【51】我が国の原子力損害賠償制度の課題(2)原子力損害に関する賠償処理の特徴

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(原子力損害に関する賠償処理の特徴)
今回の原発事故における原子力損害賠償の処理では、一般の不法行為の損害賠償の処理と比べてどのような違いがありますか?
a1
  • 大規模な原子力事故により放射性物質が漏出し、広範な地域の汚染が長期間にわたって継続すると、多様な形態の損害が膨大な数に亘って発生することになります。これに対して迅速かつ公平に賠償するためには、一般の不法行為の損害賠償と同様の賠償処理では対応しきれません。
  • そのため、原賠法に基づいて原子力損害賠償紛争審査会(紛争審査会)がまずは原子力損害賠償に関わる一般的な指針を策定し、これを参考にして当事者間での自主的な賠償問題の解決を促しています。
  • 次に、自主的に解決できない紛争については紛争審査会のもとで設置される原子力損害賠償紛争解決センターが和解の仲介を行うとともに、和解事例を基に総括基準を公表しています。
  • 指針や総括基準は、大量の案件を迅速に処理するために損害の類型や項目、損害額の算定方法等をなるべく定型化し、損害算定基準を策定することで被害者の請求の目安とするとともに、早期の和解を可能にするため加害者側にも協力を求めるものです。
  • また、地域や業種でのつながりの深い多数の被災者が賠償を請求することから、賠償額に差が出ると被災者間に不公平感が生じるおそれがあります。こうした懸念を回避し、公平な賠償を実現することも指針や総括基準の役割です。
  • さらに、裁判外紛争解決手続きを積極的に活用できるように、時効に対する配慮がなされています。

【A1.の解説】

 大規模な原子力損害が発生すると、広範な地域で多数の被害者が発生し、またその損害形態は多様で期間も長期的になります。そのため、こうした損害に対する被害救済を迅速・公平に処理する必要があります。このような大規模な損害の賠償処理は他の事故では想定しにくく、原子力損害の賠償には一般的な損害賠償とは異なる特殊な処理が求められます。

1.当事者による自主的な賠償処理を助ける仕組み

○賠償責任の明確化と紛争解決機関の設置
原子力損害の賠償責任は「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)に基づく責任集中により請求先が一元化し、無過失責任により立証も容易になっています。原子力損害の賠償に関する紛争については公的な紛争解決機関として原賠法第18条に基づき「原子力損害賠償紛争審査会」(紛争審査会)が設置されることが特徴として挙げられます。
○紛争審査会による指針
紛争審査会は、被害者と加害者の間に立って中立的な立場から「原子力損害の範囲の判定の指針その他の当該紛争の当事者による自主的な解決に資する一般的な指針」を策定します。指針は、原子力事業者が責任を負うべき「原子力損害」の範囲について、社会通念上、原子力事故から当該損害が生じるのが合理的かつ相当であると判断される範囲のものとして、損害の類型と項目が示されたものです。
福島原発事故の賠償においては、多数の被害者の生活状況等が損害の全容の確認を待つことができないほど切迫しているという事情に鑑みて、原子力損害に該当する蓋然性の高いものから順次指針として策定されました。
○指針等を参考とした賠償交渉
指針は法的拘束力を持ちませんが、福島原発事故において東京電力は指針を尊重するとしており、この指針を参考に当事者同士による賠償交渉が実施されています。ただし指針は一定の類型化が可能な損害項目や範囲を示したものであり、全ての損害が示されているわけではないため、指針で示されていない損害については、個別具体的な事情に応じて損害の有無や損害額を判断しなければなりません。こうした問題について被害者と原子力事業者との合意が成立しない場合には最終的には裁判所の司法判断を仰ぐことになります。

