短期限界費用(SRMC: Short-Run Marginal Cost )は、電力市場における重要な要素である。電力市場への入札は、市場に参加している発電事業者のSRMCに基づいて行われる。入札は、最低の入札から受け入れられ、受入れられた入札が需要と一致するまで続けられる。系統限界価格または各取引期間に選択された最も高い呼び値であるスポット価格がすべての入札者に支払われる。このSRMCは、電力市場がどのように機能し、自由化環境下に置かれた原子力発電所(マーチャント原子力発電所)が電力市場にどのように組み込まれるのかを理解する上で重要な概念である。
SRMCとは何か?
SRMCとは、例えば発電所出力を1時間だけ1 MW増加させる場合など、発電を僅少量、一時的に増加させる場合の発電所総費用の増分コストを意味する。SRMCは、$/MWhの単位で示される。ほとんどの発電所費用はSRMCには含まれていない。すなわちSRMCの算定に際しては、発電所の負債など資金調達コスト、リース費用、運転費などの費用は、変化しないと考える。石炭火力、天然ガス火力、あるいは石油火力などのSRMCは、1 MWh余分に発電するために追加で燃焼される燃料の増分費用である。火力発電所の熱効率は、出力レベルによって変化するため、その時点の発電所出力によってSRMCは変化する。風力発電所、太陽光PV発電所、または流れ込み式水力発電所は、SRMCがゼロである。出力が短期間、少量変化しても、総費用は変化しない(すなわち、すべての費用は、短期的には不変である)。原子力のSRMCもゼロである。
原子力のSRMCはなぜゼロなのか?
原子力発電所の運転費および燃料費は$/MWhを単位にして計算される。一見すると原子力発電所の運転費や燃料費は変化しうる、すなわちそれらは限界費用であるかのように見える。しかし、これらの数字は、実際には固定的費用を一定期間(例えば1年)のユニット発電量で割ることによって計算される。だからこうして計算される原子力の運転費や燃料費は、年間発電量が減少すればそれに反比例して増加することになる。つまりこの単価($/MWh)は変化することはない。このことはそれらが限界費用ではないということを明確に示している。核燃料費を$/MWh単位で計算してみると、それを火力発電の燃料費と比較することが可能とも思えるが、こうした比較は原子力発電のSRMCを理解する上では意味がない。核燃料費の総額は、燃料交換停止時に核燃料を装荷する時点よりも相当前に決まってしまう。この核燃料費は、燃料交換停止を終えて運転に入った後、出力を一時的にわずかに変化させても変わることはない。規制下にある電力会社の料金算定では、発電所の将来の運転期間の核燃料費総額を、当該運転期間の予測発電量で割って$/MWh単位の核燃料費にして計上する。このように料金規制用に計算される核燃料費の想定値は、当該運転期間に規制された料金として核燃料費を回収するために使用される。この規制下での核燃料費の回収には、運転期間後の「調整」手続きがある。当該運転期間中の実際の総発電量は予測総発電量とは異なることから、核燃料料金として徴収される総額は、実際の核燃料費総額より多いこともあれば少ないこともある。この「調整」金額(差額)は、将来の料金調整に活用される。原子力発電所が運転期間中に長期停止すれば次の定期燃料交換停止に入る時期が遅れる可能性があるが、運転中に短期間、出力を増減させたとしてもこうした遅れが出ることはない。PWRもBWRもほぼ18~24カ月に1度、燃料交換と保守のために運転を停止するが、こうした原子力発電所の定期燃料交換停止時には、燃料交換を行うほか、それとは部分的にしか関係しないような他の多くの保守活動が密度高く組織的に行われる。従って、運転中の短期間のわずかな出力変化があっても、燃料交換停止の日程や燃料費総額が変化することはない。
SRMCは、電力市場の重要な要素である
