特集「震災から5年~福島の復興と再生に向けて」 坪倉正治医師/東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門

2016年3月25日

 原産新聞では特集企画として、東日本大震災から5年が過ぎた福島から、復興に向けて前向きに取り組んでいる方々の声を紹介する。インタビューシリーズ1回目は、東京と往復しながら相馬中央病院と南相馬市立総合病院で診療を続ける坪倉正治医師に話を伺った。

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Q:福島第一原子力発電所事故から約5年を迎える。放射線に対する意識について、福島県ではどのような変化があったと感じているか。

A:放射線について、日常生活で話題となることはあまりなくなった。相馬市周辺では現在、特に放射線について気にしなくても普通に生活できている。放射線検査に来る人の数は減り、興味も関心も薄れている。
 しかし、放射線に関しては不安が消えたというわけではなく、知識の底上げがされたというわけでもない。逆に不安を何とか乗り越えようとする中で、もう触れたくない問題として対処してきた面も多いのだと思う。

Q:先生は、震災前は東京で血液内科の医師として働いていたとのことだが、2011年4月初旬からの5年、福島県で患者と接していくうちに、自身の変化はあったか。

A:人間の健康は病院の中で決まるものではないということを実感するようになった。当たり前だが教科書的には「病気を見るな、人を見ろ」と習う。目の前の症状を診るだけでなく、仕事で休める時間がない、家庭ではこのようなベッドで寝ている――という患者の生活状況などを把握しなければならない。放射線影響はまさにこれが重要だと思う。放射線の発がんリスクよりも現実的には避難生活による慢性疾患の悪化のほうが問題になっている。線量が低いから大丈夫というレベルの話はもちろん大事だが、それだけで人は納得するわけでもないし、生活していけるか決まるわけでもない。
 なぜ線量が十分低いのに帰還しないのか災害当初は理解しづらかったが、いろいろな人と接する中で、こちらが一つ一つ勉強させてもらったという思いがある。もうこれ以上の被ばくは絶対いやだというお母さんに対して、福島の食べ物は現在安全という話をしても伝わるものではない。自主避難の意思決定にしても個人ごとに違うということが葛藤や対立の根源にもなっている。
 一方でお母さんの不安も伝わってくる。例えば、自主避難を選んだ母親に対して、放射線量は健康に影響ないレベルだと正しい知識を与えることは、子どものために迷いぬいた末の決断を否定してしまうことにもなってしまう。とても難しいところだと感じている。

Q:地域住民向けの説明会の開催や、冊子発行など、放射線教育の取り組みについて教えてほしい。

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相馬中央病院

A:震災当初はどうしてよいかわからず、みんなが手探りで助けを探し求めるうち、ネットワークができていった。当時のつながりは今もずっと活きている。こうした中で、南相馬市で若いお母さんや子どもたちなどを手助けする市民団体「ベテランママの会」と知りあった。地元で塾を開いている同メンバーから、塾の生徒向けの放射線授業の開催を提案されたのがきっかけで、小学校、中学校、高校などでも授業を行うようになり、今でも続けている。住民に対しても、大規模な講演会や少人数での対話などを通じて説明してきた。また、小さな子ども向けホールボディカウンタ(WBC)での計測も行ってきたので、おそらく1000人以上のお母さんたちと話している。
 当初からWBCで測った住民の被ばく量がチェルノブイリの事故に比べ2~3桁小さかった。そんなに高いはずはないだろうと思ってはいたが、なぜここまで低い値なのか疑問に思い、放射線計測機などの業務に携わる知り合いを通じて、2011年末にウクライナを訪問した。そこで食べ物の摂取について、地元で採れるきのこやトナカイ肉などによる内部被ばくの影響が大きかったことなどを聞き、なるほどと納得した。今回の福島第一事故では、ある程度住民の食糧管理ができており、内部被ばく量はコントロールされていると考えている。
 2011年冬にWBCで測定された最初のデータがある程度出揃って、これを住民にできるだけ早く伝えたいと思い、放射線の勉強会は始まった。これまで数百回と続けてきたが、話し続けてきた内容を盛り込んで冊子にまとめた。一般市民が抱く放射線についての不安に対し、基本的に心配しなくても大丈夫という内容が中心になっている。
 こうした活動の他に、相馬市、南相馬市、飯舘村、川内村の放射線対策アドバイザーを務めている。今後も検査を続けていくとすればどうやって行うか、誰に対して行っていくのか、それをどう解釈しどう伝えていくべきか、といった話をしている。飯舘村のリスクコミュニケーション活動も、国際放射線防護委員会(ICRP)の専門委員を務めていた伴信彦先生の後を引き継ぐかたちで続けている。相馬市の広報誌への連載も2~3年、福島民友でのコラムの連載も60回以上続けている。
住民の方々が自身で生活の場や日常の活動について決められるようになる手助けとなればという思いで活動しているが、福島で普通に生活してもいいのだなと思ってくれる人が少しでも増えてほしい。