2.原子力損害の賠償に関する紛争について和解の仲介

○紛争が生じた場合における和解の仲介制度
多数の被害者がそれぞれ裁判を起こさなければ原子力損害賠償に関する紛争を解決できないとすれば、被害者個人にとっても、また社会にとっても多大な費用が必要となり、迅速な救済はできません。そのため原子力損害の賠償に関する紛争については、原賠法第18条2項一号に基づき紛争審査会が和解の仲介を行います。
福島原発事故の賠償においては和解の仲介の手続きを円滑かつ効率的に行うために「原子力損害賠償紛争解決センター」(紛争解決センター)が設置されました。これは弁護士で構成される仲介委員が、事情を聴取し、中立、公正な立場から和解案を提示することにより、当事者間の合意形成を後押しして紛争の解決を目指すものです。
○総括基準の策定
福島原発事故の賠償においては、和解仲介の申立件数の増加に伴い、共通の考え方に基づく和解案の作成に向けて、多くの案件に共通する論点について、指針を個別の和解仲介事案に適用するための総括基準が順次公表されています。

3.迅速かつ公平な賠償処理のための工夫

○損害の類型や項目、算定方法の定型化
原子力損害賠償では同じコミュニティーに属するつながりの深い多数の個人や、同じ業界に属する多数の企業が被害者として賠償を受けることになります。本来、損害賠償は個別の事情によってその算定が変わりうるものですが、他方で多数の被害者について個別の事情を詳細に確認し認定する作業は膨大な労力と時間がかかる上、それによって生じた賠償額の差異が、結果として被害者間に不公平感を与えてしまう恐れがあります。そこで、指針や総括基準ではこうした認定作業を簡略化しつつ、同じような被害者を公平に扱うための工夫が必要となります。
 福島原発事故の賠償では大量の案件を迅速に処理するために、指針や総括基準において損害の類型や項目、損害の算定方法等をなるべく定型化し、また損害算定基準を示すことで、被害者の請求の目安になるように配慮しています。また、早期に和解できるよう仲介手続における審理も極力簡素化されています。その他、加害者側にも適切な対応を促して協力を求めることで審理の促進が図られています。しかし、それでも紛争解決センターにはこれまで大量の申立てがなされており、こうした審理促進に向けた努力にもかかわらず、審理にはある程度の時間がかかっているのが現状です。
○消滅時効への対処
不法行為による損害賠償の時効は損害及び加害者を知った時から3年なので(民法723条)、紛争解決センターにおける和解仲介の途中で時効が経過しまった場合、現行制度では時効は中断されず、もしも和解仲介手続が打ち切られた場合にその後に裁判で争うことが困難になってしまいます。その結果、和解仲介手続の利用を被害者が躊躇し、被害者にとって利点のある和解仲介制度の活用が十分に行われない可能性があります。そのため、和解仲介の途中で時効が経過した場合でも裁判で終局的な解決を図ることができるようにすることにより、和解仲介制度の活用を促進するため、平成25年6月5日に「東日本大震災に係る原子力損害賠償紛争についての原子力損害賠償紛争審査会による和解仲介手続の利用に係る時効の中断の特例に関する法律」(原賠ADR時効特例法)が施行されました。しかし、この法律の適用は紛争審査会が和解の仲介を打ち切った場合に限られており、それ以外の未請求の被害者等については時効適用の可能性が全て排除されたわけではないため、更なる対処を求める声もあります。

q2
(原子力損害に関する賠償範囲の特徴)
今回の原発事故における原子力損害賠償の賠償項目、賠償範囲は、一般の不法行為の損害賠償と比べてどのような違いがありますか?
a2

 放射線は人間の五感で認知することができず、低線量放射線被曝についての健康影響の評価も定まっていません。そのような放射性物質の特性による損害が広範囲かつ長期的に広がる大規模な原子力損害に対する損害賠償もまた過去に例がありません。そこで、今回の原発事故における損害賠償の処理にあたっては、一般的な損害賠償とは異なる事情を踏まえたうえで、以下のように損害の項目や範囲が考慮されています。

