コラムSalonから 道と辻

2018年7月2日

 今、福島第一原子力発電所近くの国道6号線沿いを車で走っていると、ちょっと変わった林を目にします。同じ種類の灌木(恐らくトネリコの一種と思われます)が延々と続いているのです。高さも全てそろっていて、まるで樹木畑のように見えますが、そうではありません。これが、震災以来人の手の入っていない休耕田の今の姿なのです。

日本医療研究開発機構(AMED)臨床研究・治験基盤事業部 臨床研究課 越智 小枝 氏

東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師  越智 小枝 氏

 「この木の根を掘り返して元の田んぼに戻すことは可能なんですか?」
 私の問いに、案内をしてくれた方は首を横に振りました。
 「年月が経って、帰還のしかたは数年前と全然違います。そういう今だからこそ、丁寧な話し合いが必要なんです。だけど、人と対話するような支援は、どんどん減っていますね。」
 たしかに今の浜通りでは、個人が関わるような地道な活動より、大規模な街づくりや産業復興を指すことが増えてきたように思います。大勢の人が活動の場を与えられることは喜ばしいことです。しかしそれと同時に、復興が「人」という一番大切な要素を取りこぼしつつあるのではないか。そう感じるのは私だけではないでしょう。 

狭まる復興の姿
 1つの原因は、復興という言葉に過剰な未来志向が含まれ始めたことにあるのではないか、と思います。復興は前向きでなくてはいけない、上向きでなくてはいけない。いつの間にか復興は、敷かれたレールを同じスピードで走らされるようなものに変化している気がします。
 「不幸をなかったことにして、『福島はこんなに明るいんです』と言われると、すごく馬鹿にされたような気分になる」
 震災の後、様々な困難を乗り越えた女性が先日漏らした言葉です。復興当初から風評払拭に尽力されてきた彼女の言葉は、単に「不幸を忘れられる事」に対する不満ではありません。避難された方一人一人と丁寧に対話をしてきた彼女にとって、この7年間の活動をべったりと塗りつぶしてしまうような一部の急速な復興活動が問題と映っているのではないでしょうか。
 「高齢化ってあんまり騒がれると、帰還してきた自分たちが悪いような気になる」
 「なんか頑張れ、頑張れ、って、お尻叩かれてるみたい」
 高齢者の間では、そのような声も聞かれます。地域に若者が入ってくるのは有難い。でも全てを若者のペースにすることで、復興はむしろ窮屈なものになってしまってはいないでしょうか。

日常力
 「30年後の福島を見据えて、今やれること」
 ある復興イベントで参加者にこのような質問をしたところ、
 「毎日ご飯をつくること」
 と答えられた方がいます。この言葉は他のどんな「戦略」よりも印象深く私の心に残っています。
 被災地において、「普通に暮らす」こと。これは震災当時から多くの方の悲願であり、かつ最も大きなチャレンジでした。 経済力も、人口も、将来性すら失う中、災害時にこの平和な日常を保ち続けることのできる力。誰よりも先に被災地へ戻り、復興に尽力されてきた方々からその力を学ぶ事こそが、高齢化する日本社会を支え得る、大きなイノベーションなのではないかと思います。
 しかし今浜通りで聞かれる「イノベーション」という言葉は、このような形のチャレンジは奨励していない、と感じます。決まった枠組みの中での新しさしか認めない、都会の勝ち組、負け組思想がこの浜通りにも持ち込まれているのではないか。私はそれを非常に懸念しています。

道と辻
 年々変化する被災地において皆の回復力や価値観の差も大きくなる中、今、この7年間で人々が歩き続けてできた道は、その様相を変えつつあります。今の浜通りでは、道を進む人もあり、戻る人もあり、走る人もあり、歩く人もあります。時には立ち止まってじっと過ごされる方や、人との出会いから行き先を変える人もあるでしょう。今の復興とはむしろ、人々の交わる「辻」のようなものではないか、と思っています。先頭を切る人が拓く道ではなく、交わることにより様々な色が生まれる辻としての復興。その中に一人一人が日常を送れる居場所を作れること、それこそが災害大国日本が世界に示すことのできる一番の力であり、イノベーションなのではないでしょうか。
そのような形のイノベーションの根底を支えるのは、毎日の食事であり、友人との会話であり、あるいは崩れない道路であり、倒れない建物であり、営業を続ける店やサービスです。
 ”Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.(人としてなすべきことを成すために意欲的であれ。)”
 このクラーク博士の言葉を、今の浜通りの住民の方ほど実現している人も少ないでしょう。7年間で深く根を張ったものは、休耕田だけではありません。全く変わってしまった新たな土地に人々が作り上げた日常、その根の深さを理解し、尊重するところにこそ、新たな挑戦があるのではないかな、と思います。