もうひとつ先の私たちへ。-10富岡町のいま「民間病院、斯く奮闘せり」
今村先生は南相馬市小高区の出身。神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大学を卒業し、同大学病院に勤務していたが、医療過疎地域だった福島県双葉郡の南半分を担当するため、富岡町から乞われ、1991年に今村病院を開院した。
診療所事務局長の石澤弘幸さん
───さきほどクルマで今村病院の前を通ったのですが、かなり大きな病院だったのですね?
今村先生:はい、90床ありました。1日140人くらいの患者さんを診てたかな。「地元のかかりつけ医」というイメージで、3世代で通われてきた患者さんも多くて。
石澤さん:開院したばかりの頃は、内科/外科/整形/産婦人科と、多くの科目をやったけど、患者さんの需要と経営的な判断から、ほとんど内科単科の状態にしたの。慢性期医療と急性期医療のミックス医療を始めて。稼働率も100%でしたよ(笑)
今村先生:ずっと、満床でしたね。
石澤さん:(経営的に)かなりいい線までいってたときに、あの地震でオジャンになっちゃって…
5階建ての今村病院。内外装ともに目立った損傷はないが、膨大な維持費が負担となり、2017年10月に惜しまれながらも解体される。(写真はいずれも、 震災後の2013年9月に撮影されたもの)
───避難することになったわけですね?
今村先生:病院の建物自体はビクともしなかったんだけど、避難区域に指定されてしまって。
石澤さん:大変なのは入院患者さんを引き受けてくれる医療機関がなかったことですよ。公立病院の患者さんは、県の方でいろいろ手を回してくれたんだけど、民間のところは「頑張ってね」と言われるだけで。
今村先生 行政はもう手いっぱいだった。民間の病院は自力で何とかしなくちゃいけない。郡山高校から3つの教室を貸してもらったんだけど。教室は木の床だから、ありったけの段ボールを敷いてね。ありったけの薬と、酸素と、全部持って行ったんだけど、教室じゃ医療行為もリハビリもできなくて、ただ寝たきりにしてるだけになっちゃう。
石澤さん:病院から郡山高校に患者さんを移送するときも、寝たきりの患者さんが多かったので、群馬の自衛隊のヘリで何回も往復してもらったんです。というのも、患者さんをバスに乗せられなかったんですよ。
今村先生:「座って、シートベルトしないと、乗せちゃダメ」って、緊急事態なのに、そういうことになってて。こっちとしては、トラックの荷台でもいいから、みんなを載せてバーッと避難してしまいたかった。そのぐらいの気持ちだった。
石澤さん:双発の輸送用ヘリであれば、横にして10人程度は乗せられるんです。それも、わたしらで双葉警察署にお願いして、双葉警察から県警に行って、県警から群馬の自衛隊に手配してもらって、それで移送したの。たまたま今村先生が警察医をやっていたんで、かなり警察に協力してもらった。おかげで移送中に誰もお亡くなりにならなかった。
今村先生:でもICUにいた患者さんとかが、震災後数日ほどで3人亡くなってしまって。
石澤さん:末期の患者さんとかね。そういう患者さんが3人亡くなってしまった。ご遺体は霊安室にきちんと安置したんですが、避難命令が出ちゃって。
今村先生:避難区域には「入っちゃダメ」って言われてて、なかなかご遺体を引き取りに行けなかったんですよ。
石澤さん:それでも2~3週間後でしたかね、ご遺体を引き取りに突入しちゃった。それでようやくご遺体を避難先のご家族の元へお返しすることが出来た。
今村先生:ご家族の方からも「ありがとうございました」という言葉を頂いてね。
石澤さん:ところが後になって記者を名乗る男が電話してきて、「おたくで3人亡くなりましたよね??責任をどう感じてらっしゃる!?」って言うんだよ。頭にきたから言い返してやったよ。「確かに3人亡くなりましたよ、記事にしたいなら記事にして!!」って。
今村先生:郡山高校ではずっと患者さんの転送先を探して振り分けして。
石澤さん:でも大半の患者さんが、なかなか転送先が見つからなかったんです。それで今村先生の“聖マリ”の同級生とか先輩、後輩を頼って、福島県内だけじゃなく山形、群馬、茨城と。
今村先生:当時は救急車で搬送が出来なかったんです。大変な震災でしたから。患者さんの転送には救急車を使えなかった。
石澤さん:だから受け入れ先からキャンピングカーを持って来てもらったり、あとは、フェリーを使ったりとか、いろいろな手を使って患者さんを転送しました。
今村先生:ぼくらもだけど、あのころは行政もパニックだったね。
今村先生はその後、“聖マリ”時代のツテを頼り、バイト生活を送っていた。そうした中、富岡町から「町立の診療所をやってみないか」と今村先生に声が掛かる。建物や設備は町が用意し、今村先生たちは診療所の運営を受託する形だ。診療所は2016年10月に開院した。
石澤さん:とりあえず診療所の運営だけであれば、設備投資も要らないから、何とかお役に立てるということでお引き受けしたんです。
今村先生:ある程度覚悟はしていましたが、開院当初の患者数は1日で10人程度でした。徐々に増えて今では1日で30人程度でしょうか。
───今後の双葉郡の医療についてはどうお考えですか?
