能登半島地震と志賀原発報道 ファクトチェックはいかにあるべきか
二〇二四年二月十三日
大手電力会社で構成される電気事業連合会のサイトを時々見ているが、一月二十四日のプレスリリース・お知らせに目が止まった。 その中身は、同日付け日本経済新聞5面(朝刊)に載った「電力供給、進まぬ分散 大手寡占で災害時にリスク」との記事に対する見解だった。その見解は、以下のような内容だ。
「本記事では、大手事業者があたかも一般送配電事業を寡占化し、送配電事業への新規参入を阻害しているかのような印象を与える見出しとなっているほか、能登半島地震により発生した停電長期化の原因が電力の供給網のもろさにあるかのような印象を与える内容になっていると考えております。<中略>
一般送配電事業は、周波数を維持し安定供給を実現するとともに、電柱や電線など送配電網の建設・保守のスケールメリット、一元的な管理による二重投資の防止、などの観点から、規制領域とされている許可事業であり、大手の寡占との指摘はあたらない。
今回の能登半島地震においては、輪島市、珠洲(すず)市を中心に道路の寸断(土砂崩れ、道路の隆起・陥没・地割れ等)や住宅の倒壊等により立入困難な箇所が多数あることなどが思うように復旧作業が進まない要因だと承知しており、停電長期化の原因が『電力供給のもろさ』にあるという指摘はあたらない。」
新聞記事は
電気の地産地消を推奨
今回のように、新聞記事に対して、その日のうちにコメントや見解を述べる行為は実にスピーディーであり、ファクトチェックのお手本のような例である。まずは称賛したい。
筆者は日本経済新聞を購読していない。さっそく地元の図書館へ行って、その記事を読んだ。冒頭の文章に「再生可能エネルギーを使って供給を分散できれば広範囲の停電リスクが下がるが、送電網の事業への新規参入は進んでいない」とあり、さらに「小型の電源が分散し狭い地域でエネルギーを地産地消できる体制が整えば、広範囲の災害でも電気を順次復旧しやすい」とあった。小型電源の主力は太陽光や風力だという。
また、記事では、大手電力の送電インフラを使わず、自前で新たに供給網をつくる「特定送配電事業」が存在することにふれ、二〇二三年末時点で33事業者が登録されているという。その登録事業者数が少ない理由は、自前で電柱や電線のインフラを整備するのは巨額の費用がかかるからだという。
要するに、各地域で自前の太陽光や風力、そして電柱や送電網をつくれば、災害に強い地域になるという内容だ。こういう電気の地産地消を推奨する記事は日本経済新聞に限らず、たびたび大手新聞に登場する。
太陽光での自前電源は
そもそも不可能
では、多くのメディアが推奨しながら、電気の地産地消(各地域での自前電源の整備)が進まないのはなぜだろうか。それは、日本経済新聞の記事が触れたように、コストがかかりすぎて採算が合わないからだ。
ちょっと考えれば分かることだが、太陽光や風力で自前の電源を整備するほうがコストが安いのであれば、世界のメーカーと競合せねばならぬ日本の製造メーカーは、大手電力会社に頼らずに、こぞって自社敷地内に自前電源をつくっているだろう。そうはならないのは、天候に左右されて、設備利用率が二〇%以下となってしまう太陽光だけでは、自前電源にならないからだ。ましてや巨額のコストがかかる蓄電池まで自前で用意すれば、コストはさらに増え、メーカーの競争力は逆に弱くなるだろう。太陽光が有効に機能するのは、他の電源(火力、原子力、水力など)のバックアップがあってこそだ。
記事は最後に「再生エネが拡大すれば、火力発電を減らし…」と書き、太陽光や風力を増やせば、問題が解決するかように締めている。日本では太陽光発電はここ十年間で大きく増えたが、火力発電は一向に減っていない。仮に太陽光を増やしたところでパネルの約八割は中国産なので、自前には程遠く、エネルギーの自給率アップにもならない。なぜ、日本の大手メディアの記者はかくも太陽光に幻想を抱くのか不思議でしようがない。太陽光を絶対視する「太陽光信者」としか言いようがない。
大規模分散が現実的か