Q:原子力発電所事故の避難対策には何が大切だと考えるか。

A:一番考慮が必要なのは、原子力発電所から半径30km圏内の緊急時防護措置準備区域(UPZ)での対策だと思う。空間線量率が安定しないような状態で、初期段階では避難をするかしないかという線引きの判断が非常に困難となる。福島第一原子力発電所事故後の大きな教訓の一つは、5~10mSvの放射線を浴びることによるリスクよりも「避難することによるリスク」のほうが圧倒的に大きかったということだ。我々は今回の事故後の相双地区での老人ホーム入所者の避難に関して3つの論文を発表しているが、避難後、とある老人ホームでは、避難した入居者の約4分の1が90日以内に亡くなっているというデータがある。UPZは屋内退避とされたが、その結果不安が広がり、UPZでも動ける人はどんどん出ていった。そうすると入院患者などすぐに動けない人だけがとどまり、人も入ってこないために食料などがなくなって生活に困窮する状態となってしまった。こうして最終的に一挙に避難したことが被害を最も大きくした。チェルノブイリ事故でも、精神的な影響や生活環境の変化が死者を増やしたと言われている。
 原子力発電所から半径5km圏内の予防的防護措置準備区域(PAZ)は避難せざるを得ないと思うが、UPZでの避難は、被ばくを含めた健康リスク全体の削減が重要視されるべきであり、十分な準備を伴わない、特に社会弱者の避難は生命リスクが異常に高い。このあたりの対策は今から考えておかないと今回の二の舞になる。避難することを選ぶと、現実的には避難によって命を落としてしまう可能性が高い。一方とどまったら被ばくする。とどまることが正解である場合もあれば、不正解の場合もある。また移動が不可能な避難弱者である病人や老人がとどまる選択をするなら、付き添う介護者を被ばくさせてしまう。今回の教訓から「被ばくはするけれど、避難による死亡は防ぐ」という手段を選ぶことで、被ばくの他にどのような影響があるかわからない部分もある。リスクの受容に関する難しい問題であり、もっと議論しなければならないし、現実的に考えなければならない。一般に日本人はリスク耐性が低く、「避難という目に見えないリスクより、放射線という明らかに目に見えるリスクを選べ」ということは非常に厳しい。なかなか答えは出せないが、ある程度の方向性をみんなで共有しておくべきだ。
 何が何でも放射線を避けることが第一義的に重要だということではなく、ALARA(合理的に達成可能な限り被ばく量を低減する)のような放射線防護的な対策を、初期においてもある程度考慮するべきだ。

Q:学校などでの放射線授業などを通じて福島の子どもたちと触れ合うことも多いが、子どもたちの将来にどのようなことを望むか。

A:事故による困難な経験を活かし、福島の子どもたちが将来の日本のリーダーとして育ってくれればとても嬉しい。ただ、伸びる子を更に伸ばすことも大事だが、今回の災害で子ども達の可能性が奪われるようなことにはなって欲しくないと思っている。もともと自分の意見を強く言えるような自信のある子どもたちはそれでいいが、放射線を原因とする偏見や差別に足をひっぱられて後ろ向きになってしまうことは何としても避けたいと感じている。そんな差別や偏見から自分をちゃんと守るために放射線の基礎知識を身につけてほしいということが、自分の放射線教育の今のところのゴールだ。福島からリーダーとなる存在を輩出するというゴールからは5歩くらい手前の目標設定ではあるが、少しでも偏見に打ち勝って前向きに進んでいけるように、放射線教育を続けていくことで後押しできることがあるのではないかと思う。
 福島出身だからと言われて縁談が破談になったという話も耳にしており、放射線に対する偏見が、一種の呪いのようになっていると感じる。年間1mSv程度の放射線量なのに、高齢者までがもう生活できないと思い込んだり、不必要に不安を煽られたりするのも見ていられない。そういう話ではないと強く言いたい。放射線について思い込みで話をする人もいるようだが、科学的な事実としては正しく知っておいてほしい。

<冊子紹介>
HosyasenLeaflet「福島県南相馬発坪倉正治先生のよくわかる放射線教室」(日本語版・英語版)
発行:ベテランママの会
監修:早野龍五東京大学大学院理学系研究科特例教授)
推薦:南相馬市立総合病院
 2011年の東日本大震災以降、若いお母さんや子どもたち、高齢者のサポートを続けている団体「ベテランママの会」が、福島県相双地区の住民向けに実際のデータを含めて、放射線についての基礎知識をまとめた冊子。助成金と寄付金により2万冊が製作され、南相馬市内の公立小中学校などの団体に配布している。

<取材後記>
 放射線に対する住民の不安を何とかしたいと、すぐに行動に移していく姿に感銘を受けた。またUPZ対策に関する意見には、実際に現場で困難を経験している多くの住民に接してきた坪倉医師ならではの細やかな配慮が感じられた。医師として、そして福島の未来を考える人間として、住民の一人ひとりに真摯に向き合おうとする気持ちが伝わってきた。
(中村真紀子記者)