チェルノブイリ原子力発電所事故から30年――“世界の原子力安全のためのチェルノブイリの遺産”国際フォーラムに参加して(その2)
(国際会議でのプレゼンテーション)
2日目の4月22日が実際の会議の日である。会場は国立キエフ工科大学の大ホールで、1500名収容のホールは、政府要人、研究者、メディア、学生、一般公衆のほか、海外約30か国(主催者発表)からの幅広い参加者でほぼ満席であった。ただ、日本からの参加者は限られており、一部のマスコミやNGOの関係者のほかは我々JAEAグループだけであった。冒頭、ウクライナ科学アカデミーのパトン総裁が歓迎の挨拶をした。私の後任の日本の角(すみ)大使も、挨拶の中で今回の国際会議の意義や期待を述べた。プログラム全体では、4つのセッションに分かれ、計14名が登壇し、海外からは欧州復興開発銀行、日本、ポーランド、中国、米国、独から講演があった。その他はウクライナの科学アカデミーなどの主要な科学者や新シェルター建設の責任者の技術者などが講演した。
私の講演は第一セッション(チェルノブイリと世界の原子力安全の新戦略)の2番目だった。モデレーターはクラフチューク元大統領が務められた。最初の講演者はG7等からの財政的支援を基に新シェルター建設資金等を拠出している欧州復興開発銀行のノバク原子力安全局長である。同局長を含め多くの講演者はチェルノブイリ事故に関する経緯、今後の対応方針、技術的報告などを包括的に取り上げた。私の講演のタイトルは「世界の原子力安全の国際的な保証を求める国際社会」(International Community in Search for International Guarantees of the World Nuclear Safety)というものである。今年が福島事故5周年ということもあり、20分余のプレゼンテーションでは、福島事故に多くの時間を割いた。その内容は、
(1)日本のチェルノブイリ事故へのこれまでの支援と協力、
(2)福島第一原子力発電所事故の発生経緯、
(3)福島事故への対応と福島の復興・再建、
(4)避難地域の決定・再編と除染の進展、
(5)原子力損害賠償の仕組み、
(6)福島事故に関するIAEA報告、
(7)福島事故炉の廃炉作業、
(8)JAEAが関与する廃炉のための研究開発、
(9)福島事故後のエネルギー政策における原子力発電の位置づけ、
(10)ウクライナと日本の原子力発電所事故後対策推進のための協力、
(11)結論―世界の原子力安全向上への貢献、
などである。
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私の一番重要なメッセージは、「過酷事故を起こしたウクライナと日本は、世界の原子力安全の向上のために協力し、積極的に貢献する共通の道義的責任と使命がある。そのために、事故への対応から学んだ教訓、事実そして技術を体系化し、世界と情報共有しなければならない。過酷事故マネジメントへの反映は特に重要である。」というものである。また、個人的な考えとして、「原子力発電所を持つ国は万一に備えて、仏の原子力事故即応部隊や日本の原子力緊急事態支援組織のような国内緊急時対応チームを設置すべきである。実際にいずれかの国で事故が発生した時には、各国の国内緊急時対応チームが事故発生国に派遣されて、全体として国際原子力緊急支援部隊(仮称:INEST)、いわば原子力緊急事態版国連PKOチームのような活動をすべきではないか」との提案もした。各国チームの役割はもし必要があればIAEAが調整することが考えられるとも指摘した。
チェルノブイリでも福島でも分かったことは、一旦原子力発電所事故が起これば、それは直ちに深刻なグローバルイシューとなることだ。従って、原子力発電を利用する国は共に事故の沈静化と収束に協力すべきだと思う。チェルノブイリ事故直後の5月4日と5日に中曽根康弘首相(当時)の下で東京G7サミットが開催され、チェルノブイリ事故を踏まえて、事故の早期通報条約と各国間の相互緊急援助条約を策定する必要性を謳う特別声明が出された。実際にその後IAEAの下、加盟国間でこの2つの条約が交渉され、翌1987年には発効した。INESTは後者の条約を一部改正して位置付けることができるのではないか。
(参加者全員による宣言)
