【第49回原産年次大会】福島セッション「新たな未来へつづく浜通りのいま」

 大会第一日目の最後は、「新たな未来へつづく浜通りのいま」をテーマとして福島セッションが開催された。福島の復興にむけた国の取り組み状況についての報告の後、浜通りにおいて様々な取り組みを行っている方々の立場から見た現地の状況やそれぞれが描いている未来について意見を交換した。

<基調講演>

○遠藤健太郎 復興庁参事官
「浜通りを中心とした福島の復興に向けた取組~「福島12市町村の将来像」の実現に向けて~」
EndoPIC_0317 2020年に向けた課題と解決の方向を検討するため、大西隆豊橋技術科学大学学長座長とする「福島12市町村の将来像に関する有識者検討会」で議論し、提言を取りまとめて2015年7月に復興大臣へ提出した。ここでは30~40年後の姿として、復興の進捗により人口は震災前の推計を上回る可能性もあること、放射線量は現状から物理減衰で相当程度低減すること、世界に発信する福島型の地域再生を実現することをポイントに挙げた。そのためには、新産業の創出と事業・生業の再建など産業の振興、複数市町村による公共的サービスの広域連携、新市街地の形成など復興再生拠点の整備などに取り組むことが必要だとした。提言では福島の復興・再生は国の責務であることを明記するとともに、広域自治体としての県が果たすべき役割についても明確に位置づけている。

<パネリストによるショートプレゼン>

○石田祐一郎 大熊町企画調整課主任主査
「自治体職員の立場から見た双葉郡や大熊町の現状等について」
IshidaPIC_0322 大熊町第二次復興計画の基本的な考え方として、2015年3月からの10年程度を展望した町の方向性や施策を取りまとめた。震災発生時に大熊町民であった全ての住民と事業者を対象として、「町民の避難先での安定した生活をサポートすること」と「町内の土地を取り戻し、町に帰るという選択肢を構築する」ことを同時並行で進めていく。
 現在直面している課題としては、2017年3月までとされている仮設住宅供与期間後の生活環境保証、避難先でのコミュニティの維持、特に発電所近くの浜通り地域での風評被害解消、国の明確な除染計画がない中で困難を極める帰還時期決定などの時間軸設定などがある。また、長期的な課題としては、除染の推進を始めとして、除染廃棄物を30年間保管するための中間貯蔵施設の建設、スピード感も大切にしつつ安全第一で着実に進めるべき廃炉作業、客観的かつ科学的な視点のもとで国民的な合意の取れた明確な追加被ばく線量基準の制定などが挙げられる。
 今回紹介した課題は氷山の一角であり、現場レベルではより複雑で困難な問題が山積している。大変困難ではあるが、大熊町民として、また福島県民としての誇りを胸に必ず故郷を取り戻したい。

○和田智行 小高ワーカーズベース代表取締役
「避難指示解除に向けた小高区での取り組み」
WadaPIC_0333 自身は南相馬市小高区に生まれ、東京でITベンチャーを立ち上げた後、2005年にUターンした。震災では5か所を転々とした結果、会津若松市に落ち着いた。2013年6月よりインキュベーションセンターで起業者支援に従事し、2014年5月に小高ワーカーズベース設立、2014年11月に株式会社化した。
 南相馬市の小高区では、約12,800人の全町民が避難中だ。しかし避難指示解除後にも帰還率は多くて2~3割程度で、高齢化が急激に進むと見込まれている。そこで小高ワーカーズベースでは、「地域の100の課題から100の仕事を創出する」ことをミッションとして、帰還する住民の暮らしを支えるスモールビジネスの創出を目指している。これまで生み出された具体的な事業としては、まずは人が集まって協創を生み出すコワーキングスペースの設置、12月8日にオープンした小高初の飲食店「おだかのひるごはん」、仮設スーパー「東町エンガワ商店」、女性たちによる手作りのガラスアクセサリー店「HARIOランプワークファクトリー小高」などが運営中である。
 これまで故郷を蝕んできた「依存体質」からは脱却すべきであり、地域は1000人を雇用する1つの事業ではなく、10人を雇用する100の多様な事業体で成り立つべきだと考える。小高区は、先進国の環境・条件と地域の歴史・文化をベースとして、新しい「町」「暮らし」「コミュニティ」をゼロからリデザインできる「現代日本最後のフロンティア」であると言える。

