原子力産業新聞

メディアへの直言

「大手既存メディアへの不信」これが今年の言論空間のキーワードか

二〇二五年一月十四日

 二〇二五年を特徴づけるキーワードは何だろうか。最近の米国大統領選や兵庫県知事選を見ていて、「大手既存メディアへの不信」がキーワードのひとつのように思えてきた。特にリベラルメディアへの不信感とその影響力の低下が確実に起きているような気がする。原子力の話題も交えて、その背景を論じてみたい。

大手既存メディアへの不信が根底に

 みなさんもすでにご存じのように昨年十一月の兵庫県知事選で前知事の斎藤元彦氏が再選された。斎藤氏は議会の不信任決議を受けて失職したあと知事選に臨んだ。当時、どのテレビ番組や新聞を見ても、斎藤氏を批判するニュースばかりだった。そのような言論空間で斎藤氏が勝つ見込みはなく、落選の可能性が強かった。ところが、ふたをあけてみたら、斎藤氏が快勝した。

 その背景の分析については、いろいろな媒体で取り上げられているが、私なりにひと言で言えば、大手既存メディアへの「不信感」が間違いなく根底にあった。知事選前、既存メディアはどのニュースでも、斎藤氏の「パワハラやおねだり疑惑」を表面的におもしろおかしく報じ、内部告発のどこが本質的な問題かを報じたニュースは少なかった。そういう言論空間を見る限り、選挙前の斎藤氏のイメージは限りなく「悪」=(知事にふさわしくない人物)に近かった。

大手メディアが報じない情報をSNSが補完

 ところが、大手メディアが報じない裏の世界では斎藤氏側のSNS戦略が功を奏し、さらに斎藤氏の当選を目指すという奇抜でウルトラC的な出馬をした立花孝志党首(NHKから国民を守る党)の動きもあって、既存メディアよりもSNSの情報のほうが県民の心をとらえていた。

 では、なぜSNSのほうが県民の心をつかんだのか。私流の解釈では、SNSのほうが玉石混交とはいえ、ニュースの中身が豊富(選べる材料が多い)だったからだ。

 大手既存メディアは知っていても書かない(または書けない)ことが多々ある。プライバシーもあって、タテマエしか報道できないためだ。自死したとされる県民局長の公用パソコンに残っていた私的な情報に関しても、具体的にはほとんど報じない。しかし、アウトサイダー的な週刊誌やSNSなら、そういうタテマエ(世間体的思慮)に気を遣うことなく、ニュースを発信できる。

 兵庫知事選のそのあたりの事情は「斎藤氏への世論『批判から熱狂』に変わった本質」(東洋経済オンライン・安積明子ジャーナリストの記事(二〇二四年十一月の上・下)を読むとよく分かる。この東洋経済の記事も、大手メディアだとまず書けない。

大手メディアの影響力は
低下したのか?

 ここで私が強調したいのは、もはや既存の大手新聞とテレビ局が流す情報(ニュース)は諸現象のごく一面でしかないことを皆が知ってしまったということだ。NHK党の立花氏が「斎藤氏は悪くないですよ」と具体的な例を挙げて自信ありげに演説するのを聞いた多くの人は「えー、そうなのか。大手新聞やテレビは本当のことを報じないのか」と立花氏の新鮮な内容を信じたに違いない。

 そう信じてしまうのは、その根底に大手既存メディアへの不信感があるからだ。斎藤氏が当選した昨年十一十七日、フジテレビ系「Mr.サンデー」(日曜午後時)のキャスターを務める宮根誠司氏は選挙戦の結果に対して、真顔で「大手メディアの敗北」だと語った。おそらく宮根氏の心の中には「これだけ我々テレビ側の人間が来る日も来る日も斎藤氏を批判的に報じてきたのに、その威力は通じなかったのか。もはやテレビの影響力は想像以上に小さいのかもしれない」といった苦い思いがあったのだろうと推測する。

 私もちょうどその宮根氏の言葉をテレビで聞いていて、確かにその通りだとうなづいたのを覚えている。

 もはや大手メディア(新聞とテレビ)がどんなニュースを流そうが、SNS(インフルエンサーのブログ的ニュースも含む)で情報を見たり、確認している人たちにとっては、大きな影響力を持たなくなったということを実感した瞬間だった。

 兵庫県知事選の検証記事を載せた毎日新聞(十一二十四日付)でインタビューを受けた西田亮介・日本大学教授は「斎藤氏や知事選について、有権者がネットで検索しても、有権者が知りたいことはマスメディアの記事には出てこない。その代わりに斎藤氏の陣営や支援者らが発信する『切り抜き動画』など大量の情報が目に触れた」と述べている。知事選という特殊なケースだった要因もあるだろうが、大手メディアが発信する情報はもはや読み手の期待に応えていないことが分かる。

