原子力産業新聞

風の音を聴く

ジャーナリストとして国際報道の最前線を、時に優しく、時に厳しく、歩み続ける筆者によるコラム。──凛と吹く風のように。

ポスト日韓国交正常化50年と原子力協力

11 Aug 2015

隣国関係はどこも容易ではないと痛感したのは、新聞社の特派員としてシンガポールに駐在した時だった。同国とマレーシアは雲行きが怪しくなると、決まって水問題が浮上した。マレーシアがシンガポールに供給している水を止めるぞと脅す。その対立を見てとった日系企業が、シンガポールに海水浄化技術の売り込みを図るオマケもついた。文字通り水が引くのは緊張緩和の後である。

『明治日本の産業革命遺産』のユネスコ(国連教育科学文化機関)登録をめぐる日韓の対立はこんな比ではなく、韓国は朴槿恵大統領自ら世界を反対行脚した。直前の日韓外相会談でようやくこぎつけたはずの合意も反古寸前となり、日本人を唖然とさせた。

結局、登録はされたが、同じ轍を再び踏まぬために反省と教訓を外交に生かすことが必要だ。今回の登録運動を長年にわたって進めてきた内閣官房参与の加藤康子さんは、韓国が登録プロセスに「政治」を持ち込み、ユネスコの諮問機関(イコモス)の全審査委員国に反対のロビー活動を行ったことを批判する一方、日本政府は「〝歴史武装〟ができておらず、いろんなプロパガンダへの準備もなかった」と問題の核心を衝いていた。

あらゆる事態を想定し、事前に時間をかけて産業革命遺産を日韓の歴史の文脈にしっかりと位置づけ、事実に基づく反論を万全にすべきであった。そうすれば、たとえ韓国を翻意させられなくとも、イコモスに与える日本の印象は違っただろう。

交渉は最悪の事態を想定して当たるのが鉄則なのに、お人好しの日本は相手の善意や誠意に期待しがちだ。国際会議では日本のようにフェアを旨とする国ばかりではない。

折しも今年は日韓国交正常化50年である。外交関係のもっと長い国は他にもあるが、日韓関係の特筆すべき点は、急速に進んだ緊密さだろう。50年前に年間1万人だった往来は、いまや500万人を数え、日韓がいかに近い存在かが分かる。

だが、果たして今後も緊密さが続くかどうかは疑問だ。むしろ「近くて遠い」関係に再び戻りそうな気配もある。とくに日本側には世界遺産に見る如く、韓国とのおつきあいに対する「韓国疲れ」が目立つからだ。

どこか遠くへ日本列島が引っ越し出来るならそれでも良いのだが、韓国は永遠に日本の隣人である。従って日韓のポスト50年は互いに相手への過度な思い入れは排し、協力出来る分野で協力するというクールな関係を主眼とすべきだろう。損か得か実利だけというのは味気ないが、それだって国民のためなら得する方を選ぶ判断も悪くない。

昨年、多くの高校生の命を奪ったセウォル号沈没事故で、韓国側は日本政府の協力の申し出を無視し、海上保安庁と韓国の海洋警察庁が日ごろから海難事故などを想定し行っている合同訓練の成果を生かすことが出来なかった。もったいないことである。

その意味でエネルギー・原子力分野は日韓の有力な協力分野ではないだろうか。福島原発事故は極めて不幸な事だったが、その教訓や培いつつあるノウハウを、いわば転ばぬ先の杖として韓国と共有する。原発事故がひとたび起きれば影響は当該国に留まらないから、協力を中国や台湾まで広げることも考えられる。これまでも東アジアの原子力協力が行われてきたことは承知しているが、決して十分だったとは言えないだろう。

原産新聞によれば、韓国は原発の廃炉にも初めて取り組む。韓国最古の古里発電所1号機が対象で、昨年は廃炉について学ぶため関係者が来日し、今年もその意向を持っているという。日本にとっても廃炉は今後、ますます重要な課題になって行く。互いの利益になるような協力が出来るはずだ。

外交関係が冷えているから逆に協力可能な分野を探し出し、緊密化を加速させるような、そんな果断なリーダーシップをいまこそ見たいものだ。

千野境子Keiko Chino

Profile
産経新聞 客員論説委員
神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長、外信部長、シンガポール支局長、論説委員長などを歴任。最新刊は「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」。

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