原子力産業新聞

福島考

放射線の恐怖を煽り、遺伝子組み換え食品の恐怖を煽り、メディアはどこへいくのか?
単に市民の声、懸念を伝えるのではなく、科学的事実を読み込み、そうした懸念に応える建設的な提案も含めた情報、メッセージを発信すべきではないか?
報道の現場を知り尽くした筆者が、強く訴える。

ニュースの構図は単線的な気候危機物語でよいのか!

01 Feb 2022

1月10日、NHK総合で「気候危機を食い止めたい! 若者たちが挑むCOP26」が放映された。同じころ、新聞でも似た内容の報道があった。よくあるワンパターンのニュースである。未来の地球を守りたいという中・高校生・大学生の純粋な気持ちは分かるが、テレビや新聞が取り上げるニュースの構図は少しも進化していないようだ。

気候危機のニュースは単純な物語

NHK総合の番組はタイトルから分かるように、昨年11月に英国グラスゴーで開かれたCOP26に集まった日本の若者の動きを追ったものだ。そのストーリーは、こうだ。

「いまの若者は異常気象が頻発する時代を生きていかねばならない。その危機は数年後に確実にやってくる。そのためには二酸化炭素の発生を速やかに抑えることが必要である。そして、二酸化炭素を出さない再生可能エネルギーへの転換を一刻も早く進め、同時に大量に二酸化炭素を排出する石炭火力はすぐにでも止めねばならない。日本は気候危機への対応が遅れており、世界の流れとかけ離れている」

この番組では、神奈川県横須賀市で建設が進む最新型高効率の石炭火力発電所も登場し、悪役に仕立てあげられた。あまりにも単線的なストーリーである。

記者たちが注目するのは、気候危機を食い止めたいと立ち上がった若者である。全国にいる高校生や大学生の環境意識を調べれば、気候危機や地球温暖化の二酸化炭素説に懐疑的な若者もいるだろうが、そういう学生はそもそもメディアでは取り上げられない。私が授業を受け持った東京理科大学の学生たちの中にも、懐疑的な学生もいるし、地球の気候危機よりも身の回りの貧困問題のほうがよほど重要だと考える学生もいる。しかし、そういう学生はニュースの素材に適さない。

テレビに登場した学生たちがなぜ、これほど気候危機を深刻に思い詰めるのか、どういう本を読み、どんな情報を知って、アクションに至ったかを深く知りたいが、その心の奥底を解き明かしてくれる深掘りの解説はなかった。

テレビでは鹿児島の大学生が登場した。スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさん(2003年生まれの19歳)の影響を受けたという。その大学生は鹿児島の駅前で訴え続けてきたが、ほとんど振り向いてもらえなかったという。

他の人が振り向かないのは不思議でもなんでもない。私の個人的な推測ではあるが、大半の学生は、COP26に集まった若者と違って、いますぐに気候危機がやってくるとは考えていないからだ。長期的に見れば、二酸化炭素を減らしていく必要はあるだろうが、技術的な解決策を探りながら、減らしていく時間的な余裕は十分にある。

新聞とテレビはニュースの構図が同じ

こうしたニュースの取り上げ方は、新聞も全く同じである。

毎日新聞は昨年10月30日、学校を休んでCOP26に参加した東京都内の高校生を取り上げた。「これ以上気候変動対策を先延ばしにされたら取り返しがつかなくなる。今年が最後のチャンスだと思う」「欧州ではものすごい大勢の人がプラカードを持ってデモに参加するなど、みんなが本気で気候危機の深刻さを訴えている。日本でも訴えている人はいるけれど、活動は盛り上がりに欠ける」「COP26会場から、日本政府に石炭火力発電廃止などを訴えた」との記述があった。

ストーリーの展開はNHKと同じである。記事で面白かったのは、この高校生は帰国後に定期テストがあり、グラスゴーに勉強道具を持参したことだ。受験勉強のような既定路線を歩みながら、気候危機の克服に挑むというアクションのギャップが印象に残った。

1月5日の朝日新聞(4面)では「普通の中学生 ストに立つ 温暖化に『NO』たった一人でも」との見出しで北海道に住む中学3年の女生徒を取り上げた。異常気象などで「大きな不利益を受けるのは若い世代だ。私たちやこれから生まれてくる人たちが安心して生きられる未来にしたい」と語り、「生活スタイルを炭素中立型に変えていくための議論が必要だ」と紹介した。

