vol02.福島第一事故があったから脱原子力に転じたわけではない

脱原子力 ドイツの実像

かしその宣言は現実とはならなかった。

 Areva社はEPRや、その後2007年から日本の三菱重工と共同で開発に着手したATMEA1については世界各国に積極的なマーケティングを行っているが、Kerenaについては特段の売り込みを行っていない。その後、Siemens側の出資比率の不満もあいまって、2009年1月、Siemens社はArevaグループとの技術提携を解消するに至った。2009年3月、Siemens社はロシアの国営原子力企業Rosatom社との提携覚書に調印し、50:50の対等出資で新たな合弁会社を設立し、燃料サイクル分野も視野に、ロシア型加圧水型炉VVERの開発や既存プラントのバックフィット、出力増強を手がけることとなった。その合意は2年後、ドイツ政府が原子力のオプション自体を放棄したことから大幅に見直しを余儀なくされ、Siemens社は2011年9月、原子力事業から撤退した。
 現在、母国で仕事が無くなったドイツの原子力技術者は世界中に散り、拡大・発展を続けるロシア・ブラジル・中国・インド他新興国の原子力産業を、要素技術や部品の供給により支えている。
 核燃料の成型・加工、濃縮、再処理、MOX燃料製造および軽水炉でのMOX利用、高速炉の開発、といった核燃料サイクル分野も、ドイツの原子力政策の変遷に伴い大きく変化している。
 前述した通り1960年代のドイツは世界最先端の原子力技術開発国であり、その動向は核燃料サイクル全般にも及んでいた。1971年には旧西ドイツ・カールスルーエで処理能力35tHM/年の実証規模の再処理施設が操業を開始し、商業化の計画もあった。また、使用済み燃料の再処理を電力会社に義務づけ、国内再処理施設が出来るまではイギリス及びフランスの再処理施設に使用済み燃料を移送して再処理し、分離されたウラン及びプルトニウムをMOX燃料として国内軽水炉で再利用する政策を取っていた点は、かつての日本と同様である。更に、ハナウには商業規模のMOX燃料製造施設も建設される予定だった。従って、脱原子力政策を決定するまでのドイツの原子力産業の規模および核燃料サイクルを含めた技術基盤は、ほぼ日本と同等かそれ以上であったといえる。
 しかし1980年代、原子力開発見直しの議論が広まるとともに、再処理を自国内で行いサイクルを完結させる政策推進は困難になってきた。1989年、電力会社は再処理の国内での商業化を断念し、商業施設の建設は中止され、その後はもっぱら海外に再処理を委託することとなった。それでも使用済み燃料のリサイクルおよびMOX利用は継続していたが、1994年5月の原子力法改正で直接処分もオプションとして認められ、再処理路線一辺倒ではなくなった。
 1998年の連立政権で、原子力発電からの段階的撤退が合意された際、併せて2005年7月で再処理も禁止されることとなった。原子力発電に将来がない以上、追加的コストもかかる再処理及びMOX燃料成型加工をしてまでウラン資源の有効活用をする意義は無くなったと判断したことには、一定の合理性があると言える。
 1960年代のドイツが世界最先端の原子力技術国だったことを示すもう一つの事実は、国際共同プロジェクトである高速増殖炉開発を中核となって推進していたことである。1966年、旧西ドイツ・カールスルーエに設置された高速臨界実験装置SNEAKにはドイツ・ベルギー・オランダが資金提供して開発を進め、1972年にはその経験も踏まえた実験炉KNK-IIが臨界を達成した。日本の高速増殖実験炉「常陽」が臨界を達成したのは1977年であるから、それより5年前である。KNK-IIは「常陽」にはない発電設備も備えており、電気出力2.1万kWと小型ながら1991年の運転終了まで原子炉特性や材料・燃料の挙動データ等、多くの成果を挙げている。
 その次の段階では原型炉SNR-300の計画が西ドイツ、ベルギー、オランダの共同プロジェクトで進められた。熱出力762MW、ナトリウム冷却・MOX燃料ループ型炉のSNR-300は1973年に着工し、若干遅延しながらも建設工事が進められ、1988年にはほぼ完成していたが、燃料移送・貯蔵に関するノルトライン・ウエストファーレン州政府の許可が下りないため試運転へ進めず、1991年に計画は中止された。これも1980年代に原子力推進から脱原子力へと変わっていった政策動向と密接な関係があったといえる。



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4.原子力の将来

 以上、世界でも最も早い時期に原子力各分野の技術開発に着手し、原子力を基幹電源としていったんは確立しながらも、脱原子力に転じたドイツの政策・開発動向をレビューしてきた。
 ドイツは、今後とも脱原子力の路線は基本的に戻ることはないと考えてよいであろう。新興国のような経済成長も人口増加も無く、したがって電力需要が急増する可能性にも乏しく、現状程度の規模において30%程度かそれ以上の電力を供給するだけの再生可能エネルギーのポテンシャルは十分にある。コストが現状維持以下ならば今後とも国民に受け入れられる見通しはある。厳しい環境制約のもとで石炭資源を有効活用するための高効率石炭技術(CCS含む)においてもドイツは世界有数の技術国である。ロシアや中央アジアから欧州に流れ込むガスパイプラインの多くはドイツを通っている。周辺国との電力系統連系線の容量も十分である。
 誤解を恐れずに率直な評価をすれば、ドイツが計画通り2022年に脱原子力を完了したところで、エネルギー需給の上ではドイツ国民も他国民も、誰も困らない。
 ドイツにとって、あるいは諸国にとって困ることがあるとすれば、かつての世界有数の原子力技術基盤が失われ、国際的な核燃料サイクル技術開発の担い手が抜けたことかもしれない。1960~70年代までは世界有数の核燃料サイクル技術保有国であり、軽水炉の産業基盤もあったドイツが、仮に同じペースで研究開発を続け原子力規模を拡大していれば、第4世代原子力システムに関する国際フォーラム(GIF)における主要国の一角を占めていたであろうし、日本や米国の原子力産業にとっても良い意味での競合相手となっていたであろう。現実そうはなっていないことは残念ではあるが、国のエネルギー事情や文化、国民の価値観、その国のおかれた国際関係は多種多様であり、他国がいいようにコントロールできるものではない。
 日本がすべきはドイツの取ってきた道をレビューし、「脱原子力を選択するまでに経験した国民議論の深み」や「原子力に頼らなくとも国を維持できるだけの技術力」などプラス面を評価し、「脱原子力により失われたもの」を補うにはどうすべきかを考え、国際社会に向け日本の意思を発信していくことではないだろうか。

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