今村先生:気持ち的にはまだ、離島にある診療所のような気分です。固定して住んでいる人がどのぐらいの人数になるのか、年齢構成とかいろいろはっきりしないと、対策が打てません。ただ、絶対的に医療施設は必要だと思います。
石澤さん:救急に関しては、近隣のいわきとか南相馬の二次医療機関とパイプをつないで、入院介護の必要な患者さんはそちらに転送せざるを得ないと思うんですね。三次救急であれば、近くの医大のほうから、ドクターが常駐して、今、それに対応できるようなシステムになっていますから。2018年4月から、「ふたば医療センター」というのが、すぐ近くにできるんですけど。30床規模で、本当の二次救急だけ。外来とかは診ないで、救急医療だけやるような感じでしょう。そこがいかに稼働するかによっても、また状況が変わってくる。
今村先生:医療機関のクラス分けというか、棲み分けね。
石澤さん:果たして、できたのはいいけど、実は箱だけだったとかね、そういうときもあるから(笑)
今村先生 かなりそっちの不安要素が大きいんだよね(笑)
石澤さん:わたしら民間が手掛けることができればいいんだけど、損得を考えちゃうとちょっと。
今村先生:やっぱり経営ということを考えると難しいね。
石澤さん:わたしら、資金がなくなったら倒産するしかないから、公的機関にそういうところを担ってもらわないと。現代の医療費抑制策の中で、普通に病院経営しても難しい状況で、双葉郡で民間がやるということに関しては、明らかに金銭的に無理。であれば、まず、一次医療をある程度やって、その中で、またいろいろな面で需要が起きたらば、こたえられるものに対してはどんどんこたえていって、この診療所を拡張していくというような形が、一番無理のない、効率のいい形だと思うんだよね。
───医療面での人手不足も大きいですか?
今村先生:やっぱり「病院」(20床以上)と「診療所」(19床以下)では、必要なスタッフ数が全く違うんですよ。
石澤さん:入院患者を置くには、看護師は最低でも20人は必要。
今村先生 24時間、365日なんで。
石澤さん:そういったスタッフをほかの医療機関から引き抜くわけにもいかないし。
今村先生:先ほど「ふたば医療センター」の成立が不安だと言ったのも、そういう意味からなんです。
石澤さん:入院患者に食事を出さなくちゃいけないし。必要なスタッフ数が、法定人員も定められているし、法定人員を満たさなければ、その時点で結局、患者さんの取り扱い数も制限されるし。あと、ドクターも最低3人の常勤医師が必要。
今村先生:いくら30床だと言っても、それなりに人員を用意しないと診られない。
石澤さん:となると、患者さんという需要サイドもそうだけど、施設側の人員的な問題をクリアすることが、余りにも大きな壁になってくる。ここも、町立診療所なんで、わたしらも棚からぼた餅みたいな顔をしてやっているけど、現実には当然採算は合わないんです。合わない分に関しては、県と町のほうからある程度支援してもらっているんですね。こう言っちゃなんだけど、得もしないけど損もしないという状況。ただ一番問題なのは、借金ね(笑)
今村先生:もともとの病院の、借金。
今村病院は、今村先生はじめスタッフが命を賭けて守り抜いてきた民間病院だ。内部は、震災後もこまめに清掃され、清潔に保たれている。耳をすますと、患者さんと看護師さんの明るい笑い声が聞こえてきそうだ。
───今村病院の再開はお考えではないのですか?
石澤さん:将来的には、規模を縮小して、できれば再開したい。
今村先生:昔の大きさではちょっと無理だね。あれだけの規模の施設だと、置いておくだけでも、出て行くものがいっぱいあるんだよね。
石澤さん:それが賠償金の中で清算できればいいんだけど、ほとんどが借入金の返済で賠償金を使い果たして、さらに賠償金自体に課税されるんで。
今村先生:そう、みんな知らないんだけど、法人は課税されるの。
石澤さん:だから、例えば10億もらっても、税金で3億ぐらいは持って行かれる。というのは、元金の返済部分は損金にならないから、大きな経常利益が発生しちゃう。だから、「お金をいっぱい貰っていいですね」って言われてるんだけど、とんでもない。
今村先生:お金は国に戻って行くの。
石澤さん:ゼロからのスタートができれば一番いいですよ。今の段階では、まだマイナスのスタートだもの。この町立診療所がトントン、(今村病院を含んだ)医療法人全体で見るとマイナス。となると結局、借金も減らない(笑)
───せつないですね
石澤さん:せつないです(笑)
今村先生:でもあきらめてませんよ。まだまだ生き残りをかけて奮闘中です(笑)
現在の診療所のスタッフは全員、以前の今村病院のスタッフたちだ。
石澤さん:勝手知ったるベテランに声を掛けて集まってもらいました。だから「元・おねえさん」が多いんです(笑)
今村先生:むしろ子育てが終わっている分、融通がきく。業務上はフル稼働できる。
石澤さん:でも今度は、孫ができて辞めざるをえないとかね(笑)
今村先生:そういうこと言っちゃダメ。
photo & text: 石井敬之