これまたニュースの構図はNHKや毎日新聞と同じだ。

何気ない便利な生活の積み重ねが二酸化炭素を排出

高校生らの意気込みや行動力は高く称賛したいが、それを取り上げる記者たちのニュースの取り上げ方の平凡さが気になる。

COP26に参加した日本の高校生らは二酸化炭素を大量に出す航空機を利用したはずだ。「なぜ、飛行機を使ったのか」と聞けば、おそらく「船でも行けたかもしれないが、そんな悠長な移動手段を選択していたら、時間がもったいない」と答えるだろう。

正しい目的のためなら、二酸化炭素を大量に出す飛行機を一時的に使うのもやむを得ないという論理だろうが、この論理を私たちの日常的な行動に置き換えると、人それぞれの事情はすべて正当化されるはずだ。目的のない生活を送っている人はだれ一人いないからだ。

記事に出てくる高校生らはなんとなく豊かな家庭で育っていることが読み取れる。暖房の利いた部屋でしっかりと勉強できる条件も整っているはずだ。そういう何気ない快適な生活の積み重ねが二酸化炭素を発生させていることへの視点が記事からは伝わってこないのが残念である。

途上国の若者はどう見るか

番組や記事を読みながら、一度も先進国並みの生活を味わったことのない途上国の若者は、はたしてこの運動に理解を示すだろうかと想像をめぐらせた。先進国の人たちがこれまでに排出してきた二酸化炭素の累積量に匹敵する排出量を、今後、途上国の人たちは排出できる資格があるはずだ。これまで散々二酸化炭素を出してきた人たちが、後から追いかけてきた人たちに向かって「もう、これ以上は出すな」と言えば、怒るだろう。

となれば、地球全体の二酸化炭素の総量を減らすためには、先進国の人たちは、炭素中立型生活どころか、これから途上国の人たちが先進国並みの生活になるまで出し続ける二酸化炭素の発生量の分まで減らす必要がある。つまり、先進国の人たちはいまの便利で快適な生活水準を大幅に下げて、地球全体の二酸化炭素を減らす覚悟がいるはずだ。

NHKや新聞記事を見ていると、石炭火力をやめて、再生可能エネルギーを増やせば、いまのまま便利な生活水準が維持できるかのごとくに読める。まるで夢物語だ。

単一の目的に沿った設計主義でよいのか!

地球の過去の気候を振り返れば、化石燃料が消費されていない時代にも、何度も寒冷化と温暖化を繰り返してきた。私が大学生だった1970年代には「地球が冷える」と盛んに言われ、その種の本がベストセラーになっていた。その当時は、地球の寒冷化が本当らしく思えたから不思議である。地球の気候は複雑な系で動く。一国の産業をつぶしてまで、二酸化炭素の削減に邁進する路線は危機管理の基本を欠いている。

18世紀末、過去の遺物を一掃したフランス革命を考察した英国の思想家、エドマンド・バーク氏「フランス革命の省察」(新訳・PHP研究所の中で、革命政府が向こう見ずにふるまうこと(現代ならば、西欧の“脱炭素”という絶対的支配原理だろうか)に対して「利害対立の存在こそ、性急な決断を下したいという誘惑にたいして、健全な歯止めを提供する」と書いている。

それぞれの国がそれぞれの事情で対立するのは健全な歯止めになるのだ。先進国と途上国、資源のある国とない国、原子力をもつ国ともたない国、電気自動車だけに邁進する国と高性能のハイブリッド車をもつ国。世界は利害に満ちている。一部の国が絶対君主のごとく世界に向けて命令すれば、必ず悲惨な反動が来る。

地球の気候は無数の要因で動く複雑系であるにもかかわらず、世界全体が「脱炭素」という単一の目的に向かって、あらゆる資源を総動員している。NHKの番組などを見ていて、ある特定のターゲットを消せば、目的が達成できるかのごとく、理性盲信の設計主義的な路線に危うさを感じた。

いまのところ、気候変動は予測不可能である。石炭、石油、天然ガス、原子力、水力、太陽光、風力など、多様なエネルギー源を残しておくことが、これからの若者たちの未来を保障することになるだろう。

小島正美Masami Kojima

Profile
元毎日新聞社編集委員
1951年愛知県生まれ。愛知県立大学卒業後に毎日新聞社入社。松本支局などを経て、1986年から東京本社・生活報道部で食や健康問題に取り組む。2018年6月末で退社し、2021年3月まで「食生活ジャーナリストの会」代表を務めた。近著「みんなで考えるトリチウム水問題~風評と誤解への解決策」(エネルギーフォーラム)。小島正美ブログ「FOODNEWS ONLINE

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