  • これまでの学説や判例で必ずしも定まっているとはいえない風評被害や間接被害等についても因果関係を認め、指針に具体的な産品や地域を示して損害範囲を定型化しています。
  • 身体損害を伴わない精神的損害は一般の不法行為ではあまり認められませんが、これを損害として認め、指針に具体的な対象者を示して損害額も定型化しています。
  • 政府指示に基づかない自主的な避難による損害も賠償すべき損害と認め、また自主的避難を行った者の生活費増加費用等と自主的避難を行わずに滞在し続けた者の精神的苦痛等の損害を同額としています。
  • 営業損害の算定方法は合理的な複数の算定方法があることを認め、いずれの算定方法を選択したとしても合理的と推認しています。
  • 被災者の生活や事業の再建を急ぐことにより、被害者が損害を回避することの結果として賠償金の受け取りが減ってしまうという現実的な事情に鑑みて、回避した損害のうち一定額を非控除とすることにより被害者の生活や事業の再建を促す工夫がなされています。
  • 避難指示区域内の財物に賠償については、帰還を希望する場合も、移住を希望する場合も賠償上の取り扱いを同一とし、財物、精神的損害、営業損害、就労不能損害等幅広い損害項目について賠償金の一括払いを可能とすること等により、住民の生活再建のための十分な金額を確保するよう配慮が為されています。

【A2.の解説】

 原子力損害の賠償は、広範な地域の多数の被害者に対して迅速・公平に実施する必要があります。福島原発事故の損害賠償では、多数の被害者に対して納得感のある賠償内容を提示して早期に紛争を解決するため、一般の不法行為の損害賠償とはやや異なる項目や範囲をもって損害が認定され賠償が実施されています。

○直接的な因果関係を持たない経済被害(風評被害や間接被害)

福島原発事故では、広域に渡って実際に放射性物質による農水畜産物の汚染が発生しました。そのため、報道等により広く知らされた事実によって、商品又はサービスに関する放射性物質による汚染の危険性を懸念した消費者又は取引先により、当該商品又はサービスの買い控え、取引停止等をされたために生じた被害(いわゆる風評被害)については、直接の汚染が無かったとしても指針において因果関係が認められました。この被害は、必ずしも科学的に明確でない放射性物質による汚染の危険を回避するための市場の拒絶反応によるものと考えられ、このような回避行動が合理的といえる場合には、賠償の対象となるという考え方に基づくものです。このような被害による損害は、報道機関や消費者・取引先等の第三者の意思・判断・行動等が介在するという点に特徴があり、一定の特殊な類型の損害であると言えます。
また福島原発事故では、原子力損害が生じたことにより第一次被害を受けた者と一定の経済的関係にあった第三者に生じた被害(いわゆる間接被害)についても、第一次被害者との取引に代替性がない場合には、本件事故と相当因果関係のある損害と認められました。

○生命・身体的損害を伴わない精神的損害

生命・身体的損害を伴わない精神的苦痛は、名誉毀損などを除いては一般の不法行為による損害として認められることはあまりありません。しかし福島原発事故では長期にわたる避難生活を余儀なくされた被害者が多数発生したため、自宅以外での生活や行動の自由の制限等を長期間余儀なくされ、正常な日常生活の維持・継続が長期間にわたり著しく阻害されたために生じた精神的苦痛については、指針において賠償すべき損害と認められました。また、避難せずに避難区域の近隣で滞在を続けた者に関する放射線被曝への恐怖や不安、これに伴う行動の自由の制限等により、正常な日常生活の維持・継続が相当程度阻害されたために生じた精神的苦痛についても指針において賠償すべき損害と認められました。
なお、精神的損害の損害額は、避難に伴う生活費の増加費用と合算した一定の金額をもって損害額と算定するのが合理的な算定方法とされました。

