデータは、オトナは信じるんですね。そういった副産物もありました。今では高校生だけでなく小中学生も「私たちもやりたい」って言いだして。そうするとそのまた親御さんという風に、コドモを中心とした波及効果があるんです。まだ小さな取り組みなんですが、こういう輪をどんどん広げていけたらな、と思っています。

坂東昌子先生:
 一言で放射線と言っても、科学者の間で分野が違うと意見がまったく違うんです。特に医療分野と放射線防護分野では、同じ数値に対してもあまりにも評価が違いすぎるので、そこのところをなんとかしないといけないなと。医療ではものすごい量の許容量を許して、防護では極端に小さな量しか許さないという、そういう状況はよくないんじゃないかと。
 
 放射線がコワいかコワないかの問題じゃなくて、どれくらいコワいかというのを言わなあかん。全然コワないなんていうたらダメですよねぇ。逆にものすごくコワいと言うてもダメですし。この数値やったらどうなんかというのがわかるようにならなあかんし。そういうところをきっちりやってかなあきまへんな。
 
 低線量放射線の評価に関しては欧州が進んでいます。ワイズさん(Wolfgang Weiss博士 UNSCEAR元議長)が日本へ来られた時にお話したんですが、ワイズさんは「この福島の問題は放射線の影響というのもあるかもしれないけれど、それより大事なのは科学の信頼が失墜したことや」と言われたんです。「これを回復するには放射線の問題が回復するよりも、長いことかかんねん」と。
 
 放射線の生態影響についての知見は、今後の人類とエネルギーとの関わり合いだけでなく、宇宙への進出、がん研究や放射線治療への応用など、幅広い活動への基礎となる大切な情報です。しかし、こうした基礎科学をやる研究室がどんどん少なくなっていますし、研究費も極端に少ないのが現状です。これはもう福島第一事故を経験した日本がやるべき重要な課題ですから、国のサポート体制を確立しないと。
 
 日本はね、目先の除染だけを一所懸命やってます。もっと先を見据えにゃいかんって思ってます。

photo: 角山先生提供
text: 石井敬之