特集「震災から5年~福島の復興と再生に向けて」 渡辺利綱大熊町長
インタビューシリーズ最終回となる5回目は、渡辺利綱・大熊町長に復興への取り組みについて伺った。困難な状況のなかで陣頭にたって取り組んだこの5年の歩み、また今後の取り組みについて率直なお話をいただいた。
Q:震災・原子力事故発生から5年経過しての思いをうかがいます。
A:復興の歩みが遅いというのはあるが、少しずつ復興にむけて光がさしはじめたという感じがある。
常磐自動車道が全線開通し、いまJRの常磐線の除染も全線開通にむけて進んでいる。大熊町では今年3月に今後10年間の目標年次となる第二次復興計画をまとめた。また地方創生に関する事業を整理し推進する総合ビジョン、総合戦略もまとめたところだ。
復興計画で、大熊町は大川原地区を復興拠点に位置づけており、最近では福島第一原子力発電所の給食センターもできた。東京電力の社員用宿舎も750戸を建設しており、今年の7月には入居ができる見通しだ。植物工場の建設についても準備中で、メガソーラー(大規模太陽光発電所)は昨年12月から稼働している。常磐自動車道に新設される復興支援のためのインターチェンジも早期の完成をめざし用地交渉などが進んでいる状況にある。
復興にむけ、大熊町は今なお厳しい状況にあるが、一歩ずつ復興にむけて前進していることを、町民に実感してもらえるよう取り組む大事な時期にあると考えている。
Q:帰還にむけては、避難先での町民コミュニティの維持が重要だと思いますが。
A:震災の後、2011年4月初めから教育面での収容規模や医療面を考えて、会津若松市にお世話になっている。当初は700人もの小中学生がお世話になり、市内の廃校を利用し入学式を行った。当時、会津若松市長は、「われわれのできることがあれば何でもしますから」と言ってもらった。会津は幕末に戊申戦争に敗れ斗南藩に移封され大変な苦労をした歴史もあるとして、非常にあたたかく迎えてもらったことに感謝している。現在も同市との良好な関係が続いている。
また、福島第一原子力発電所での仕事があったり、学校に通う事情などがあり、会津若松市をはじめ、いわき市や郡山市など避難先は分散している。いわき市には約4,500人、会津若松市には約1,500人の町民が暮している。
このためコミュニティ拠点を会津若松市、いわき市、郡山市に置いて様々な行政サービスを行っている。コミュニティの維持に関しては、避難が長期化しているため大熊町が独自に行政区単位で町民が集まったり、催し物を開催する場合の費用補助を行う絆(きずな)維持事業を始めている。年間の上限が1人10万円だが、花見や伝統芸能の復活などに活用してもらうよう継続していく。
Q:除染推進、除去土壌の中間貯蔵施設など、長期的課題に対してはいかがでしょうか。
A:復興拠点に位置づけた大川原地区は、除染を先行的に実施し、施設の立地やインフラの整備がひとつひとつ前に進んでいる。しかし、大熊町の人口の96%が居住していた地域が帰還困難地域なので、除染を早くして帰れるように国の責任で対応してもらうよう要請している。現状では帰還困難区域の除染の方針がまだ決まっていない。今年7月を目途に国が方針を出すと聞いているので、具体的に前に進むよう期待している。
中間貯蔵施設については、環境省が2,300名余の地権者に対し補償額の算定のための調査を開始している。実質1,000人にのぼる地権者との交渉はそう簡単ではないだろう。とはいえ、復興を前向きに進めていくためにも中間貯蔵施設の進展が、重要な時期にあると考えている。
Q:将来的なビジョン作りには広域的な連携も必要と思いますが。
A:関係する8か町村の連携は重要だと思う。ただ復興の進捗状況は自治体ごとに違うので、難しい面がある。連携すれば合理的で住民のメリットともなる、医療など診療所の立ち上げや、広域交通の立ち上げについてはある程度話をしている段階だ。双葉郡はこれまで広域連携でごみの問題や、消防、水道の連携に取り組んできた基盤がある。
今後はそうした基盤をいかしながら一つ一つ進めていくことになると思う。合併などの話もあるが、賠償問題など自治体ごとの事情が違うため、復興を進めて連携できる素地をつくっていくことがまず大事だと考えている。
Q:本格的な復興を軌道にのせていくために大切なこととは。
A:大熊町では第二次復興計画で、大川原地区に3,000人規模のまちづくりをめざすことにしている。そのうち1,000人は住民の帰還を、また2,000人は福島第一原子力発電所で働く人たちの居住を見込んでいる。現状の福島第一原子力発電所に関係する従事者数を考えても、3,000人規模というのは絵に描いた餅ではないと思っている。ここから1、2年が復興拠点整備にあたり本当に大事な時期になる。
国の復興政策もこれからが真価の問われる時期と思うが、この5年、首相をはじめ復興、環境の両大臣もたびたび現地で直接話を聞き、取り組んでくれている。たとえばお墓の除染は、敷地と墓石で行政上の扱いが分かれて面倒だったが、当時、石原伸晃環境大臣が直接状況を聞き、根本匠復興大臣と相談して試験的に作業を進めてくれた。滅多に褒められることがないが、その当時、町民から「涙がでた」と感謝の言葉が複数寄せられ、祖先への思いの深い多くの町民にとって、お墓が心の支えであったことを再認識する思いだった。
大熊町の職員も、大変な時期を通じて、がんばってくれている。体調面の問題で離職した職員もいるが、復興支援で派遣されたことをきっかけに大熊町の職員に加わってくれた保健師さんなど新たな戦力が力になってくれている。熊本地震に際して、経験のある職員13名を交代で派遣し、現地でのお手伝いをしたところだ。
また、年金の一部を励ましの手紙とともに毎年大阪から送ってくださる方がいるなど、困難な状況のなかで励みになる事も少なくない。
今後を考えると、支援慣れしないことも大切で、自立していくことが必要だと思っている。町民のなかにも自立にむけて前向きに進もうとする人もいれば、なかなかまだそうなれない人もいる。元の場所に帰還の見込みがあるかどうかは気持ちの面で大きい。町民はいずれも複雑な思いを抱いている。心に寄り添うというのは、言うほど簡単なことではない。事故の影響が根深い面があるのが現実だ。
この間、経済的にはいろいろ支援されているが、自立にむけて心の復興をはかっていくことが、これから大事になると考えている。
<取材後記>
震災から5年を経てなお、被災した人々の困難な状況がある。本特集では、さまざまな立場で、被災者と被災地域の困難な状況を軽減し、本格的な復興にむけて努力する関係者に、率直なお話を伺った。共通するのは、直面する課題に向き合い、前を向いて取り組む姿勢とその強い覚悟であるように感じる。
住民帰還にむけ奮闘する大熊町の渡辺町長は「自立にむけて心の復興をはかる必要がある」と物心両面での復興が大切と強調する。長い年月を要する本格復興の途上にあって、この5年はその端緒に過ぎない。さまざまな経済的支援とともに、被災者の心に芽生えつつある希望の灯を絶やさず、ともに復興への歩みを前に進めていこうという覚悟を新たにすることが、この節目にあたり、何より大切なことといえるのではなかろうか。(原子力産業新聞)