では、仮に能登半島の集落ごとに太陽光と風力が設置されていたとしよう。今回の地震のようにこれだけ道路網や送電網、住宅が損壊すれば、たとえ地域の所々で太陽光発電(奇跡的に損壊が免れたとして)が部分的に機能したとしても、出力が安定しないため送電網(これも奇跡的に破壊されずに残ったとして)を乱すだけでなく、太陽光が働かない夜や雪の日も含めて、日常生活に必要な電気をまかなうのは到底不可能だろう。
今回の能登半島地震では全国の電力会社から、延べ二千五百人(一月十九日時点)を超える応援があり、復旧に努めた。大手寡占のどこが災害リスクにつながるのか日本経済新聞の記事の説得力は全く感じられない。
逆に、もし各集落に自前電源をもつ事業者が多数いたらどうなっていただろうか。事業者間の連携は期待できず、地域住民が避難を強いられる中で集落ごとの電源の復旧など到底できず、半島全体の復旧はいまよりもさらに遅れたであろうことは容易に推測できる。地産地消という言葉(理念)だけでうまくいくかのような設計主義の危うさは、旧ソ連の社会主義の崩壊で実証済みである。
キヤノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹が夕刊フジ(二〇二三年十月七日)などで述べているように、災害時に強いエネルギー供給のあり方については、火力による大規模な発電所と広域の送電網からなる「大規模分散」のほうが、より現実的で災害に強いように私には思える。
ファクトチェックの意義は
公開にある
本コラムで強調したいのは、地産地消と災害リスクの関連を論じることではなく、電気事業連合会が日本経済新聞の記事に納得できないところがあると指摘して、その理由を公開したことである。この電気事業連合会のファクトチェック公開がなければ、私は日本経済新聞の記事に気づくことはなかった。欲を言えば、電気事業連合会にもっと詳しい解説を期待したいところだが、それはさておき、スピーディーなファクトチェック活動が科学リテラシーの度合いを高めることは間違いない。
地震の影響で北陸電力志賀原発(石川県志賀町)で起きた「変圧器の破損」「油の漏れ」「外部電源の一部途絶」「情報の二転三転」などのトラブルがたびたびメディアで報じられた。リスクコミュニケーションにも詳しい唐木英明・東大名誉教授はウェブマガジン「ウェッジオンライン」(一月十六日)に「能登半島地震で国民を不安にさせる報道の特徴とは?」と題して、論稿を載せた。そこで「多くのメディアの論調は柏崎刈羽原発の報道とほとんど同じであり、安全上問題がない変圧器の破損があたかも重大な問題であるように誤解させ、不安を煽るものだった」と書いている。確かにそういう面が強い。
唐木氏はこの記事で一月二日に羽田空港で起きた日本航空516便と海上保安庁の航空機が衝突した事故について、興味深い指摘をしている。あの事故で日本航空の搭乗員全員が助かったことは海外からも「奇跡」と称賛されたが、脱出までに約十八分もかかった。国際基準では脱出シューターが開いてから九十秒以内に搭乗者全員が脱出することが求められている。だとすれば、厳密に言えば、対応が成功したとは言えず、単に運がよかっただけなのかもしれない。これが原発だったら、猛批判を浴びていたに違いない。
新聞記事を読んでも日航機への批判は見られない。志賀原発のトラブルに対する報道は、多くのメディアの原発嫌いを反映していることが分かる。であるだけに、原発関連報道のどこまでが的を射ているかを判断するのは相当に難しい。やはり専門家が集まった第三者的なファクトチェック活動が不可欠である。
幸い、電気事業連合会は特設サイトを設けて、報道記事にあるような「外部電源の一部が失われ、不安だ」といった数多くの疑問や不安に対して分かりやすい見解(北陸電力へのヒアリングを基に作成)を載せている。報道では分からないことがこの解説で理解でき、これもファクトチェックの良い例だと言える。この掲載のタイミングもよく、とても参考になる。
しかし、なかには電力会社の言うことを鵜呑みにしていいのかという人もいるだろう。確かにその通りである。一月下旬、私は唐木氏との共著で「フェイクを見抜く」(ウェッジ)を刊行した。これもファクトチェックの一環である。原子力や放射線を含め電力・エネルギー問題に関する報道の真偽をきめ細かくチェックする作業は専門家でないと難しい。科学者が多数参画する第三者的なファクトチェック団体の誕生を強く望みたい。