○自主的避難に係る損害

政府による避難指示等に基づかずに行った避難(自主的避難)については、避難を余儀なくされたわけではなく自主的な判断で行われたものであり、放射性物質による健康影響の点においても、事故と損害との因果関係が必ずしも明確ではありません。しかし、事故を起こした発電所の状況が安定していない状況下で、避難指示等対象区域との近接性、政府や地方公共団体から公表された放射線量に関する情報、事故の居住する市町村の自主的避難の状況等の要素が複合的に関連して、放射線被曝への恐怖や不安を抱いたことには相当の理由があり、その危険を回避しようとして自主的避難を行ったことについてもやむを得ない面があります。そのため、事故と自主的避難に係る損害との相当因果関係の有無は最終的には個々の事案ごとに判断すべきものではありますが、損害賠償の紛争解決を促すため、指針において賠償が認められるべき一定の範囲(地域、金額の目安等)が示されました。
自主的避難の事情は個別に異なり損害の内容も多様ですが、地域の同じコミュニティーに属する住民については、自主的避難を行った者や滞在を続けた者等に対して公平に賠償し、可能な限り広くかつ早期に救済するという観点から、対象地域を示した上で、そこに居住していた者に少なくとも共通に生じた損害として具体的な損害額の目安が示されました。そのため、自主的避難を行った者の生活費の増加費用、精神的苦痛、避難に要した移動費用を合算した損害額と、滞在を続けた者の精神的苦痛、生活費の増加費用等を合算した損害額を同額と算定するのが合理的な算定方法とされました。

○営業損害の合理的算定方法の推認

事故が無ければ得られたであろう収入額の算定方法は、複数の合理的な算定方法が存在するのが通常であり、一般的な損害賠償の紛争であればその中から最も適切な算定方法が争われます。しかし原子力損害賠償の紛争処理においては大量の事案について早期に和解することが期待されるため、紛争解決センターにおける紛争処理においては、複数の合理的算定方法(例えば、前年度同期の額、前年度年額の12分の1に対象月数を乗じた額、左記いずれかの額の複数年度加重平均を含む平均値、左記の額に増収増益分の金額を足した額、資料等による推定額、等)についてはいずれも期待利益の予測方法であることから五十歩百歩であって決定的に優れた方法は存在しないのが通常であるとして、いずれの算定方法を選択したとしても特段の事情のない限り、仲介委員の判断は合理的なものと推定されるという総括基準が示されています。

○営業及び就業における中間収入の非控除

避難先における営業や就労は、将来の生活再建の見通しを立てなければならないという状況下で勤労に当てる時間の全部を当てることができず、また、重い精神的負担を伴うのが通常であることから、そのような営業や就労は一般に容易なものではなく、そこにおける収入はアルバイト的なものにすぎないのが通常であると考えられます。そのため、政府指示による避難者が、営業損害や就労不能損害の算定期間中に、避難先等における営業・就労によって得た利益や給与等は、特段の事情のない限り、営業損害や就労不能損害の損害額から控除しないものとする総括基準が示されています。なお、利益や給与の額が多額であったり、損害額を上回ったりする場合においては、多額であるとの判断根拠となった基準額(50万円)を超過する部分又は損害額を上回る部分のみを、営業損害や就労不能損害の損害額から控除するのが相当であるとされています。

○避難指示区域内の不動産等に関する賠償

避難住民の中には、できるだけ早く帰還して生活再建を希望する者や、新たな土地に移住することを選択する者など、様々な立場や考え方があり得ます。それを前提として、賠償が個人の判断・行動に影響を与えないよう、帰還した上での生活再建や、新たな土地における生活の開始など、それぞれの選択に可能な限り資する賠償を実施する必要があります。そのため、帰還を希望する場合も、移住を希望する場合も賠償上の取り扱いを同一とし、財物、精神的損害、営業損害、就労不能損害等幅広い損害項目について賠償金の一括払いを可能とすること等により、住民の生活再建のための十分な金額を確保するよう配慮が為されました。
例えば不動産の賠償については、帰還困難区域においては、事故発生前の価値の全額を賠償する(全損として扱う)こととし、居住制限区域・避難指示解除準備区域においては、事故時点から6年で全損とし、避難指示の解除までの期間に応じた割合分を賠償することとされています。
なお、一般的な損害賠償では、価値の全額を賠償するとその物や権利は賠償を行った者に代位する(民法422条)ことになりますが、東京電力は福島原発事故の原子力損害賠償に関する被害者の物や権利について代位しない意思を表明しています。

○ 原産協会メールマガジン2009年3月号~2012年10月号に掲載されたQ&A方式による原子力損害賠償制度の解説、「シリーズ『あなたに知ってもらいたい原賠制度』」を冊子にまとめました。

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