原子力産業新聞

メディアへの直言

旧統一教会報道に見るマスコミの「狂気」は原子力と無縁ではない。なぜか!

二〇二二年十一月二日 

 いまや、テレビ、新聞、週刊誌は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に関するニュースであふれかえっている。その過剰な報道合戦ぶりに食傷気味になっている人もいるのではないだろうか。今回のように、世論とマスコミが一色になる不気味さは、原子力の問題と決して無縁ではない。日本経済が危機的な状況を迎えているというのに、こんな偏った過剰報道を続けていてよいのだろうか。

御用学者のレッテルで科学的議論が委縮

 中世の魔女狩りに似た、旧統一教会に対する過剰な袋叩きと騒ぎぶりは、過去にどこかで見た既視感を覚えた。それは何か。じっくりと振り返ってみたら、二〇一一年に起きた福島第一原子力発電所の事故後の状況と酷似していることがよみがえってきた。当時、私は毎日新聞の現役記者だった。

 事故のあと、「事故に伴う放射線リスクは、多くの人に健康被害が生じるほどのものではない」と主張する学者が現れたが、マスコミは「御用学者」のレッテルを張り、言論界から閉め出した。たとえ事故のあとでも、言論の世界では科学的な議論が必要だと思ったが、いったん御用学者とのイメージが付着するとメディアに出る幕はなかった。その結果、反原発論者を除き、多くの学者は委縮してしまい、しばらくは、まともな言論が展開されなかったことを思い出す。

 そしてさらに、いったん原子力ムラの一員だというレッテルを張られると、何をやっても、どこへ行っても、差別されたり、冷たい視線を向けられたりする現象が起きた。福島県民というだけで差別された悲しい事例を覚えている人もいるだろう。

  そうした重苦しい空気は少しずつ薄れてきたとはいえ、いまなお残っている。政治家が「原子力が必要だ」と言おうものなら、選挙で落選の憂き目にあうのは必至である。マスコミや世間から、いったん「悪」のレッテルを張られると、もはや権力をもった政府でさえも、マスコミに抗うことが難しくなる。この魔女狩り的な報道現象が、旧統一教会をめぐる報道でまたも起こっている。そう感じているのは私だけだろうか。

PVワクチンも偏った過剰報道で接種率は激減

 もうひとつの例を挙げよう。

 二〇一三年四月に始まった、子宮頸がんなどを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン接種(無料で受けられる国の定期接種)の報道だ。ここでも似たような構図が出現した。ワクチン接種後に「全身の痛み」など様々な症状が生じた中学・高校女子たちがメディアの前に次々と現れた。弁護士を伴った記者会見や一部学者の学会発表のたびに、マスコミは一斉にワクチン接種による薬害かのような報道を繰り広げた。もちろん科学的に見て、接種と諸症状の間に因果関係が解明された上での報道ではない。

 また、一部の弁護士や一部の学者が特異的な症状や女子たちの救済策を訴えると、どのメディアも飛び付いてニュースを発信した。悲惨な症状を映像で放映したテレビは特にひどかった。ある学者が「この症状は日本人特有の遺伝子が関係し、それは動物実験でも明らかになった」と、もっともらしい説を唱えたため、メディアは何の疑問も抱かずに、ワクチンの負の側面だけを大々的に取り上げ続けた。

 こうした中、政府は二〇一三年六月、ワクチンの積極的な勧奨を中止した。その結果、約七〇~八〇%あったワクチンの接種率は一%以下に激減した。ところが、その後、その学者が主張していた遺伝子特有説や動物実験は全く根拠がないことが明らかになった。すると、マスコミは潮が引くように一斉に撤退し、何事もなかったかのように次のニュースへ移っていった。過熱のあとの沈黙である。

 あれから九年。今年からようやくワクチン接種の積極的勧奨が再開された。九年間の騒動は何だったのか。この九年間の空白によって、近い将来、接種しなかった女性たちの間で子宮頸がんが増えるのは間違いない。それは誰の責任なのか。冷静さを失ったメディアの過剰報道が招いた悲劇である。

 結局、メディアの過剰報道が国民にもたらしたのは、ワクチンへの不安や恐怖である。その怖いイメージは今なお残っている。原子力とそっくりである。

「推薦確認書」のどこが問題なのか?

 マスコミと世論が歩調を合わせて一色になると、政治家といえども、冷静な議論ができなくなる。すると、知らぬ間に国政上の重要なテーマが後回しになり、国力が衰えていく。そんな憂国に近い気持ちを抱かせるのが、いま勃発している旧統一教会の過熱報道だ。

 たとえば、自民党の国会議員が旧統一教会側と政策協定とも言える「推薦確認書」を交わしたことに対して、テレビ(特に朝と昼の情報バラエティー番組)は異様に反応し、問題視している。しかし、いったい何が問題なのかさっぱり分からない。特定の議員が自分を応援してくれる団体と「当選したら、○○の政策の実現に頑張ります」という確認書を交わすことは、労働組合をはじめ、どの団体でもやっていることである。

 この点について、日本維新の会の鈴木宗男氏(参議院議員)は「推薦確認書」の問題に関して、「大きく報道されているが、問題視されることだろうか」と自身のブログで疑問を投げかけている。さらに鈴木氏は「選挙の際、さまざまな宗教団体はそれぞれ推薦や支持を打ち出す。共通の価値観、考えがあってのことではないか。旧統一教会に限ったことではないのに、どうして差別的とも受け取れる報道になるのかと不思議に思う」との持論を展開している(十月二十一日のデイリースポーツ)が、同感である。

