原子力産業新聞

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ジャーナリストとして国際報道の最前線を、時に優しく、時に厳しく、歩み続ける筆者によるコラム。──凛と吹く風のように。

あらためて思うオバマ大統領の広島演説

02 Aug 2016

広島(6日)、長崎(9日)への原爆投下、そして終戦(15日)と続く8月が来るたびに思うのは、日本人にとって8月とは「慰霊の月」なのだということである。今年はとくにオバマ大統領が米大統領として初めて広島を訪れ、平和記念公園でスピーチを行った後だけに、なおさらそう感じる。

核兵器廃絶という目標は未だ道筋も定かでないけれど、唯一・最後の被爆国となるべき日本は、仇敵同士であった日米の指導者が原爆ドームを前に握手を交わした、あの5月27日の感動や決意を一過性の出来事にしてはならないとあらためて思う。

広島演説はオバマ氏が大統領就任間もない2009年4月5日に、チェコの首都プラハで行った「核兵器なき平和で安全な世界を目指す」プラハ演説と対をなすものである。ノーベル平和賞を受賞したプラハ演説は、ある意味で広島演説以上の感銘を世界に与えたのだった。

ところがそれからの7年間、世界はプラハ演説とはむしろ逆を歩んだ。米露軍縮交渉は停滞し、プーチン露大統領はウクライナ危機で核の使用さえためらわないことをほのめかした。また北朝鮮の核の脅威は半ば常態化し、日本は安全保障をアメリカの核の抑止力に委ねざるをえない。2015年現在、世界にはアメリカ7,260、ロシア7,500を双璧に依然として約1万5,850もの核弾頭が残っている(ストックホルム国際平和研究所)。

そして何より当のオバマ氏が就任当初の輝きを失って行った。アメリカは実利と現実主義の国でありながら同時に欧州や日本と比べて遥かに理想主義の国で、近年の大統領でそれをもっとも体現していたのはオバマ氏だったが、アメリカも世界も理想主義がスンナリ通るには今やあまりにも複雑で、シリアやイラク、銃規制や貧富格差など、オバマ氏が外交内政で直面した現実がまさにそれだった。

広島演説が同じようなプロセスを辿らないという保証はない。残念ながら核兵器をめぐる閉塞状況を打破する即効薬はない。オバマ氏も演説で語っているように日々の粘り強い取り組みしかない。おそらく不断の努力を諦めた時、それこそ万事休すなのだろう。

《いつか証言する被爆者たちの声は私たちのもとに届かなくなる。しかし1945年8月6日の朝の記憶を風化させてはならない。その記憶は私たちを自己満足に浸らせることを許さない。それは私たちの道徳的な想像力を掻き立てる。それはまた私たちに変化をもたらしてくれる》

広島演説の中でもとりわけこの文言を、日本人は直接の被爆経験の有無に関係なく、重く受け止め受け継いでいかなければならないと思う。

日本にはこれからも果たすべき役割がいろいろあるはずだ。例えば岸田外相は「核保有国と非核保有国の対立の橋渡し」が日本の役割であると述べている。この言葉を聞いて私が思い出したのは、1956年12月に日本が国連に加盟した際の「日本は東西の懸け橋になる」と述べた重光外相の加盟演説だった。しかし懸け橋を目指す日本の悲願は、米ソ冷戦による厳しい東西対立の現実の前に、しばしば実現不可能な理想になってしまったのだった。

半世紀を経た今、同じ轍を踏まない覚悟と理想論で終わってしまわないような、現実を見据え考え抜かれた外交を日本は用意出来ているだろうか。

もちろん核兵器廃絶の責任は一義的には核保有国が負うものだ。オバマ氏は広島演説でこう言っている。

《私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない。私が生きているうちにこの目標は達成出来ないかもしれない。しかしたゆまぬ努力が破局の可能性を押し戻すことが出来るのだ》

米紙ロサンゼルスタイムスのコラムニストがオバマ氏のことを「未完の大統領」と呼び、オバマ政権の歴史を「満たされざる野心の物語」と書いていた(『外交』2016年5月)。まったくその通りで、満たされざる野心とは言い換えれば満たされざる理想であり、最大の未完は核兵器の廃絶である。

大統領職を去った後も、オバマ氏がこの未完のテーマの先頭に立って取り組み続ける時、初めて広島演説の歴史的評価も定まるのだと思う。

千野境子Keiko Chino

Profile
産経新聞 客員論説委員
神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長、外信部長、シンガポール支局長、論説委員長などを歴任。最新刊は「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」。

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