メディアの間違いにどう対処すればよいか ― 記事の弱点を突き、照準をしぼることが肝要
06 Dec 2018
新聞やテレビをはじめメディアの“誤報”にたびたび苦杯をなめてきた体験をお持ちの方は多いはずだ。しかし、誤報と分かっても、たいていは文句も言えず、泣き寝入りで終わるケースがほとんどだろうと察する。では、どうすればよいか。果敢に訂正を求めるアクションを起こすしかない。ただアクションを起こすからには賢い方法を身に着けておくことが必要だ。どんな方法か?
賢い方法のヒントは、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が逮捕された事件にある。東京地検は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕し、立件を進めている。犯罪を立件するなら、背任や横領のほうがニュース価値は高いが、なぜ、有価証券報告書の虚偽記載という微罪で逮捕したのか。虚偽記載なら、虚偽の記載という厳然たる事実があれば、立件しやすいからだ。
まずは相手の確実なエラー、弱点を突き、追い込んでいく。これがメディア対応の基本である。
もんじゅ「欠陥」の記事
具体的な例をあげよう。2017年11月29日、毎日新聞の一面トップに「もんじゅ設計廃炉想定せず ナトリウム搬出困難」(東京版)との見出しの記事が大きく載った。大阪版の一面は「ナトリウム回収想定せず もんじゅ設計に『欠陥』 廃炉念頭なく」との見出しだった。東京版に比べ、「欠陥」という文字が大きく見出しにとられた。これを受けて、翌30日には福井新聞にも「一次取り出し困難」と題する記事が掲載された。
これに対し、日本原子力研究開発機構は11月29日、ホームページに記事解説を載せた。毎日新聞の記事の概要を記したあと、その記事に関する事実関係について、「概ね事実」「一部事実誤認」「誤報」「その他」の4分類のうち、「誤報」に〇印をつけた。
そのうえで「・・原子炉容器内のナトリウムの抜き取りについては、原子炉容器の底部まで差し込んであるメンテナンス冷却系の入口配管を活用するなどにより抜き取ることが技術的に可能と考えている・・」などの解説を記し、記事の主要部分が間違いであることを強調した(ちなみに、この記事解説はいまもネットで読める)。
さらに、「事実関係を十分に取材せずに掲載されたものであることから、当機構としては甚だ遺憾であります。今後、このようなことが起こらないように強く抗議するとともに善処を求めてまいります」との見解を公表した。
その後、同機構側は、記事を載せた関係部署の担当責任者と直接会って、訂正を求めたが、「記事は間違っていない」と言われ、結局、求めた訂正は実現されなかった。
明らかな間違いに照準
訂正を求めるときの最大の要諦は、記事の中で「明らかな間違い」を見つけることだ。その間違いに照準を定め、「ここは明らかに間違っています。間違った情報を信じた読者に対して、再び、正確な情報を流すのが報道機関の使命と考えます。読者のためにも、訂正をお願いします」と強く主張することだ。
もんじゅの一面トップの記事の前文を読むと、「・・液体ナトリウムの抜き取りを想定していない設計になっていると日本原子力研究機構が明らかにした。・・・・廃炉計画には具体的な抜き取り方法を記載できない見通しだ」となっている。
私が記事を読んでまず気づくのは、欠陥ともいえる設計になっていることを「同機構が明らかにした」という記述になっている点だ。つまり、「抜き取りが想定されていないことが毎日新聞の調査で分かった」という言い方ではなく、「同機構が明らかにした」という言い方になっている。
同機構が公的にそんなことを言うわけはなく、また、そんな見解を述べた文書があるわけでもなく、これは明らかに間違いだと言える。
さらに記事を改めてよく読むと、《同機構幹部は取材に対し、「設計当時は廃炉のことは念頭になかった」と、液体ナトリウム抜き取りを想定していないことを認めた》となっている。「ナトリウム抜き取りを想定していないことを認めた」という文章は、記者の地の文であり、幹部が抜き取りを想定していなかったと証言したという文章ではない。つまり、抜き取り想定せずは幹部の言葉ではなく、記者の拡大解釈だ。
仮に幹部の一人がそのようなニュアンスを記者にもらしたとしても、それは一意見であり、「機構自体が明らかにした」という断言調の言い方は明らかに間違いだと言える。
幹部がだれだったかは「取材源の秘密」で明かせないと言われたそうだが、それは関係ない。機構自体が明らかにしたという事実が全くないことを強く主張すれば、訂正は勝ち取れるはずだ。
もうひとつ勝ち取れる点があった。「抜き取り方法を記載できない見通しだ」という表現である。そもそも記載する必要がないから記載していないだけで、記載することは十分に可能なのは明らかなことから、これは「間違いです」と突っ込める。
記事には、他にもおかしな点は出てくるが、まずは訂正を勝ち取ることができる部分に絞ることが肝要である。これはゴーン氏の逮捕容疑と同じである。
記事に抗議するとか、善処を求めるといった主張は必要ない。あくまで的をしぼって訂正を勝ち取ることを目標にしたい。
記者は補助に軌道修正
実は、毎日新聞はあのあと、記事の内容を軌道修正している。たとえば、2017年12月7日、もんじゅの廃炉に関する続報を載せた記事を見ると、その見出しは「もんじゅ廃炉課題山積 核燃料回収 複雑な手順」だった。この記事は、「同機構が12月6日、廃炉計画を原子力規制委員会に申請した」という記事の中で改めて解説を加えたもので、11月29日の記事では、「数百トンは抜き取れない構造」と書いていたのに、12月7日の記事では同機構の見解として「技術的には十分可能」との内容を載せた。
もし技術的に十分可能なのであれば、そもそもあの一面トップの記事は特ダネとして成立しなかったことになる。最初の記事と8日後の記事には大きな矛盾が生じているが、ほとんどの読者はそんなことには気づかなったに違いない。
さらに言えば、2017年12月6日の毎日新聞の朝刊では、同機構が福井県と敦賀市に廃炉計画の概要を示したとの記事が掲載されたが、その記事には欠陥を思わせる記述は全く出てこない。11月29日の記事を書いた記者とは別の記者が書いているからだ。
記者たちはやや勢い余って「書き過ぎたかな」と思うと、前に書いた記事のトーンを少しずつ修正していく習性がある。私の見方では、これもその一例である。いったい何が事実なのか。混乱するのは読者だけだろう。
メディアという媒体はどこも訂正を出すことを極度に嫌う。記者も嫌う。私も過去に平均して2~3年に一度は訂正記事を出してきたが、訂正のあとはいつも憂鬱な気分になったものだ。しかし、読者にとっては、訂正の掲載は正確な情報の担保条件であり、信頼の証でもある。あとで振り返れば、訂正を出してよかったと思ったのも事実である。
訂正を求めるときはこう言おう。「訂正は読者のために必要です。報道機関として、読者に間違った情報を届けたままでよいのでしょうか」。
次回のコラムは、メディア対応の次の手を紹介したい。