経済学者達が電力会社や電力業界の構造改革につながる新しい考え方を提示したのは今から数十年も前のことである。こうした新しい考え方には入札に基づく卸売電力のリアルタイム市場を導入することが含まれていた。これが今日見られる電力市場の誕生につながった。これらの電力市場では、発電事業者の入札価格に基づき各取引期間に対応した市場スポット価格(すなわち電力システムの限界価格)が決定され、その結果、どの発電所が運転されるかが決まることになる。簡単に言えば、市場メカニズムを前提にした計算機プログラムが各取引期間毎に入札量と需要量とを比較して、需要を満たす範囲でスポット価格が最も安価となるように落札者を選択することになる。在来の電力会社の給電指令所でも、これと同様、給電指令を出す時には社内で評価されたSRMCを用いて需要が満たされるまでSRMCの小さい発電所から順に発電所を稼働させている。電力市場では、市場に参加している発電事業者が有する発電費用に関する様々な情報とは無関係に、発電事業者の入札価格だけでこの順番が決定される。入札価格はその発電事業者のSRMCに基づいており、こうした自由化電力市場の設計では各発電事業者が実際のSRMCレベルで値付けするよう強力なインセンティブが与えられている。電力スポット価格は、各取引期間毎にその最後の落札者の入札価格(すなわち、稼働が許される全発電ユニットの最高入札価格)で決定される。当該取引期間内で落札したすべての発電事業者にこのスポット価格が支払われる(すなわち、支払われる価格はそれぞれの入札価格ではない)。すべての発電量に対してこのスポット価格が支払われるということは、スポット価格と発電事業者のSRMCの差額が、発電所の固定費に充当できる営業利益となることを意味する。発電事業者の入札価格が実際のSRMCと等しい場合に、発電事業者は、運転・営業利益を最大化することになる。つまり、
- 発電事業者の入札価格を実際のSRMCより高く設定すると、スポット価格が入札価格より低く、かつ実際のSRMCよりも高い場合には、失注し潜在的利益を失うことになる。
- 発電事業者の入札価格を実際のSRMCより低く設定すると、スポット価格が入札価格より高く、かつ実際のSRMCより低い場合は、落札はするが営業損失が出ることになる。
この市場アプローチによって、発電事業者は営業利益を得る機会が与えられるが、その営業利益によって実際の固定費回収が保証されるものでもない。電力スポット市場では、入札価格および運転出力以外の、発電所固定費、年間営業利益、その他関連する諸条件等については一切考慮が払われない。電力スポット市場が有する機能は、既存発電所のどれをどう稼働するかを決定することに限られており、これらの発電所への投資がどのように行われるか、これらの発電所がどのぐらいの利益をあげ得るか、発電所を引き続き運転するのかどうか、あるいは発電所を廃止措置に入れるかどうか、などについて決めることはこの電力スポット市場の機能ではない。電力市場を運営する地域系統運用機関は、地域の電力システムの信頼性についても責任を持っている。これら機関は、発電所が運転を続けるよう、あるいは新規発電所への投資が円滑に行われるように適宜、措置を講じることがある。これらの措置には、別に設備容量市場を運営すること、規制による強制稼働(マストラン)契約を導入すること、電力供給事業体に信頼性要件を課すことが含まれる。こうした措置が必要となるのは、電力市場のスポット価格だけでは望ましい信頼性レベルを維持するために十分な利益を発電設備所有者が得ることはできないからである。英国の電力市場改革では、さらに踏み込んで、過去に国営電力会社が長期計画を立案しながら供給していたのと同量、同種の新規発電容量(新規原子力発電所を含む)を確保することを目的とした一連の奨励策として買い取り制度を基本とした買電契約などが導入されている。
給電の実情