大手メディアの情報発信は
一方通行

 そもそも大手既存メディアが流すニュースは、読者の期待とは関係なく、一方通行である。どんなニュースが流れてくるかは、ニュースが出てくるまで分からない。しかも読み手が知りたいと思ったニュースが流れてくる確率は非常に低い。さらに、期待したニュースが流れてきたとしても、そのニュースは記者やその媒体のフィルターを通じたゆがんだ情報であり、多様性に欠けることは否めない。

 さらに言えば、大手既存メディアへ「こんなニュースを書いてほしい」とアクセスする手段は限られている。いやほとんどアクセスする手段はないといってもよい。テレビ番組を見ていて、「これはおかしい」と思っても、黙認するしかなく、それを伝える手段はない。仮に取材を受けても、期待した内容のニュースが作られるとは限らない。つまり、既存メディアは国民の手の届かないところにある。そういう疎外感がある中でSNSの世界なら、自ら発信もできるし、ニュースへのコメントもできる。SNSの世界には記者よりも知識の豊富な専門家がたくさんいる。そういう専門家とつながれば、大手メディアよりもSNSのほうがはるかに頼りがいがあり、親近感が感じられるはずだ。

トランプ大統領の誕生と酷似するメディア空間

 みなさんも薄々感じておられるだろうが、兵庫知事選の構図は、ちょうど同じ時期に誕生した米国のトランプ大統領の誕生と似ている。むろん斎藤知事とトランプ大統領は思想も政治的背景も異なるが、私から見て酷似していると思われるのはメディア空間である。

 よく知られているように米国のメディアの大半(ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、テレビのCNNなど)はジョー・バイデン氏の率いる民主党を支持し、共和党に対しては批判的な記事を普段から発信している。共和党の支持者にとっては、米国のメディアはリベラル派に寄り過ぎており、フェイクニュースばかりを流していると映る。つまり、米国の言論界を牛耳っている民主党寄りのリベラルメディアへの反感である。

 トランプ大統領はリベラルメディアのニュースを常に「フェイク」だと口にしていた。これは、トランプ大統領の支持者から見ると、「リベラルメディアは真実を報道していない」と映る。NHK国際部の辻浩平記者がホワイトハウスを取材(二〇二〇年~二三年)した第一級レポートといえる「トランプ再熱狂の正体」(新潮社)を読むと、リベラルメディアへの不信がトランプ支持者たちの心をとらえたことは間違いない。

 いったん強固なトランプ支持者になると、いくらリベラルメディアが共和党やトランプ大統領を批判しても、そのニュースはフェイクだと認識され、びくともしない構図ができあがる。トランプ支持者の心境は「どうせアメリカの主要メディアはオレたち(私たち)の声を聞いてくれない」だろう。その結果、トランプ支持者たちは、大手メディアを信用せず、共和党サイドの交流サイト(SNS)やユーチューブで情報を入手するようになる。

原発推進の国民民主党は
なぜ躍進したのか

 日本でも米国でも、大手既存メディアへの不信感は以前からあったのだろうが、最近になってその傾向がより露わになった気がする。

 日本新聞協会によると、二〇二三年の世帯当たりの新聞の発行部数は〇・四九部だ。もはや半分の世帯が新聞を購読していない。私のような新聞愛好者にとっては悲しいことではあるが、今後も大手新聞の影響力はますます低下するだろう。確かに新聞を読んでいれば、世の中の政治や経済に関する全般的な動きは良く分かる。しかし、新聞を読まない人にとっては、SNSだけが情報源であり、私とは全く異なる世界を見ていることになる。

 しかし、そのことはマイナスばかりではない。昨年秋の衆議院議員選挙で国民民主党は議席から二十八議席へと大躍進した。これは大手メディアが国民民主党を紙面で応援したからではない。国民民主党の玉木雄一郎代表は昨年十一二十七日、石破茂首相を訪ね、原子力発電所の新増設を要望した。これまで「原発の推進」を口にすれば、マイナスイメージが響いて選挙では不利だとされてきた。それでも国民民主党は議席を増やした。大手メディアがつくり出す言論空間とは異なる、もうひとつの言論空間がいよいよ生まれつつある。

小島正美Masami Kojima
元毎日新聞社編集委員
1951年愛知県生まれ。愛知県立大学卒業後に毎日新聞社入社。松本支局などを経て、1986年から東京本社・生活報道部で食や健康問題に取り組む。2018年6月末で退社し、2021年3月まで「食生活ジャーナリストの会」代表を務めた。近著「フェイクを見抜く」(ウェッジブックス)。小島正美ブログ「FOOD NEWS ONLINE

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