○越智小枝 相馬中央病院内科診療科長
「原子力発電所事故の健康被害と、減災計画にみる健康な地域づくりの可能性」
OchiPIC_0342 原子力発電所から20~30kmの緊急時避難準備区域では、屋内退避の指示が出された。しかし実際はこの区域でも避難できる人は全員避難してしまい、50km圏内の流通網が停止してしまうこととなった。不足したのは食品に限らず酸素などの医薬品も含まれ、入院患者や独居老人などの弱者が生きるために必要な物資もないまま放置された。また、長期仮設住宅生活により、運動不足などによる健康被害も起きている。さらに看護師や事務などを含めた病院スタッフが避難したまま戻らず、被災地の医療が崩壊してしまう現象も見られる。このように避難が引き起こした健康被害は放射線被害よりもはるかに大きい。
 防ぎ得た健康被害をなくす減災例として、逃げ遅れ対策のために社会的な弱者を確認し、その弱者の災害時避難計画を策定するなど弱者を「見える」化していくことが考えられる。これは平時においても孤独死対策に有効だ。また、災害関連死を減らすには、慢性疾患(生活習慣病)を減らしたり運動習慣をつけたりするなど、災害前から住民の健康状態を良くすることが一番の方法だ。こうした取り組みは災害がなくても、あるいはない時にこそ、社会に益となる。
 原子力発電所事故の影響については、人々の健康という視点から見直す必要がある。減災はしなやかで健康な社会を創生する大きなチャンスだ。そのためにはエネルギー関係者、地方自治体、医療関係者の協力が必要である。最も有効な災害対策は、「あらゆる年齢のすべての人に対する健康な生活の確保および福祉の促進」である。未来のエネルギーはクリーンで安全かつ環境に優しいだけでなく、「社会を健康にする」エネルギーを目指すべきではないかと考える。

<パネルディスカッション>
丹波史紀福島大学行政政策学類准教授をモデレーターに迎え、パネリストの3名が意見交換を行った。

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◇地域の抱える課題
丹波:それぞれの立場から浜通りにとってどんなことが課題だと考えているか。
和田:現場でアイディアをかたちにしていくプレイヤーがいないのが問題だ。元システムエンジニアの自分がスーパーの仕事をするよりも、当然元々地元で小売業に携わっていた経験者のほうがよいはずだと思っている。それでも、食堂が繁盛していたり、女性が活き活き働いていたり、小さくても具体的に地元でわかりやすい結果を見せることで、復興のイメージが実感できる。
丹波:自身も「おだかのひるごはん」で食事したが、住民のつながりの場にもなっており、地元商店の再開の気持ちを高める役割も果たしているのを感じている。
越智:住民が健康リスクの相対化ができていないことは問題だ。地元の野菜を食べない代わりにファーストフードを食べていては逆に不健康であり、健康や幸せという本来の目標を見失ってしまっている。一方、健康のために地元でラジオ体操など行ってみたが、最も効果的と思えたのは菜園作りだった。この地域では空いている土地を見たら何か作物を作らずにいられない人が多い。住民の発想から結果的に最適な方法で運動不足の解消につながった。
丹波:浪江町では住民が山登りの計画を立てるなど、地域自らによる健康づくりなどの動きもだんだんと広がっている。
石田:同じエリアに住んでいた人々がばらばらになり、見守りや人のつながりなどが失われている。行政としても離れて住んでいる住民たちの心の負荷等を把握するのがなかなか難しい。子育て世代の立場からはなかなか未来が見えない中で、地元を離れて暮らす選択をするしかないという声を聞く。一方で高齢者は地元に帰りたいという傾向が強いが、一緒に暮らす家族の通勤や通学などの都合から諦めざるを得ず、それが心身の不調が急激に進む原因となっている例も多い。
丹波:富岡町では電話帳を作成し、当初は個人情報などの懸念があったが実際にはクレームもあまりなく、住民たちのつながりを保つために有効な結果となった。世代でも意識の差は大きく、インフラや医療機関など、条件が揃わないとなかなか帰れない。
越智:50代以上は半数が何らかの薬を服用しており、定期的に通院できる医院が必要だ。しかし病院はスタッフなどの8~9割は女性であり、働ける女性が帰らないと成り立たない。一方でこうした女性が帰還するには働く場所としての病院が機能していない。こうした悪循環が起きている。
丹波:戻るかわからない人たちのことばかりでなく、今いる人たちの環境をまず考えなくてはならない。現在地元にいる人たちは、落ち込んだりしているどころか、例えば駅前に花を植えて帰還した人たちに見てもらおうと頑張るなど、すごく元気に活躍している印象がある。
和田:小高区では線量も決して高くなく、すぐ隣の町では普通の暮らしをしているのが見える。また比較的大きな地域なので、これから避難解除されるにあたって我々がうまくいかないと次に続く町の住民たちも失望してしまうかもしれないという勝手な使命感も持っている。