発電所は、瞬時に稼働・停止することができ、指令があればすぐに稼働開始できるというのが理想だが、実際には発電所の運転には様々な制約がある。電力市場への入札価格はこうした制約を反映したものとなる。例えば、ある取引期間に注目した場合、仮に火力発電所があったとしても、それが起動済みでかつ直前の取引期間では低負荷であった、ということでなければ、そこから追加の電力を期待することはできないかもしれない。とりわけ原子力発電所には強い制約がかかっている。原子力発電所については、市場で入札し落札する、つまり市場運営者が次の取引期間にそれを運転してよいかどうかを決定する、という普通のやり方はとられない。原子力発電所はむしろ「価格受容者」として市場が決める価格がどうであれそれを受容することを前提に(編集部注:つまり必ず落札できるような価格で)電力市場に入札する。この入札方法をとれば原子力発電所は、燃料交換停止から次の燃料交換停止まで最大出力で継続運転することができる。この入札方法では、原子力発電所はその全発電量について常時スポット価格を受け取ることになるが、一方で時々刻々変化するスポット価格の決定に関し、原子力の入札価格が影響を与えることはないということを意味する。これは、原子力発電所が常時、全てのスポット価格(マイナスのスポット価格を含む)の影響を受けることを意味する。
マイナスのスポット価格
どうしてスポット価格がマイナスになることがあるのだろうか?米国における再生可能エネルギー補助金には連邦税額の控除および州毎に決められる再生エネルギー控除が含まれる。これらの補助金は、電力市場の外側で決まるものだが、実際の控除額は当該発電所の発電量に基づいて決定される。その発電量は電力市場の入札結果に基づき決まる。だから入札価格、つまりSRMCとこうした外部支払い額は関連があり、場合によってSRMCをマイナスとしても利益がでることがあり得る。風力発電事業者は、実際の発電量に基づいて市場外で$30/MWhの補助金を受け取り得るとする。この場合、風力発電所は電力市場ではマイナス$30/MWhの値を付ける。こうすることで電力スポット価格がマイナス$30/MWhより高ければ必ず利益が得られることになる。これは風力発電事業者にとってその利益を最大化する合理的(かつ合法的)なやり方である。風力発電事業者のSRMCは、市場外の補助金の分だけ実態からシフトした値になってしまっているのである。風力発電所が多数立地する地域では、需要が低く風の強い時期(夜間など)の電力スポット価格は実際マイナスになる。これらの再生エネルギー補助金については、実際の発電量とは切り離して算定するなどこの例とは異なった手法をとれば、同規模の経済的利益を事業者に付与しつつも、電力スポット市場価格は歪ませないようにすることが可能であろう。
原子力発電にとっての教訓
最近の産業界の会議で、筆者は電力市場の運営がどうなされ、そうした自由化環境下におかれた原子力発電所は一体どうしたらその電力市場でやっていくことができるのか、について要点をとりまとめて発表した。一部の参加者にとっては、風力と原子力の発電コストには大きな差異があるにも拘わらず、「合理的な市場」では、原子力発電所よりむしろ風力発電所が運転されることになることは驚きであったようだ。電力市場は、SRMCに基づく入札価格に基づいて短期的にどの発電所を稼働させるのか、を決定することだけに関与するものであり、この市場価格に基づく判断は、固定費や総発電コストとは無関係になされる。発電所に対する投資決定に際し、発電総コストに基づいた判断を行うことも可能ではあるが、そのためには投資の意思決定者が発電総コスト(すなわち、固定費用と限界費用の双方)を最終利用者に転嫁できる仕組みが確保されなければならない。公営電力会社や規制下にある電力会社であれば、長期的に設備容量を確保するために原子力発電所への新規投資を決定できる可能性がある。原子力発電の総コストは、他の選択肢より低いからである。原子力発電所は、全費用が固定的であり、SRMCはゼロである。自由化環境下に置かれた原子力発電所が電力市場であげ得る利益の大きさは、他の市場参加者が決めてしまうスポット価格に依存することになる。過去、天然ガス価格が高騰していた時代は電力市場価格も高かったから、自由化環境下でも原子力発電所の利益率は高かった。しかし最近は電力市場のスポット価格が低いため、自由化環境下にある原子力発電所の利益率は低迷している。
原子力発電所ではあらゆる発電所費用が固定的であるため、自由化電力市場においてはそのリスクが高くなる、という点が原子力発電業界にとって重要な教訓である。
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