原子力産業新聞

風の音を聴く

「インドの台頭」と「燃え上がる女性記者たち」

20 Oct 2023

「中国の台頭」という国際社会では長らくの常套句に、赤信号が灯り始めたようだ。

経済の減速、外資の逃避、消費意欲の減退、高齢化、そして突然の外相更迭など不可解な内政… 米中対立の緊張が続く中、中国が不確実性と不透明さを増している。

いよいよ「インドの台頭」だとの声も聞こえる。果たしてインドは中国に取って代わるのだろうか。

確かに今年、インドは人口で中国を追い抜き世界第1位となった。高齢化はまだまだ先の話だ。最近はインドおよびインド人、そしてインド系の活躍も目立つ。

来年の米国大統領選挙の共和党候補者で今もっとも注目の人は、トランプ前大統領を除けば、インド系大富豪の実業家、候補者中最年少38歳のビベック・ラマスワミ氏だ。唯一の女性候補、トランプ前政権で国連大使を務めたニッキー・ヘイリー氏もインド系で、インド系の複数候補の出現は民主・共和党とも例がない。民主党もバイデン大統領とコンビの、カマラ・ハリス副大統領がインド系女性だ。

また英国のリシ・スナク首相も同国宰相史上初のインド系である。

実業界は政界の比ではない。IBM、グーグル、マイクロソフト、YouTube、スターバックス… のCEOは全員インド系が占める。

そして彼、彼女らにもまして本家インドのナレンドラ・モディ首相の活躍を忘れるわけにゆかない。去る9月に行われた第1820か国・地域首脳会合(G20ニューデリー・サミット)で議長を務めたモディ氏は、ウクライナ戦争とロシアの扱いをめぐって難航が予想された共同声明を会議初日にまとめ上げ各国を驚かせた。習近平・中国国家主席不在の中、グローバルサウスのリーダーはインドだと言わんばかり。

ここで一転して、インドのドキュメンタリー映画「燃え上がる女性記者たち」の話に移りたい。

元女性記者の筆者としては題名からして無視出来ない。9月半ばから公開上映中で、早速足を運んだところ、内容の重さや深刻さに比して、映画を一貫して貫く明るさ、前向きでパワフルなことに元気を貰い、図らずも映画界も「インドの台頭」ではないかと思った。

もっとも「ボリウッド」(旧名がボンベイのムンバイ映画産業)の表現で知られるインドは、映画の製作本数や観客数では既に米国を凌駕し、世界一と言われる。私の理解が間違っていなければ娯楽性が強く、だから「燃え上がる女性記者たち」も深刻でありながら楽しめるのだろう。

映画の舞台はネパールと国境を接し、世界文化遺産タージマハールのある北部ウッタル・プラデーシュ州。カースト制度の外側にある最下層、不可触民(ダリト)の女性たちが新聞「カバル・ラハリヤ(ニュースの波)」を立ち上げる。実話である。これだけでも新聞が衰退産業と化した日本ではオドロキだが、映画は同紙が紙媒体からSNSYouTubeなどデジタルメディアへと新たな挑戦を始め、戸惑いながらも奮闘する女性記者たちの、無理解な夫や家庭をも巻き込んでの物語だ。

描かれる差別や偏見、腐敗、暴力が半端ではない。しかし彼女らも半端ではない。へこたれない。住民からの訴えを無視する役所への取材で、何度たらい回しされても怒らず、粘る。愛嬌もあるし強靭、いい意味でしたたかだ。

大手マスコミが黙殺する地元の小さな問題を掘り起こし、怯むことなく追及する。彼女たちの報道のお蔭で、電気が通った、トラブルが解決した等々、素直に喜ぶ人々。SNSYouTubeに乗って新聞の評判も各地へと広がって行く。学識や記者教育は決して十分ではなさそうだが、大手マスコミが忘れがちなジャーナリズムの原点とジャーナリストの初心が、そこにはしっかりとある。

差別や貧困はない方が良いに決まっている。しかしそれらが女性記者たちを燃え上がらせ、人間性を高めるという逆説もインドならではで、考えさせられる。

冒頭に戻って、「中国の台頭」から「インドの台頭」に取って代わるかどうかは分からない。ただ、このような映画を作る自由な空間は、インドにあっても中国で葬られつつあるのは確かだろう。

千野境子Keiko Chino

Profile
産経新聞 客員論説委員
神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長、外信部長、シンガポール支局長、論説委員長などを歴任。最新刊は「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」。

cooperation