◇事故の教訓
丹波:福島第一原子力発電所事故の経験から、学ぶべきことや伝えたいことは。
越智:一番大事なのは事故が起こるのを前提とすること。その上での減災対策には、事故が起きない平時でも有効なものが多く、原子力発電所周辺だったからこそ逆に健康になったと言えるようになれるかもしれない。例えば独居高齢者の名簿作りをして避難時にケアが必要な人を把握することで、常時の孤独死も防げる。
和田:事故当時は情報も入らず混乱する中、被害の状況や賠償の違いなどで住民の間に溝ができたことは、復興に大きな障害となった。こうした要因からコミュニティ維持の危機が起こる可能性についても考えておくべきだ。また、原子力発電所のような巨大産業だけに依存するのではなく、地域の中からアイディアを生み出していく姿勢が必要だ。原子力発電所事故が起こって、お金があっても食料もガソリンも買えないという状況を経験し、本当の自立とは何かと考えた。地域から価値を生み出していくソーシャルキャピタル(社会資本)などに着目し、地元をどう発展させていくかということが大切ではないか。
石田:事故では想定外のことが起こるものだが、それがさらに広範囲で同時に発生する。こうした中で防災職員ばかりでなく全職員が、さらには住民のそれぞれが判断を迫られることがあるので、少しでも冷静に対応できるよう心構えが必要だ。また避難では受け入れ自治体側も困惑する。普段から隣接する自治体ばかりでなく、少し離れた市町村とも意見交換をしておくことが大事だ。町外に避難している人からの電話などから、もう少し整ってきたら戻りたいというニーズも高まっているのを感じる。現在も帰りたくても帰れない人は多く、少しでも帰るための環境を作れるよう、孤立を防止するイベントなど多くの支援メニューを考えている。一方で個人が幸せになってくれさえすれば、必ずしも帰還することが必須ではない。町外に暮らすことになった人もサポートを続けることで、遠くからでも地域の応援団となってくれれば、復興にもつながっていく。
丹波:帰還するという回答は多くないが、ずっと地域に関わりたいという人はとても多い。宿泊したりお祭りの時に訪れたりというのも一つの方法だ。

◇浜通りの将来
丹波:地域の将来に対してはどのように見ているか。
越智:若い人たちは純粋に面白いと思ってこの地域に入ってきている。ただ人助けをするという気持ちだけでは長続きしないが、ここでは課題が見つけやすく、しかも人数が少ないこともあって、自分が解決できるものが多い。
和田:自身の会社でも、東京からやってきた人は多い。1人は50代で早期退職し、これまでの経験や知識を活かし、自分の力を試したいとやってきた。都会では得られなかった満足感を得られる。別の1人は東京でエンジニアだったが、子どもにプログラムを教えたいとやってきた。東京で子どもにプログラムを教えるよりもこうした地域で教えるほうが、可能性を広げられて面白いと思っている。
石田:和田氏も指摘するように、日本のようにある程度成熟した国で新しいことに挑戦できる環境はそう多くない。若い職員もやりがいを持って熱意を持って取り組んでいる。家族の都合で去らなくてはならなかったという職員はいるが、この仕事が嫌で辞めたという職員はおそらくいない。
和田:先日も京都から女子学生が就職活動で飛び込んできた。この地域では、社会に役立つことがしたいという若者を呼び寄せる力がある。こうした人たちを受け入れられる態勢を作り、地域を活性化したい。そして課題を解決しながら持続できる社会を作っていきたい。自身は元々IT畑の人間なので、復興にもテクノロジーは欠かせないと考えている。例えば、単身で帰還した高齢者が買い物や通院ができる自動走行車や、具合が悪い時はセンサーで自動的に病院に知らせることができるシステムなど、沢山の可能性がある。また人が少ない環境は逆にこうした新しい試みのテストをするのに適しているともいえる。
越智:自身は思春期前後にバブルが崩壊した世代で、福島に来て初めて社会が上向きになっていくという経験をしている。他の地域では味わえない貴重な経験であり、若者を惹きつけることができるはずだ。しかしどんなに言ったところで、実際に来てみないとわからない。職場体験で実際に見学に来た人の定着率は高い。情報発信を報道に依存せず、自分の足で人を引っ張ってきて顔の見える距離で現場を見せることが大切だ。今回の事故で1冊の教科書になるくらいの経験をした。人それぞれで正解はないということについては地元全員が知っている。このリテラシーが社会に広まれば風評被害などの解決にもつながる。
石田:課題は多いが、新しいことができて、やりがいがある地域だ。一人一人の故郷に対する思いは違い、帰るというよりも「取り戻す」という表現に変わってきた。情報を発信し続けることで誇りを取り戻すことにつながる。他の地域ともコンタクトを取りながら、これからは若手や中堅も率先して地域の将来像作りに関わっていきたい。
丹波:様々な課題はまだ残るが、一方でチャレンジする面白さや新しい価値に目を向け始めてきた人たちが沢山いる。まだ道のりは長いが、楽しくやっていかないと長続きしない。健康になること、幸せになることを目標に、社会が地域を良くしていけることを願っている。