 この推薦確認書を問題視するテレビのニュースは特にひどい。十月二十七日朝の羽鳥モーニングショーでも取り上げていた(写真)が、何がどう問題かがさっぱり分からない。公表や説明が遅れたというのは、問題の本質ではない。おもしろおかしく自民党の国会議員をつるし上げるニュースはネタとしては一級品だろう。視聴者を飽きさせない劇画としてもおもしろいのだろう。

 その一方、旧統一教会を擁護するタレントもちらほら出てくるが、すぐにSNSなどでたたかれてしまう。これも原子力と似ている。

国家権力で特定の団体をつぶしてよいのか

 もちろん、私は旧統一教会の教義や高額献金による被害などを首肯しているわけではない。被害者たちの心情も理解できる。しかし、信教の自由はどの団体でも憲法で保障されている。にもかかわらず、テレビ(特に朝と昼のバラエティー番組)と週刊誌は寄ってたかって、一宗教団体を解散(もしくは消滅)させようとする世論をつくり上げていることに危惧の念を抱く。

 まるでマスコミと世論、そして野党政治家は、国に向かって「国が旧統一教会を解散させるべきだ」といわんばかりの主張である。「あの団体は反社会的だから、国家が権力を行使して、つぶしてください」と言っているようにも聞こえ、気味が悪い。これはまさしく民衆とマスコミによる恐怖政治である。

 国家の権力の行使に対して、一番慎重なはずの野党の政治家が、自民党を非難・批判する手段(政争の具)として、国に権力行使を迫る光景は自縄自縛的な行為であり、奇妙で滑稽ですらある。

岸田首相はしっかりと反論すべきだ

 では、この状況に対して、岸田首相はどう言えばよいのか。私なら、国会答弁で次のように言い返すだろう。「解散、解散とおっしゃるけれど、国家が権力を行使して、特定の宗教団体を解散させても本当によいのでしょうか。常日頃、国家権力の行使は慎重であるべきだと主張してきたのは、野党のみなさんですよね。そのみなさんが気にいらない団体だからといって、国家権力の行使を促すような発言は本末転倒ではないですか。もう少し冷静に議論しましょうよ」。

 弁護士で元大阪府知事の橋下徹氏や弁護士で元国会議員の菅野志桜里氏も「ある団体を解散させるからには、それ相応の理由がないといけない。気にいらないからといって、国家権力でつぶすようなことがあってはいけない」といった意見をテレビで発言していた。同感である。

 私から見れば、非科学的なトンデモ思想やイデオロギーを振りかざす団体は山ほどある。しかし、国家権力でつぶそうとは思わない。あくまで議論で勝ちたいと思う。

新聞はテレビに代わって冷静な言論を

 井上順孝・国学院大学名誉教授(宗教社会学)は毎日新聞(十月二十六日付)で次のように述べている。

 「旧統一教会に限らず、金銭搾取や精神的虐待などの問題を抱えた宗教法人は存在する。首相が質問権の行使を指示したのは評価できるし、今回の対応が緩いものになれば、こうした被害はなくならないだろう。ただ、宗教の実情を無視したものであってはならない。信者からの献金はどこの宗教法人でもあり、明らかに一般的な宗教活動の実情と比べておかしいという場合に限って、調査すべきだ」。

 テレビの興味本位の過熱報道に比べ、新聞はまだしも良識ある見解も載せている。いまこそ新聞の良識を発揮してほしいものだ。

もっと重要なテーマはいくらでもある

 いま日本は食料や肥料、飼料、エネルギー価格の高騰に襲われ、そこへ円安が追い打ちをかけ、未曽有の危機に直面している。欧米のルールで進む電気自動車化(EV化)に伴う産業の大変革期にもさしかかっている。国民の生活を守るべき国家が沈むかどうかの瀬戸際だといってもよい。

 お叱りを覚悟して言えば、そんな重要な局面のときに一宗教団体をどうするかは優先順位の低い問題である。これまでにも、ときの政権の失策で野党とメディアがこぞって盛り上がる舞台を何度となく見てきた。だが、そういう実りの少ない国会議論と報道が延々と続いてきたせいで、気づけば、日本はイノベーションや国際競争力において、三流国家に落ちてしまったのではないか。

 一九八〇年代には日本の経済規模(GDP)は中国の十倍もあった。ところが、いまでは逆転し、中国が日本の三倍もある大国にのし上がった。なぜ、これほどの差が生じたのか。なぜ日本は転落の一途をたどるのか。「失われた三十年」を取り返すことの重要性を考えると、もっと国の根幹にかかわるエネルギー(原子力発電の再稼働も含む)や食料の安定確保をどうするかに重点を置いた報道に力を入れてほしい。

小島正美Masami Kojima
元毎日新聞社編集委員
1951年愛知県生まれ。愛知県立大学卒業後に毎日新聞社入社。松本支局などを経て、1986年から東京本社・生活報道部で食や健康問題に取り組む。2018年6月末で退社し、2021年3月まで「食生活ジャーナリストの会」代表を務めた。近著「フェイクを見抜く」(ウェッジブックス)。小島正美ブログ「FOOD NEWS ONLINE

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