第2セッション(人類に対するチェルノブイリの遺産:技術上の、人道上の、そして国際的な側面)、と第3セッション(破壊されたチェルノブイリ4号炉の未解決問題への最終的な対応策)の後、最後の第4セッションで主催者や後援機関から代表が登壇し、会議の結論をまとめ、参加者全員による宣言が採択された。参加者はチェルノブイリ事故について、放射能汚染の影響を受けた国にとってはなお深刻な問題であり、地域や国内の問題に止まらず、地球規模の問題であるとの認識の下に、以下の宣言をまとめ、今後関係各国に提出することを決めた。
(1)原子力安全のための措置の実行が、引き続き原子力分野のあらゆる活動の中でキー・プライオリティでなければならない。このための質の高い人材養成システムが高等教育の優先順位であるべきだ。
(2)IAEA加盟国としての義務に従い、原子力に関する正当な国内法に従った利用等は、原子力安全文化を順守するために必須かつ不可欠の要素である。
(3)チェルノブイリ原子力発電所と福島原子力発電所による災害、及び自然災害は、世界が原子力安全の基準を上げる必要があること、原子力発電所事故や緊急事態への迅速な対応力を上げねばならないこと、そして大規模な自然災害に起因する原発事故等への迅速な対応が必要不可欠であることに高い関心を持つべきことを示した。これらの災害は、国際社会による共同の努力によってのみ原子力安全を強化できることを示す。
(4)チェルノブイリ事故の被災者のニーズを満たしつつ、今後の目標を達成するには、複雑なプロジェクトの優先順位を決めて実行し、国内及び国際的なパートナーとの協力を進めることが必要である。
この宣言には、私が講演で述べた趣旨がかなりの程度反映されている。福島の過酷事故を起こした我が国は、唯一の原爆被爆国と言う立場でもある。このような国は世界に存在しない。そのことを考えると、「世界の原子力の平和利用に関する安全性」の格段の向上に貢献するとともに、「核軍縮・核廃絶」の実現に率先してイニシアティブを発揮しなければならない。つまり、「より安全な世界」を創るために最善の努力をすることが、我が国に与えられた特別の使命と責任であると自覚すべきだと思う。
(原子力安全と廃炉に関わるウクライナとの協力)
講演の最後に強調したのは、やはりウクライナとの協力である。今回の国際会議のテーマである「世界の原子力安全」への両国の貢献、そしてこれから本格化する事故炉の廃炉への取り組みにおいても協力が重要だ。両国にとってそのやり方や時間軸には違いがあるだろうが、ともに避けられない解決すべき課題である。
JAEAは福島第一原子力発電所の20km圏内に廃炉国際共同研究センター(CLADS)の国際共同研究棟、大熊分析・研究センター、楢葉遠隔技術センターという3つの研究施設を設置しつつある。これら3施設は廃炉技術に密接に関係し、その成果が福島に応用できるか否か、役に立つかどうかが試される。福島県が建設する環境創造センターと福島ハイテクプラザは環境回復に関係し、JAEAはその活動にも協力することにしている。ウクライナにとっても、新シェルター設置後の100年間にチェルノブイリ4号炉の安定化や廃炉にどう取り組むかは非常に困難だが最善を尽くすべき課題である。その意味で、この分野で両国が助け合う協力が進展することを心から願っている。
幸い、同行してくれた2人の研究者が、別途ウクライナ科学アカデミーの原子力発電安全問題研究所(ISP-NPP)と2日間に渡って会合し、福島とチェルノブイリの廃止措置研究等について今後の協力を進めることを合意した。この協力は、JAEA側ではCLADSが窓口になる。ISP-NPPの有するチェルノブイリ事故炉の燃料含有物質(FCM)のデータの蓄積やその測定・分析法などは、JAEAにとって福島の燃料デブリの特性把握への活用に有用ではないかと思われる。ISP-NPPにとっても、JAEA側で開発される遠隔操作の高度なロボット技術などはチェルノブイリ事故炉の廃炉や安定化の作業に役立つのではないかと期待される。両国がこれらの成果を世界に発信すれば、結果としてこの協力は、廃炉に取り組む必要のある世界の原子力発電を利用する国にとっても大変有用なものになるのではないだろうか。(続く)
チェルノブイリ原子力発電所事故から30年――“世界の原子力安全のためのチェルノブイリの遺産”国際フォーラムに参加して(その3)